一人旅で石巻に行ったときのこと
「ドーンという音がして瓦礫の波が校舎にぶつかったんです。ここに火が回るのも時間の問題だと思いました。」
そう言って、当時、門脇小学校の教頭をされていた先生が見せてくれたは「燃えている家が校舎にぶつかる」その言葉のままの写真だった。
去年の夏休み、一人旅で初めて東北を訪れた。
盛岡から仙台に向かい、朝一で石巻に移動した。たまたま大学の同期で、東北出身の友人が石巻にいるということで、石巻で落ち合い、雨の中、町を歩いて回った。
本当なら次の日は仙台に向かう予定だったけれど、どうも石巻を気に入ってしまい、予定を変更してそのまま残ることにした。まさに気ままな一人旅。
その日は日和山を越えて石巻市震災遺構である門脇小学校を訪れていた。前日の悪天候とは打って変わって、この日はよく晴れていた。
◇◇◇
東日本大震災。
当時、僕は小学5年生だった。僕の地元も少し揺れたみたいだけれど、全く気がつかなかった。学校から帰って、家でテレビを見て初めて、大きな地震があったのだということを知った。阪神淡路大震災を知らない僕にとって、それは記憶にある中で初めてリアルタイムに体験する大災害だった。
当時のことを全て覚えているわけではないけれど、津波に流されていく町の様子と、時間と共に増えていく死者行方不明者の数を固唾を飲んで見守っていたことだけははっきりと覚えていている。そして、これが現実の出来事だということをずっと受け入れられていない自分がいた。
いや、本当はこの大災害と真剣に向き合おうとする気持ちが僕になかったと言った方が正しいのかもしれない。
僕はどこまでも無関心でいた。
自分とは関係のないことについては、悲しいとか、悲惨だとか、許されないとかそいうことを一時的には思うことができるけれど、あれから13年が経った今、東日本大震災が何時何分に起きて、どれだけの方が亡くなったのかを即座に答えることはできない。あの日、津波に流されていく人と町をただ見ていることしかできなかった人々の物語から目を背けている。
それはある種の自衛行為だったのかもしれない。日本中、世界中の悲しみを全て真に受けていたらきっと心はいくあっても足りない。無関心でいれば傷つくこともない。将来、自分の住んでいる土地が大きな揺れに襲われるという恐怖を抱かなくて済む。自分には自分の物語があって、その物語の抱える喜びとか悲しみとかだけで、もう十分なんだ。それ以上は抱えきれない。
でもさ、
それはこの震災について無関心でいることの免罪符にはならないと思う。
まだ終わっていない。
福島第一原発事故によって発生した処理水の放出はまだ続いている。原発をめぐる世論は対立し、先の尖った言葉が飛び飛び交っている。今もまだ2520人の方が見つけられずにいる。前日、地元の方と少しだけ言葉を交わした。明日はどこに行くのかと尋ねられ、門脇小学校の方に行く予定だと話した。「そうなんですね。私はまだ震災遺構を訪れる気になれないんです。」そう呟きながら遠くを見つめる女性の表情が今も頭から離れない。
まだ何も終わっていなかった。
実家に帰省していたとき『僕たちは戦争を知らない〜戦禍を生きた女性たち』というテレビの特集を観た。この番組の中で戦争を経験された方がこんなことをおっしゃっていた。
去年は戦後78年だった。
原爆の日や終戦の日が近づくと、テレビや新聞で戦争や平和に関する"特集"が放送される。しかし、終戦の日が終われば、特集はなくなり、テレビ番組は新たな時事問題へと移っていく。それは仕方のないことなのかもしれないし、僕だって毎日平和や戦争のことを深く考えて生きているわけではない。
でも、だからこそ、それを視聴している僕たちは戦後がまだ続いているのだということを決して忘れてはいけない。
「一生戦後です。」
その言葉には、この1945年8月15日正午から78年間、一日一日、一瞬一瞬の重みがあった。
人の手によって始められた戦争と、人の力など決して及ばない自然災害は違うかもしれない。けれど、その複雑な想いを抱えて生きている人々にとっては、いつまで経っても現在進行形で進む出来事なのだ。
僕が小学校を訪れたその日、当時の教頭先生で、現在は語り部として震災当時の様子を継承している方のお話を伺う会が開催されていた。電車の時間は迫っていたけれど、直接、当時のことを知っている方の生の声を聞けるのは今しかないと思い、参加してみることにした。
生徒たちが学校の裏手にある日和山に避難した後も教頭先生は子どもを迎えに来た保護者や避難してきた地域の方々の対応のため、小学校に残っていたという。
「津波が電柱を次々に押し倒して、家が押し流されているが見えたんです。急いで校庭まで走ったんですけど、声が出ないんですね。なんとか振り絞って出た言葉が、津波だーー!!校舎に逃げろ!!だったんです。」
「校舎に入ったときに思ったんです。この校舎は大丈夫だろうか。あぁ、もう駄目かもしれない。俺はもうここで死ぬのかと思いましたね。」
押し寄せる瓦礫と火の手に追われながら、まさに死に物狂いで屋上まで逃げたのだと語られた。一瞬の判断の迷いで、自分の命が、誰かの命が失われていたかもしれない。そんな瞬間瞬間の記憶を聞いた。
語られた言葉の一つ一つが僕の心の中に静かに重く蓄積されていった。
直接的にしろ、間接的にしろ、あの震災を経験した全ての人の数だけ物語がある。そして、あの日を起点とした数えきれないほどの物語は、言葉になり、絵になり、歌となり、語られてきた。けれど、それと同じだけ、いや、それ以上のもう語られることのない、未だに語られていない物語がたくさん眠っている。
門脇小学校を訪れる前に、日和山を登って鹿島御児神社に行った。
震災が起こったとき、門脇小学校の児童をはじめ地域の多くの人が避難してきた場所だ。ここから頂上まで行くと石巻の湾と旧北上川が一望できる。
綺麗な緑の広場と工場が立ち並ぶ場所から少し視線を前に向けるとひたすらに広い太平洋の水平線が見える。現在、石巻南浜津波復興祈念公園がある場所にはかつて南浜町、門脇町、そして雲雀野町があり、人々があたりまえにあたりまえの生活をしていた。
だけど、"あたりまえ"は案外脆いのだ。
一人暮らしを始めれば1日3食を食べるあたりまえがなくなった。決まった時間に寝て起きるあたりまえもなくなった。あたりまえは、支えを失うといも簡単になくなってしまう。
僕のあたりまえは、自ら環境を変えた結果であって、またそこに戻ろうと思えば戻ることもできる。でも、なんの前触れもなく、たった数時間のうちに、そのあたりまえが一方的に全部奪われて、もう手元に返ってはこないっていうこともあるのだ。
今は災害危険区域に指定されて、そこに人が住むことは禁止されている。
◇◇◇
人生において一番観たであろう映画『もののけ姫』。
昔、実家にもののけ姫のビデオテープがあって、それを何度も繰り返し観ていた。そのビデオテープはおそらく処分されてしまったけれど、大きくなってからは金曜ロードショーの録画を何度も繰り返し観た。
小さい頃は、何を描いた作品であるかもわからず、不気味な森とそこを這い回る猪の群れ、たくさんのミミズのようなもに覆われた大猪、得体の知れない何かに飲み込まれていく森とたたら場にただ恐怖を抱いていた。正直言ってトラウマだ。
でも、それでも何度も観てしまった。
大人になって少しずつ宮崎監督が作品を通して描こうとしていたものがなんとなくわかってきた、ような気がする。
頭では自然が脅威であるということも、そんな自然から逃れて暮らすことはできないということも理解はしているのだと思う。でも、やっぱりどこか傲慢にもなっている気もする。自分たちだけは大丈夫だと。
何万年もの歴史の中で、文明を発展させ、立派な都市をいくつも築いてきた。その歴史の中で、何度も何度も自然に飲み込まれてきたはずなのに、それを忘れて、また、いとも簡単に飲み込まれる。
もちろん防災の知恵だったり、技術だったりってのは日々進歩してるわけで、人類はなんて愚かなのだと厨二病みたいなことを言うつもりはないけれど、技術ばかり進歩しても人々の意識が変わらなければ根本的な解決にはならないのだと思う。
新海誠監督の『すずめの戸締り』に出てくる巨大なミミズがデイダラボッチと重なって見えた。
すずめの戸締りはもっと直接的に災害を、東日本大震災を描いていた。
去年の秋にすずめの戸締りのおかえり上映があると聞き、一人で観に行った。上映までの時間、最初に観たときの感想をスマホにメモしていたことを思い出し、それを読んでいた。
災害が起こる度に、事後的に「あぁ、やっぱり人間は自然には敵わないですね」って言っている。人々の記憶から災害の記憶が薄れていく。震災の足音はすぐそこまで迫ってきているのに。
◇◇◇
旅はいろいろな出会いをもたらしてくれる。
このときの一人旅がきっかけで、石巻が好きになり、今年のゴールデンウィークにも就職先の見学がてら訪れた。今年の夏にもまたいく予定だ。
石巻の方がこんなことを言ってた。
「石巻は震災のとき全部が流されなかったんです。だから、古い建物と新しい建物が入り混じってる。人も同じで、震災後に石巻を訪れて居ついた人も何人もいるんですよ。」
やっぱりその土地に行って、自分の足で歩かないとわからないことってたくさんある。石巻を訪れたことで、東日本大震災以来、胸の奥底で煮え切らないまま沈降していた感情に、とてもとても繊細ではあるけれど、一筋の光がすっと差したように感じた。
石巻は町としてすでに復興したのかもしれない。
震災後、たくさんの人の手によって、町の再建が行われてきた。この場所を被災地と呼び、ここで暮らす人、暮らしていた人を被災者と呼ぶのは完全には適切ではないのかもしれない。
でも、忘れてはいけないことって確かにあるよね。
歴史は繰り返すという。
災害も、戦争も誰も望んでなんかいない。でも、きっとこの先の未来、それがなくなることもない(戦争はなくせるかもしれないけれど)。
生きるってどういうことなのか、生命って何なのか考え続けないといけない。自然のこと、災害のこと、戦争のことを知り、考え続けないといけない。
僕が生きるであろう時間と、さらにその先の未来を想って。
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