教師のバトンと炎上聖火リレー

皆さんはオリンピックの方見られているでしょうか。すごいですよね、炎上に次ぐ炎上リレー。聖火リレーってそういう意味だったんかい。って突っ込みたくなるくらいツッコミどころしかない感じ。いざ始まったオリンピックの感じをみると確かに金メダルとかとって盛り上がっている感じはするけど、なんとなく喜べない、そんな感じになっております。

今回書きたいのはオリンピックを見ていて「あ、多分日本ダメだこれ」っていう気持ちがたくさんになって、それが日本の教育の現場だとどうなん?っていう話を頑張って描いてみようと思います。以前から書いてみたかったことの1つです。あと最近小学校の教員の方に話を聞いたのでその話も織り交ぜようと思います。

まず教育現場において様々な問題が山積していることは日本に住んでいたら想像に難くないと思います。「ブラック企業」という言葉ができる前から真っ黒な労働環境の学校は、企業ではないけれど「ブラック」な仕事と認識されるようになったと思います。朝早くに行って、授業して、授業準備して、保護者対応して…みたいな感じで労働時間に天井がないから延々に仕事をせざるを得ない状況です。それでも学校で教師が働くのは子どものためを思ってとか、将来の、未来のためにとかそういう気持ちが強いからなんじゃないかと思います。実際に大学で教員志望の学生に多く会ってきました。「金八先生」にイメージされるみたいな熱血教師とか、素晴らしい先生に巡り会えて人生が変わっていくみたいな学校の「神話」をつくったドラマが昭和から平成初期にかけて大量生産されたことで、まだ「神話」としての学校、それから教師は息をしていました。平成後期くらいから「モンスターペアレント」と呼ばれるような保護者のイメージダウンに伴う教師って大変だよね、といったような同情がみられるようになったり、「ブラック企業」が2013年の流行語対象に選ばれちゃったりして、そこから、「あれ、冷静に考えたら学校って、先生ってめちゃめちゃブラックじゃね?」みたいな空気が令和くらいになってから流れ始めたわけです。正直な話学校教育界隈ではそんなに新しくもない話ですが、それが人口に膾炙するようになったのはつい最近の気がします。

少しだけ話を変えるんですが、皆さんはハッシュタグ#教師のバトンをご存知でしょうか。

文科省のオフィシャルのtwitterから引用すると

現場で日々奮闘する現職の教師、教職を目指す方々の皆さんで、学校の働き方改革や新しい教育実践の事例、学校にまつわる日常を遠く離れた教師、ベテラン教師から若い教師に、現職の教師から教師を目指す方々に、学校の未来に向けてバトンを繋ぐためのプロジェクトです。

らしいです。要は教師の素晴らしさをこのハッシュタグを使って伝えましょうという魂胆だったのですが、インターネットの良くも悪くも率直な部分がでて、職場の凄惨な状況が、教師の悲鳴が挙げられるという全く逆の結果になっちゃったわけです。以下のURLに詳しいです。

本当に信じられないような労働環境で働いている現場の声が次々と上がったわけですね。教師の重労働が視覚化されたわけで、こんな状況の中で働かれている教師の方々は本当にすごい、国は何をやってるんだ!!っていう風な思いっきり逆効果になっちゃったわけです。なんだか昔話みたいですよね。

先日話を聞いた小学校教諭の話では「どんどんやることが増えていく。スクラップ&ビルドではなくって、スクラップ&スクラップだから仕事は増えていく一方。精神を病む先生もいる。」という話でした。日本の学校現場ではまず引き算が行われていない、というのはずっと思っていたことでした。「英語教育は早い方がいいみたいだし、中国と韓国もやっているから。」みたいななんとなくの理由で始まった小学校の英語教育や、これからの時代に使われそう、みたいなプログラミング教育、とりあえず使ってみただけのICT教育とか、とりあえず始めるポーズでしかなく、現場の教員は新たに覚えること、アップデートが行われなければならないわけです。一体いつそれをやって、その新しい時間の代わりに何か別の教科が削減されることはないのでしょうか。ただただ負担が増えていく一方です。

この流れを受けてじゃあ国がどうにかするのか、と思いきや全く期待を持てないっていうのが私の本音です。

冒頭のオリンピオックの体たらくっぷりをみてもわかりますが、その場その場で起きたアクシデントに対して対処するという方法をとり、問題を見過ごして、やり過ごす。何か大きな問題が起きてようやく重い腰を上げる、という国の体制では教育現場で信じられないような質の低下および教員志望者の減少が起きないと何も変えようとしないのではないでしょうか。教師のバトンによる悲惨な状況をみて学校の先生になろうと思える学生がいるでしょうか。こうして貴重な教育現場のなり手は減っていく一方で、気づいたら誰もこんな仕事やらなくなるんじゃないでしょうか。

「日本は先進国で世界をリードしている」なんていう幻想にすがれる時代はもうとっくに終わっていると思います。オリンピックによってアスリートとかスポーツによる感動とか綺麗なキラキラした裏の汚い部分がたくさん見えて、腐敗が進んでいます。そういう意味ではオリンピックの果たした役割はとても大きい。それが浄化する方向へつながればいいんですが…

劣悪な日本の教育の現場で信じられないようなことが今日も起きています。それをなんとかできるのはもはや一個人、一教員ではなくて国のなせることだと思いますが、オリンピックのおかげで(せいで)そんな期待を持てなければ、もう絶望するしかないじゃないですか。



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