拝啓いつかの8月31日の君へ。

 日付変わって8月31日。8月31日は祝日ではないけれど、日本人にとっては意味するところがある。夏休みの終焉。日曜日の強化版。月曜日が辛いことの何十倍も夏休み明けの二学期を苦しまなければならない。自分のように徐々に学校行きたくなってた人間は例外で、大抵は辟易する量の宿題とか、凍結していた人間関係の煩わしさに向き合わなければならなくなる。その煩わしさが精神に作用して体を鉛のように重くする。

 どうやら日本では9月1日は自殺者が多いらしい。前述したように9月1日から始まる学校が嫌で死を選んでしまう人が多い。8月まではセーフティゾーンで、9月からはデッドゾーン。もはや呪いである。もしかしたらこの日本のどこかに今日8月31日を人生最後の日として過ごす人がいるのかもしれない。もしそんな人がいたらこの文章を読んでほしい。そして一旦考え直してほしい。

 まず言いたいことは律儀すぎる。学校が始まったからといって、休みが終わったからといって死を選ぶのはどれだけ律儀なんだと思う。確かに夏休み中の8月は休んでいい時期かもしれないが、9月になって「学校にいかなきゃいけない日」だからと言って、死を選ぶのはどうなんだろう。あまりにも社会に規範づけられているといいたい。9月1日なんてあくまで日本ではそうなっているだけで海外だったら違うし、こんなことは学校で決めているだけであって法的な拘束力などない。それにもし学校にいかなかったところでなんのペナルティが課される訳でもないし、損することもぶっちゃけあんまりない。

 つまり僕が言いたいのはサボったらいい。学校に行きたくないなら学校にいかなきゃいい。親がなんと言おうが先生がなんと言おうがいかなかったらいい。別に1年や2年学校にいかなかったところでなんとでもなる。人生の寄り道を何年も、何度もしている自分からすればそんなの誤差にすぎない。18で高校を卒業して、22で大学を出て65の定年まで働くなんてレールにのってない人間なんてたくさんいる。そんなレール面白いか?自分は18で浪人して以来そのレールを踏み外した。適度に踏み外している。小学校、中学校、高校、いつだってレールを踏み外したっていい。というかそもそもそんなレールなんて存在していないんだから。じっくり寄り道して生きたらいい。

 とりあえず嫌で嫌で仕方ない学校にいくのをやめて自主的な夏休みの延長を決めたらなんでもいいからやることを探そう。別に勉強じゃなくたっていい。好きなゲームをずっとしたっていい。本を読んだり、とにかく何でもいいからやってみる。やる気にならなかったら寝ててもいい。何かしている時間が嫌なことを忘れさせてくれるはず。個人的にオススメしたいのは深夜徘徊だ。深夜の外は人がほとんどいないから時間が止まったかのように感じる。自分しか世界に存在していないかのような感覚を覚える。外の空気も昼と違って呼吸しやすい気がする。警察に会っても適当に家に帰る途中とか言えば多分大丈夫。夜はなんかすべて許してくれる気がする。

 熱中することに飽きたらそこから物事を考えよう。建設的にこれからどうするか。ただし「死ぬ」はなしで。自分から言わせれば合わない学校やクラスはさっさと転校した方がいいと思っている。いじめに立ち向かって克服したような美談が話されることがあるけど、そんな話一握りだ。実際はどうにもならないケースの方が多い。そうだとすればわざわざ苦しい、辛い思いをして立ち向かう必要はないし、リセットしてやり直した方が有意義だと思う。絶対に自分に向いている、自分が安心していられる場所は他にある。もしかしたら違う県、違う国かもしれないし、それはおかしいことでもなんでもない。自分の経験で言えばアルバイトを一度4日でやめたことがある。店長に理不尽なことで叱られて腹が立って勢いでやめた。多分ここで働いても嫌な思いをするだけだと思った。でも次で働いた同業種のお店は楽しく働けた。アルバイトと学校は規模感が違うかもしれないが、本質的には同じだ。学校だって同じように合わなかったら変えるくらいの感覚でいい。日本はこの辺の意識が固い人が多すぎる。もっと流動的に自分に合う学校を選ぶことができたっていいのに。どんなことにも人にとって「合う」「合わない」は間違いなくある。無理して我慢する必要は全くない。自分より大切にすることなんて他にはないのだから。



 中学二年生の夏休みが明けて2週間くらい経った頃に、学年集会が行われて、元クラスメイトがなくなった話が教師から告げられた。病死だと最初は話されていたけど、のちにいじめを苦にした自殺だとわかった。加害者も元クラスメイトだった。自分はそのいじめに気が付いていなかった。どうすることもできなかった。この時期になるといまだにこのことを思い出す。一つ思うことはやはり生きていて欲しかった。中学の同級生なんてこの歳になって連絡取る人はもう一人か二人しかいないけど、それでも彼が生きていたら、と思うこと、記憶からは消えていないこと。でもこんな形では記憶に残って欲しくなかった。今もどこかで生きていてほしかった。



 「死ぬな、生きろ。今の環境は永遠じゃない。世界は美しいし、人生は楽しい。そう思える日がいつか絶対にくる。」と伝えたい。あの日の君に、今のあなたに。

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