Yuta Kosugi

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最近の記事

1.17生まれだからこそ

26年前の今日、僕の9歳の誕生日に阪神淡路大震災が起こりました。 僕は東京に住んでいたので、直接被災したわけではありません。 しかしテレビに映し出された、街が炎につつまれる様子や、崩れた高速道路に車体の半分だけが引っ掛かったバスの光景などは今でも忘れられません。 そしてこれからも忘れることはないと思います。 当時の僕も小さいなりに被害の大きさを理解し、「何か援助したい」と考え、募金用のシャープペンシル等を買った記憶があります。 ただ9歳の僕にできることなんてたかがしれていて

    • 僕は『自分の弱さ』が嫌いで嫌いで仕方がなかった

      タイトルの通り、僕は『自分の弱さ』が嫌いで、嫌いで仕方がなかった。 厳密に言うと今もまだ嫌いではあるが、以前に比べるとそんな自分も受け容れられるようになった。 なぜそんなにも『自分の弱さ』が嫌いなのかは今でも正直良く分からないけれど、兎にも角にも嫌いで、嫌いで仕方がなかった。 おそらくかつての自分は「人に弱さを見せること=情けないこと・負け」のように捉えていて、人に弱さを見せることで人が離れていくことが怖かったのだと思う。 決してそんなことないのにね。 それもあって僕は強

      • 自分の中の『豊かさ』ってなんだろう?

        先日Twitterでフォローさせていただいている方が星空の写真を投稿していて、その写真を見た時ふと「僕が求める『豊かさ』って何だったっけ?」と感じました。 僕は東京生まれ東京育ちなので、物質的に非常に豊かな場所で暮らしていると思います。 そしてそれによって恩恵を受けてきたのも事実です。 しかし小中学生になる頃から「なぜ東京に住んでいるのだろう」と、自分の中で東京に住むことへの違和感が大きくなっていく感覚がありました。 「なぜ大人達はこんなにも疲れているのだろう」「なぜ電車で

        • 3.11に思うこと

          「僕は1月17日生まれです」 それだけ言っても、多くの人にとっては「noteでなに誕生日アピールしてるんだ」と感じるだけだと思います。 では「僕の9歳の誕生日の1995年1月17日に阪神淡路大震災が起こりました」だと、どうでしょうか? 多少イメージが変わると思います。 上記のように僕の9歳の誕生日に、阪神淡路大震災が起こりました。 僕は東京に住んでいたので、被災したわけではありません。 しかしテレビに映し出された、街が炎につつまれる様子や、崩れた高速道路に車体の半分だけが

        1.17生まれだからこそ

          頑張るにはエネルギーが必要で、そのエネルギーは心の弾性みたいなものではなかろうか

          塾で働いて10年以上になるけれど、子ども達を見ているとつくづく「勉強は頑張るものなのだな」と感じます。 それは言い換えると「勉強するにはエネルギーがいる」ということです。 僕は人が一日に使えるエネルギーの総量は決まっているのではないかと思っています。 そのため朝起きて、学校に行って、などなど様々なことをすれば、エネルギーは自然と減っていきます。 塾に来るときには1日の2/3以上が過ぎているので、残っているエネルギーもそんなには多くないはずです。 そのためなかなか勉強に集中で

          頑張るにはエネルギーが必要で、そのエネルギーは心の弾性みたいなものではなかろうか

          「非」常識じゃなくて、「異」常識

          先日アンポータブルエデュケーションのキックオフイベントに参加しました。 アンポータリズム ポータルにはない「ここにしかない」もの 〜もっと自由な情報を!〜 世の中がひとつにされていく マスでもなく個人でもない「ミドル」な場所 感覚的でも、曖昧でも、伝わるものがある 発起人の二郎さんの言葉の中で、僕が特に好きなものがタイトルにあげた「『非』常識ではなく、『異』常識」です。 「常識は一人一人異なるのだから、『非』常識じゃなくて『異』常識ではないか」との言葉に、僕は二郎さんの暖

          「非」常識じゃなくて、「異」常識

          カナダで知った「恩送り」

          無印良品の今週のコラムで「恩送り」が取り上げられていました。 僕が「恩送り」という言葉に出会ったのは、確か10年ほど前。 沖縄のゲストハウスに泊まった時に、そこのオーナーさんが「沖縄には『恩送り』という言葉があってね」と教えてくれた。 僕は「恩送り」と聞くと、思い出す経験がある。 それはカナダのカルガリーに留学していた時のこと。 帰国の前日、当時付き合っていた子の荷物を、僕のホームステイ先に持っていく時の出来事。 カルガリーは冬季オリンピックが開催されたこともある位、冬

          カナダで知った「恩送り」

          「ないものはない」は、全部創れる

          これは先日の「大人のしまね留学」で、海士町の「ないものはない」ポスターについて話している時に、僕の目の前に座っていた方が仰った言葉。 僕はこの言葉を聞いたときに、それまでうまく言語化できていなかった部分がすっと腹落ちした。 振り返ると、これは僕の根幹に関わる部分ではないかと思う。 この事を、冲方丁さんの『天地明察』を例に書いてみます。 天地明察には「小説」「マンガ」「映画」の3つの媒体がある。 僕は「小説」→「映画」→「マンガ」と読み進めたのだけど、この進み方で本当に良か

          「ないものはない」は、全部創れる