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思考停止したやつを真面目と呼ぶな

最近、退職代行サービスというのが流行っているらしい

費用は数万円前半くらい
貧乏性なので、なんで自分で辞めればタダなのにわざわざお金を払うのかが理解できなかったし、なぜビジネスとして成り立っているのかよくわからなかった
(結局今でも腹落ちはしていない)

そんなとき、ふと↓の動画が流れてきた


番組の中では、タイトルにある通り、バックれたらいいのにというスタンスで語られる
他方、そうはせず、お金を払ってまで退職手続きを踏む人を「真面目」と評価していた

果たして、本当に「真面目」なのだろうか?

番組の中でも語られているが、職場環境や人間関係が原因で退職を伝えることに一定のハードルがあることは考えられる
また、退職手続きをしっかりと踏むこと自体はマナーとして必要にも思う
したがって、マナーと自分では退職をできない理由から、サービスを使う正当性は一定存在する(そもそも需要があるからサービスとして成り立っているはずだし)

その上で、覚えた違和感を言葉にするとこんな感じ
①果たして、退職手続きは本当に必要か
②辞めるとして、このサービスを使う必要性はあるか

①は、若干既出の内容だが、「バックれる」選択肢はなかったのか。言い換えると、バックれられないハードルとは、一体何だったのか
挙げれば色々あるけど、一番に思いついたのは「バックれる」という選択肢がなかった(あってもしてはいけないものと考えていた)のではないか、ということ
つまり、辞める=退職手続きと辞める方法が知らぬ間に固定化されてしまっているのではないか

②は、もちろん①がベースにあって、その上で「退職代行」という文字を見て、飛びついてしまっていないか
人の背中を押すという観点ではサービスに一定の意義はあるとは思うものの、辞めたい気持ちは以前からあったはず
サービスとして明示されてしまったが故に、お金を払えば辞められると救いのように感じて、考えることもせず利用に至っているのではないか(漠としてすら考えていない、と言うつもりはない)

もちろん、①でも②でもない人もきっと多く存在する

前提として、番組もホリエモンも批判する気は毛頭ない
それでも、そうした人たちを「真面目」と肯定的にも捉えられてしまう言葉で呼んでしまうのは如何なものか

誤解を恐れずにいうと、
真面目なんじゃない、考えていないだけ(の人も利用者の中には一定存在する)

このサービスを作った人はきっと優秀なんだと思う
でも、このサービスを使わないといけない社会、組織というのは、何となく浅さ、温さを感じてしまう

こんな風に旧時代的なことを考え始めたら、それはもう老害なのかもしれない

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