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ふたつを同時に愛する

連続して行われたハードなミーティングをふたつ終えた私たちは疲れ切っていた。ずっと喋り続けた私もそうだし、横でメモをとり続けていたアシスタントは、もしかすると私よりも疲れていたかもしれない。

ミーティングの振り返りもしたかったので、とりあえず近くのカフェを探すことにした。夕方の新宿は平日にも関わらず人で溢れかえっていた。とりあえずコメダ珈琲に向かったが、思いがけない行列に出くわし早々に諦めることにした。

ふと、近くに老舗の喫茶店があることを思い出した。ただ、何度もその前は通ったことがあるのに一度も中に足を踏み入れたことがなかった。チェーン店は多分どこも混んでいるが、老舗の喫茶店ならばきっと空きがあるだろう、と考えた私は、これをいい機会に、とそちらに向かうことにした。

このようにして私たちは『名曲・珈琲 新宿らんぶる』に辿り着いた。外観に比して地下は広く、「老舗の喫茶店はかくあるべき」といわんばかりの店内は空いた席こそあったものの予想以上に賑わっていた。


着席する時、私は奥にケーキのショーケースがあることを見逃さなかった。

ケーキ、か…(一応)ダイエット中の私の頭の中を、その瞬間ある考えが駆け巡った。


なぜダイエットをしている時は、ケーキを食べてはいけないのだろうか。

ここ最近、『もう一人、誰かを好きになったとき』(荻上チキ)という本を読んでいる。たまたま本屋で手に取ったこちらの本、いわゆる「ポリアモリー」に関する内容だ。細かいことについてはぜひこの本を読んでいただきたいのだが、大雑把にいうとポリアモリーとは「複数の人と同時に交際する形式」(荻上チキ『もう一人、誰かを好きになった時』より抜粋)のことを指す。ネットでこの言葉を検索すると「当事者全員の合意の上で」のようなことが定義として書かれていることが多いが、この本を読むとその定義はあまり正しくないように思う。というのも、読み進めていく中で、この「ポリアモリー」というのがLGBT等の性自認に近い概念のように思われてくるからだ。よって、「当事者全員の合意」という他者視点は本来は介在しえないはずだし、そもそも「全員が合意しないとダメ」のような“社会規範”を持ち込むというのも違うように思えてならない。

私自身はポリアモリーという自覚はないものの、恋人に私の人間関係を制限されることに常々疑問を抱いていた。なぜ彼女ができたら女の子とふたりで食事に行ってはいけないのか、私にはよくわからなかった。以前そのことで当時付き合っていた彼女に怒られた際、「それじゃ私が男の人とふたりでご飯に行ったら嫌じゃない?」と尋ねられ、「全くもって嫌じゃないし、何が問題なのかさっぱりわからない」と回答したら、火に油を注いでしまったことがある。

そんなわけで、恋愛と社会規範については常々興味があった。そんな私の興味関心が本を手に取らせたのかもしれない。もうすぐ読了するが、様々な発見があり、大変有益な読書となった。


私たちが当然のこととして遵守している社会規範によって、ある一部の人は虐げられているのかもしれない。LGBTなんかがいい例だろう。社会を運用していくにあたって、どこかしらの線引きは必要なのかもしれないが、時代の変化に合わせて、その線を常に引き直すために各人が知見を深め議論していくことは重要なことであると思料する。


そう、線は引かれ直さねばならない。

ダイエット中にケーキを食べることの、何が悪いのだろうか。そんな“社会規範”を、席についた私は疑い始めていた。ダイエットとケーキを同時に愛する“ポリアモリー的”なスタンスがあってはいけないと、誰が決めたのだろう。

「ブレンドコーヒー…

と、ショートケーキ」

私は、誰が決めたかわからない社会規範を、乗り越えることができた。自分で自分を褒めてあげたい。


このように私は、自由になり、そして肥えてゆく。


え…?


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