頑張るにはエネルギーが必要で、そのエネルギーは心の弾性みたいなものではなかろうか

塾で働いて10年以上になるけれど、子ども達を見ているとつくづく「勉強は頑張るものなのだな」と感じます。
それは言い換えると「勉強するにはエネルギーがいる」ということです。

僕は人が一日に使えるエネルギーの総量は決まっているのではないかと思っています。
そのため朝起きて、学校に行って、などなど様々なことをすれば、エネルギーは自然と減っていきます。
塾に来るときには1日の2/3以上が過ぎているので、残っているエネルギーもそんなには多くないはずです。
そのためなかなか勉強に集中できない子も正直います。

ただそれを踏まえても、「なぜこんなにもエネルギーがなくなっているのだろう?」と感じることがありました。
僕は勉強は自分への投資だと思っているので、「エネルギーがほぼ枯渇した状態で塾に来るのは非常にもったいないのではないか」と、ついつい考えてしまいます。
なぜなら勉強しに来ているのに、勉強を頑張るだけのエネルギーが残っていないのだから。
そんなこんなで結構悶々としていた時期がありました。

ある時通ってくれている子と話していて、「あー、なるほど!だからエネルギーがなくなるのか」と合点したことがありました。
その子はどうやら学校で嫌なことがあったようなんです。
学校に行くと、気を使わなくてはならず、疲弊すると。
そりゃただでさえエネルギーを使うのに、普通に通っている以上にエネルギーを使うはずです。
僕が同じ立場でも、普段よりエネルギーは減ると思います。

僕はエネルギーって心の弾性のようなものではないかと思っています。

無題 2

エネルギーがいっぱいにたまっている時は、例えば勉強のように苦手なことでも頑張れる。
心が弾力に富んでいて、パイーンって跳ね返せるイメージです。

ただ例えば上記のように学校でイヤなことがあったり、ツライことがあれば、元々持っていたエネルギーが減っていって、心に弾力がなくなってしまう。

無題 2 - コピー

そうすると苦手に向き合うときに、パイーンと跳ね返すことはできないし、最悪心がパリーンと割れてしまうかもしれない。
この状態では頑張れないですよね。

ただこれに気付くまでは、「塾に来ているのだから、頑張りなよ」「僕が学生だったときは普通にできていたんだから、あなたも同じように頑張りなよ」と感じていました。
でも「エネルギーの総量」ってそもそも人によって異なりますよね、当たり前なんですけど。
しかも僕の場合あまり人に興味がなく、基本一匹狼で生きてきたので、人間関係でエネルギーを奪われることが少なかった。
だから運よく多くのエネルギーを勉強に費やせたんです。
さらに僕の場合は勉強が好きだった。笑

それに気付いた時、「僕の『頑張る』を人に当てはめるって、めちゃくちゃ危ない」って感じたんです。
繰り返しになるけれど、一人一人エネルギーの総量は違うわけだし、置かれている環境も違うから。

もちろん人間頑張らないといけない時は必ず来ます。
ただ心にエネルギーがない状態で、頑張るのはやっぱり無理。
最悪本当に心が壊れちゃうし。
だからまずは心にエネルギーを貯めることが優先だと思うんです。

じゃあどうしたらエネルギーを貯められるのか?
月並みだけど、「休む」「好きなことをする」以上。笑

大人であれば、エネルギーが多少なくなって、心の弾性を失っても、ある程度頑張れると思うんです。
「仕事だから」って割り切ったり、そもそも関わる人間も限られてくるので。
ただ子どもって、特に公立の学校って選べないじゃないですか。
ヒエラルキーとか、スクールカーストがあるし、めちゃくちゃ大変ですよね。

僕への自戒も込めて、いやほとんど自分への自戒として書きますが、「なんで頑張れないの?」は、時に子どもを苦しめる。
それを「なにが原因で、頑張れないのだろう?」にすると、隠れた根っこが見えてきて、対処できるようになる。

「その事を忘れずにね」という自分宛てのnoteです。笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?