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自己紹介というよりかは自分語り的な何か

はじめまして、関東の某大手SIerでインフラ系SEとして働いているユタカタといいます。

日常生活の中で感じたことやポエムっぽいこと(?)を記録するために、今更ながらnoteをつけてみることにしました。

今のところ自分用の備忘録的な形で使っていく予定です。多分。

それで記念すべき一発目のnote記事なんですが、パッと思いつくネタとか特にないんで無難に自己紹介(という名の自分語り)から書けば良くねという発想に思い至ったため、書いていきます。

以下、自分語り。

小学校

人見知りな性格や持病(喘息)、転校・引っ越しイベントなどが災いして、小学1年〜4年生の間は同級生と打ち解けられず、ほぼほぼ誰とも遊ぶことなく毎日家でコロコロカービィして過ごす。

なので小学校生活のおよそ3分の2は虚無と化していたというか、その当時の記憶はほぼない。あったとしても嫌な想い出しか残ってない…

その反面、小学5年生〜6年生はクラスメイトに恵まれたのか何なのか、きっかけは定かではないが毎日がとても充実していて、この時くらいに初めて学校に行くのが楽しいと感じるようになった。趣味はこの当時はデュエマとかスマブラDXとかしかやってなかったと思う。とりあえずめでたし。

中学校時代

地元の公立中学校に進学。

田舎の公立中学ということで、良い意味でいろんな人材がミックスされていて、毎日が動物園で楽しかったというのが正直なところ。

高校時代以降は、同級生で奇抜で狂っている人はあまり見かけなくなったため、そういう意味では貴重なコミュニケーション機会であったと考えられる。

部活動は運動部に所属していたが運痴のため3年間補欠として、主にベンチやコート外からの応援(野次馬)を頑張っていた。

まあ試合に出れないのは残念だったが部員との関係は気に入っていたのでなんとか3年間続けてこられた。あと当時はモンハンとかラノベとかにハマってた気がする。

勉強については中途半端に出来ていた印象。

中学時代の自身の偏差値は大体60前後くらいだったのだが、田舎ゆえ進学先の選択肢が偏差値62の高校か55の高校かもっと下しかなかったため、安牌の55の方に進学。

しかも最終的に受験倍率が割れるほど志望者が少なかったため、受験前の1ヶ月間は毎日遊んでしかいなかった。とりあえずめでたし。

高校時代

地元の偏差値55くらいの公立高校(自称進学校)に進学。

高校では入りたい部活がなかったため、中学の頃からの友達と同好会を立ち上げてワイワイやってた。

同好会立ち上げて1年目はただ楽しくワイワイやってただけだが、2年目からはガチ系の指導者が赴任した影響で、一般的な運動部と同じくらいの練習量になった。

なんだかんだで真面目に練習していた時の方が楽しかったため、赴任して来た先生には今でも本当に感謝している。

学校のイベントごとについては、中学の時よりもつまらなかった印象。

まず、私が所属していた高校には修学旅行というものが存在しないという(!?)

代わりに、スキー旅行というものがあったのだが、雪国なのでこれまで腐る程スキーは経験してきたわけで、目新しさのカケラもなかった。しかもスノボーは出来ずスキーしか許されていないという…この頃は偏差値もっと下の高校に進学して修学旅行に行けばよかったと本気で後悔していたぐらいには落ち込んでいた。沖縄とか海外行きたかった。

プライベートでは、ある夏の日Fate/stay nightを某大手動画サイトで見てしまった影響で、アニメに強い興味を持つようになり、この頃から着実にそっち方面へと趣味嗜好が開花し、深夜アニメの沼へとハマっていった

受験勉強については、中学の頃とは違ってかなり真剣に取り組んでいた(といっても部活引退した後の数ヶ月間のみではあるが)。

家計の事情で私立には進学できないことが確定していたため、国立大学合格に向けて毎日必死に勉強に取り組んでいた。多分、国立大学に合格していなかったら普通に就職させられていたと思う。

また、自身が高2か高3の時に親が鬱病を発症し、自宅療養していたのだが、その頃からなんとなく家の中での居心地が悪くなったため、1日の大半を学校や塾、図書館などで過ごすようになった(大体朝8時〜夜10時過ぎまでは常に外で勉強 or 暇つぶししていた)。結果として某国立大学工学部の後期試験に無事受かり次のステージへ。とりあえずめでたし。

大学時代

県外の偏差値55くらいの某国立大学工学部に進学。

家計状況が芳しくないこともあり、奨学金プラス授業料免除制度を駆使して学生生活をなんとか送っていた。

さらに、生活費を抑えるために学生寮に入寮したが、8畳2人部屋、20人で冷蔵庫×1・二口ガスコンロ×1・キッチン×1・洗濯機×1を共有(!?)、風呂トイレももちろん共用、部屋の中での冷暖房禁止(!?)、大学から大して近くないというこの世の終わりみたいな劣悪環境であったため1年で退寮した。この時の経験から、基本的に寮にはいいイメージを持っていない。退寮後は大学近くのアパートを借りて、一人暮らしサイコーを満喫していた。

サークルは運動系サークルの皮を被った飲みサーに所属していた。いわゆる典型的なウェーイw系のサークルであったため、結局肌に合わず幹部としての役割を終えてからは一度も行かなくなった。入学当初、見学したのはこのサークルのみであったため、もっと別のサークルも見学しとけばよかったなーと大学生活後半になって後悔することに。

また、サークルの脱退と同時期(確か大学3年生の7、8月くらいだったかな?)にバイトも辞め、さらに単位もほぼフル単状態で卒業要件をほぼ満たしていたため、大学にもまったく行かなくなった。

ではその空白期間中何をしていたのかといえば、外部の大学院進学に向けて院試対策を行なっていたのである(あとは深夜アニメとかニコ生とかプログラミングとかえっちなゲームとかその他諸々を嗜んでいた。というかほぼニートに近い生活をしていた)。何故外部の大学院に進学しようとしたのかについては、また別のnote記事で紹介しようと思う。勉強時間が無限にあったため、志望していた大学院には難なく合格。

そして、必要最低限の力を注いだ卒業論文を指導教員に提出し、大学の卒業式に出席せずに、春から通うことになる大学院のある地へとそのままフェードアウト。春休み期間中とか卒業式のあった日には単発バイトを入れまくり引っ越し費用代金の埋め合わせを頑張っていた。今にして思えば最後の別れくらいはサークルとか研究室とかに顔を出すべきであったかなと思う。

振り返ってみると外部大学院に合格したこと以外全然良いこと書いてないな。大学時代悲惨すぎ全然めでたくねぇ…。

大学院時代

都内の某国立大学院の情報系専攻へと進学。そして第一志望の研究室へと配属され、念願の大学院生活が始まった。

学部生の時とは違い、毎日研究室に顔を出し、ゼミやその他の空いた時間などに教授や博士課程、同期との議論に花を咲かせていた。

控えめに言って最高の環境であった。

自分の興味のある学問領域について他の誰かと議論をするというのが、こんなにも楽しいことであると、この時初めて実感した。わざわざ外部の大学院に進学して本当に良かった。

研究テーマ自体は、入学当初自身が思い描いていたものとは大きく外れ、修士2年の後半になって指導教員に大変迷惑を掛けてしまったが、最終的になんとか修論発表&学会発表を終えることができた。

また、就職した後に指導教員から「君の発表が学会優秀発表賞に選ばれたみたいで、賞状が研究室に届いているから取りに来て欲しい」といった連絡をいただき、後日研究室まで取りに行った。

後にも先にも、学生時代に貰った賞状はこれのみであり、自身の学生生活の集大成が形となって最後に表れたと勝手に解釈し、帰ってから涙腺が崩壊した。

そして進路について。

就職するか博士課程に進学するか。

これについてはさほど迷わずに就職を選択した。理由としては、周囲の博士課程の方を観察した時に「自分は数年後、この人たちと同じステージに立っているだろうか」と考えた時に疑問視されたし、さらには、修士1年の12月頃に「自分は研究が好きなのではなくて勉強が好きだったんだな」と自分の中で完全に結論が出たためである。

勉強好きと研究好きって似てるようだけど全然違っていて、前者と後者では難易度が段違いだということを当時は痛感していた(もちろん、後者の方がより高いレベルが求められるという認識でいる)。

結論が出てからは人並みにインターンし、人並みに就職面接を行い、人並みな結果で就職活動を終えることができた。文面から察せられるように、あまり深く考えずに行なっていたため、就職後に後悔するはめになる…。

あ、あと大学院の卒業式はちゃんと出席した。とりあえず大団円。

おわりに

文章を書くことに慣れていないのもあり、もっと短くまとまるかと思っていたが、想像以上に駄文を書くのが好きだったっぽい。

本当は経歴だけじゃなくてもっと色々書こうと思っていたけれど、長くなりすぎだし疲れたからここまでにしときますぅ⤵︎

ではでは。

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