「斜る」という言葉に付随する人生と人間性

「斜(はす)っている」という言葉をご存知だろうか。

去年くらいから聞き始めたオードリーのラジオで、オードリーの若林氏が発案したのかはわからないが、彼がラジオでよく口にする言葉である。「斜に構える」という言葉から斜に構えている人の様子を「斜っている」と表現している。この言葉に出会って自分の所在のなさがピタッと当てはまった気がした。自分の事をよく自分では「ひねくれている」と表現する事が多いが、それよりもこの「斜っている」という言葉はまさに自分の様子をよーく表した言葉だと腑に落ちた。

社会構成主義でいうところの現象が先にあってそれについてよく表現する言葉が生まれることによってその現実が表出する。夏目漱石が「肩こり」という言葉を残したことで日本人が肩こりという現象に悩まされたり、伊集院光が中学生のとりがちな迷走、痛々しい時期を「中二病」という言葉で言い表したように、この「斜っている」という言葉も個人的には大発明だと思った。

オードリーのラジオを聞くようになって、それまでテレビ番組でみていた以上にオードリー若林氏の人間性がわかるようになった。仕事が忙しくなりかけの時に17アイスを泣きながら大量に食べたり、深夜に公園で一人でスリーポイントシュートを打ったり、彼の不思議?エピソードは枚挙に暇がないが、そんな人間性に自分を重ね合わせたりして「あぁ、自分も斜っているなぁ。」なんて思いながらラジオを視聴していた。

Creepy Nutsが、ラジオで語っていた事だが、かなり換言すると、若林氏や南海キャンディーズの山ちゃんなどの存在がクラスでは目立つ存在ではないいわゆる「陰キャ」の存在に開き直る術を与えてくれたと。ネガティブに捉えられがちな生き方からの開き直る術を彼らの生き方から学んだというのは確かに自分もその一人だと思った。人から変わっていると思われたり、少し他の人と変わっていると自分でも感じる事が多かった学生時代だったが、「別にそれで良くない?」と、むしろそれを武器にできる強さを二人やアメトーークの「中学イケてない芸人」や「人見知り芸人」から学んだ気がする。「イケてない」ことを武器にすれば笑いに変えられるのだ。

2019年という年は激動の年だった。

オードリー春日の結婚に始まり、南キャン山ちゃんと蒼井優というビックカップルの誕生。そしてラジオで急に結婚発表をする若林(11月22日いい夫婦の日)。年末にはバカリズムのクリスマス婚が記憶に新しい。春日は置いておいて、この3人の結婚は自分にとっても衝撃だった。あれだけ斜っていた(ように見えた)3人がまさかの同じ年に結婚。しかもいい夫婦の日婚とかクリスマス婚とか「いや一番そういうのバカにしてた人たちやん!」みたいな。ただこの事については批判するつもりはさらさらないし、いよいよその時がきたのかっていう感じである。一定の段階で「斜り」には終わりがあるのかもしれない。いや、結婚後の彼らの発言を聞く限りでは斜りは終わっていないのだが、彼らはもう次のフェーズに移っていったのかもしれない。間違いなく彼らは進化している。テレビに出始めの頃から、去年の激動の一年を経てまた新しい形で進化を遂げているからこそ、今も長く愛されて活躍し続けられるのだ。自分にはまだそのフェーズにはたどり着けていないからまだ下から眺めている。

自分の話に戻る。自分も斜っている人間だと自負している。使命感のようなものを抱えて「普通」の生き方を嫌悪して、そうでない生き方を模索し続けてきた。彼らと同じように自分にとっても2019年は激動の年だったかもしれない。海外留学という経験に付随してヨーロッパ各地を回った事、年はまたいだが修士論文を完成させた事。これらの事を経験してみて自分の中の斜りが一つ終焉を迎えた。簡潔に言えば満足した。言い換えれば「こだわり」を一つ捨ててもいいと思えた。この背負っていたこだわりという重荷を置いてみると「一体自分は今まで何と戦っていたんだろう」と強く思った。多分まだ斜り続けることもできたかもしれないが、もうその修羅の道を歩かずに、斜っていた時には見向きもしなかった道に目を向ける時がきた、自分の中で次のフェーズに移る時がきたのかもしれない。

という事を最近就活を始めてみて思った。あれだけ「意味あるのか?」と思い続けていたSPIの問題を今日初めて解いてみたら意外に面白いな、と思えた。「就活」という事に疑念をもちつつも、ちゃんと向き合って仕事を探す。それでいいじゃん?他にも去年インスタやってみたら楽しいし、タピオカ飲んでみたら美味しい。案外そんなものである。そんな感じでどれだけの機会損失をしていたんだろうと思えるようになってきた。

だが前述してきたように「斜り」はなくなるわけじゃない。次のステージに移行するだけである。移行した先でもきっとまた斜り続けるのだろう。自分という人間はそういう人間である。でもその「斜り」も彼らお笑い芸人のように愛すべき人間性なのだと思う。

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