私が博士進学をやめた幾つかの理由

本日修士生活最後の要件である修士論文の口頭試問が行われ無事に終了してきました。この口頭試問は博士進学の試験も兼ねており、内部進学であれば一次試験の筆記テストをパスして、この口頭試問によって博士進学が決定するという大事な試験です。(といっても内部進学で落ちるケースはほとんどないらしい)以前から述べてきたように自分は博士進学を諦めました。なので本来であれば出願をしていたので今日は博士進学も兼ねたテストだったのですが、前日に指導教官の先生に進学辞退のメールをして修士論文の口頭試問のみとなりました。改めてどうして博士進学をやめたのかっていうことをまとめておきたいと思います。

まず第一に将来性の部分です。博士進学したからといって将来が必ずしも担保されるわけではありません。むしろ日本は他の国よりも修士号であったり博士号をもっていることによるリターンが圧倒的に少ない。社会で働いているほとんどの人は学士号までしか持っていないし、修士や博士生活を経て就職することは研究職や専門職でなければ、むしろ年齢の部分でマイナス。企業は若くてフレッシュな人間を欲しているのです。小賢しい修士、博士経験者は企業からしたらむしろ扱いづらいんじゃないかとすら思います。博士にいったとしてもそのまま研究者としてのポストは限られているから必ずしも就職できるわけでもないし、安定した収入を得るまでにはまだまだ先になるわけで。そんなことを考えていたらこのまま学生の肩書きを持って定職ではない副業で稼ぎながら生きていくのはもう限界なんじゃないかと思うようになりました。学費も国立とはいえバカにならないですしね。将来結婚したりとか子どもができたりとかそういうことを天秤にかけた時にもう数年、20代の後半を博士としてやっていくのは正直無理だと思いました。

次に考えられるのはモチベーションの部分。以前書いた通り修士論文の執筆にすべて注いでしまい、いわゆる「燃え尽き症候群」になってしまったことです。燃え尽き症候群であれば一過性のものだと考えることもできますが、この先戻るかわからない熱意を先延ばしにして博士にとりあえず進んでおくみたいな博打、そんな賭けはできないし、何より真剣に取りくんでいる人の中でそんな中途半端な自分を自分で許せないだろう、という思いがありました。こういう考えに至るあたり自分が真面目なんだと思いますが、まぁ留学中ずっと遊んでしまったようにもう学問に取り組む熱意が薄れていっていることも一つの原因だと思います。それ以外にも楽しいと思えることは世界にたくさんあるということに気づかされたのが留学でした。

人間関係の問題もゼロじゃない。同期のうち半分は卒業しているし、後輩も嫌いなわけじゃないけど特別好きじゃない。プライベートで会おうとはならない。そんな馴れ合いの関係を求めているわけじゃないけど、近頃は流動性のないこの関係にもちょっとうんざりしていた。留学生活で一度離れて如実に浮かび上がったのは、修士博士の環境の閉塞感。伊達に人よりも一年長く、3年間修士生活をしていたわけじゃない。この関係性を維持することによって気疲れすること、精神的に病むことを少なからず危惧していて、そうなるのはどうしても避けたかった。最近ゼミに足を運べなかったのはそんな思いがあったのも事実だ。

最後は今日の口頭試問で気づかされたこと。修士論文の概要を発表して3人いる教授陣から鋭い質問が飛んでくる。その質問に対してはぐうの音もでないから、なんだか自分ができなかったこと、後悔を語るみたいになってしまった。そんな流れから(気を使って?)逆に良かった点を、お褒めの言葉をいただくこともできた。なんだかフォローされているような気がしたけど、ちゃんとどこが良かったか伝えてくれて少し報われた気がした。自分の論文を読んでくれた人がいることが嬉しかった。

口頭試問の最後に質問されたことは「博士には本当に進まなくていいのか」だった。その質問に修士論文を執筆してから考えていたことをとにかく話した。嘘偽りなく自分の本心を話そうと思った。最終的にある先生に言われた「自信の問題かもしれない」と一言。本当にその通りだと思った。今の自分には修論がやっとだったし、それを超えるもの、そしてそれ以上の長い時間をかけて論文を、博士をやり通すことの自信が全くなかった。すごすぎる博士の先輩方を見ていてもそうだ。それは自分にはできない、と足がすくんでしまう。

最後の質問に答えるのはすごく時間がかかった。

指導教官の先生も温かい言葉をかけてくれて嬉しかった。答えながら涙が出そうになった。後ろ髪をひかれる気がしたのは嘘じゃない。ここで「やっぱり」といえば多分博士進学することはできていたと思う。でも答えは「No」だった。ここで甘えてしまったら何もうまくいかなくなる気がした。自分で険しい道をあえて進んでいくことにしたことも嘘になるし、宙ぶらりんなまま「学生」の身分で保身したままで保険をかけているのも違う。だから「No」だ。

最終的には納得してくれた(と思う。)丁重に挨拶をして部屋をでた。すっごく解き放たれた気分だった。自分の3年間の修士生活が終わった。ようやく終われた気がした。終着点は意外にもあっさりしていたけど、こんなものだ。帰り道カラオケによって2時間熱唱してから帰った。気持ちの整理にはちょうど良かった。(声枯れた)

いつか自分がまたここに戻りたいと思う日がくるのだろうか。正直今はまだわからない。でも「今」じゃない。それだけは間違いなかった。とりあえずまずは「東大生」の肩書きじゃなくて一人の人間として自分個人として戦えるようになる、そう決めた。


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