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自分の中の『豊かさ』ってなんだろう?

先日Twitterでフォローさせていただいている方が星空の写真を投稿していて、その写真を見た時ふと「僕が求める『豊かさ』って何だったっけ?」と感じました。


僕は東京生まれ東京育ちなので、物質的に非常に豊かな場所で暮らしていると思います。
そしてそれによって恩恵を受けてきたのも事実です。
しかし小中学生になる頃から「なぜ東京に住んでいるのだろう」と、自分の中で東京に住むことへの違和感が大きくなっていく感覚がありました。
「なぜ大人達はこんなにも疲れているのだろう」「なぜ電車で寝てしまう程に疲弊しているのだろう」と様々な疑問が膨らむにつれ、東京に住むことが息苦しくなりました。
そういった経緯もあって、大学は京都工芸繊維大に行くことにしました。
中学3年の修学旅行、そして宅浪直前に一人旅で訪れた京都はなぜか僕の心に残り続け、それが京都へ行く後押しとなりました。


大学では「東京にあれだけ多くの大学があるのに、なぜ京都に来たの?」と尋ねられることも多くありました。
彼らの中にはおそらく「東京=物質的に豊かな場所=遊ぶ場所や刺激がたくさんある」と言った等式が成り立っており、彼らにとっての豊かさは「都会に住み、好きなブランドの服を着て、遊ぶ場所に困らないこと」なのだと思います。

一方僕は東京で生まれ育っても(東京に生まれ育ったからこそ?)、「東京=物質的に豊かな場所=遊ぶ場所や刺激がたくさんある」と思えず、上記のよう事柄を『豊かさ』とも捉えられませんでした。
感覚で生きている僕には、物質的な豊かさがどうしても無機質に映るのだと思います。


先日長野を訪れ、小布施や戸隠神社に行ったのですが、その中で「自分にとっての『豊かさ』とは?」に向き合う時間・機会が多くありました。

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そして僕にとってのそれは「生活の中に自然があり、自然に囲まれた寺社仏閣があり、街に根付いた本屋があること」だと気付きました。
東京に戻って10年以上が経つので、そろそろ住む場所を変える時期なのかもしれません。

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