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第8回:想起すること/Erinnerung

こんちゃ!
今回も前回に引き続き、内容が重いです。そのため、いつもよりformalな形式で書いていきます。

いきなりだけど、あなたには忘れたくて仕方がない過去がありますか??
自分にはあります。何であんなこと言っちゃったんだろうとか、あの時の自分は幼かったとか、過去のことを振り返ると後悔が尽きない。
自分にとってはそんなこと忘れたい。でも、自分が取った行動によって、心が傷ついてしまった人がいるかもしれませんよね。

今回のタイトル、「想起すること/Erinnerung」は戦後ドイツの人間形成論を語る上で絶対に外せない人間観の根幹を成している重要な概念です。
第二次世界大戦期、ドイツではナチ党政権のもとでユダヤ人の大量虐殺が引き起こされたのはみなさん知っていると思います。

1985年5月8日、ヴァイツゼッカー大統領は終戦40年を機に以下の演説を行いました。アウシュビッツを再び引き起こさないために、ドイツ国民が如何にして過去に向き合うべきか、説いています。必ず全文読んでから読み進めてくださいね。

罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結にかかわりあっており、過去に対する責任を負わされているのであります。過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

ヴァイツゼッカー/荒れ野の40年

この文章を読んで、「想起すること/Erinnerung」ことが如何なるものか分かったのではないでしょうか。

僕ら自身が自分が過去の過ちに目を閉ざすことは、現在に盲目になることに繋がるってこの文章では表現されています。が、まさにそう。過去の過ちに目を閉ざすことは単なる「現実逃避」にすぎないのではないでしょうか。

でも、過去の過ちから自分自身を許して「解放」させてあげなきゃいけない。では、どうやって?

ここでも、戦後ドイツが歩んだ道を手がかりにしてましょう。
強制的な虐殺計画であるT4計画の立案場所には、この過ちを忘れないように以下の写真のようなモニュメントが建設されています。

https://de.wikipedia.org/wiki/Denkmal_der_Grauen_Busse より

ユダヤ人は強制収容所へバスにより連行されました。このモニュメントはその灰色のバスを表しています。
僕らが何気なくドイツの街中を歩いていても、このように記憶は都市の皮膚に刻み込まれ、我々に過去を「想起」するきっかけを与えます。

過去の過ちから自分自身を解放することができるのは自分しかいませんよね。そのためには、僕らは常に進み続けなくちゃいけない。
その際、過去を想起することで「未来ー今ー過去」の自分は全て引き続いて自分であるという自覚が芽生えます。それでこそ、僕らは強い思いを持って、前に進み続けることができる。

忘れたい過去、忘れてはならない過去。
僕らはたくさんの後悔を背負っていきている。時にはそれらに押しつぶされそうになることもあるかもしれない。
でも、僕らはそれらをすべて引き受け「想起」する責任がある。

あなたはこれから過去にどう向き合っていますか??

今日がみんなにとって素敵な日になりますように!!

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