見出し画像

うどんを食べに行ったら流れ星が見えた話

これは「高校の部活あるある」なのかはよくわからないが、私が高校で陸上競技をしていた時にはいわゆる「名物保護者」がいた。誰よりも大声で応援していたり、強い選手には誰彼構わず声をかけたり、と、選手よりも張り切っている保護者のことを指す。

例えば私の記憶に残っているひとりは、佐賀県内の某陸上強豪校の保護者(そういえば誰の父親だったのか私は知らない)で、その学校の応援団長のような存在に(多分勝手に)なっていた。その学校の選手がスタートラインに立った時は、大声を張り上げ、他校の選手を圧倒せんとするような声援を送っていたことをよく覚えている。

そんな彼の存在を、私たちは「せからしい」と感じていた。九州弁で「鬱陶しい」のような意味合いだ。なんなら応援される側も小っ恥ずかしかったのではないだろうか、と勝手に思っているが、どうだったのだろう。

佐賀県の高校総体の男子100メートル決勝、優勝は私でその「せからしい保護者」に散々応援された選手は2位だった。

これは後で聞いた話なのだが、その保護者はレース後に「◯◯(2位だった選手)、ばんざーい!」と叫んだ後に、「渡辺裕太、ばんざーい!」と大きな声で私にエールを送ってくれたらしい。それを聞いた私の監督は「せからしかけど、いい奴ではあるな」と苦笑いしていた。残念ながら、私はその彼のエールを実際に聞くことができなかった。

そう、その手の「名物保護者」は、結局のところいい人なのだ。


高校の卒業式の日、部活の後輩が私にDVDをくれた。そこには私があらゆる大会で走っているところを撮影した動画が収められていた。先の人とはまた別の「名物保護者」が撮影し編集してくれたものだった。それを私の後輩に託して、卒業のサプライズプレゼントとしてくれていたのだ。

その名物保護者は、彼女の息子が走るほぼ全ての大会に来て、大きな声援、動画撮影、競合選手への声掛け、と、どの保護者よりも熱く観戦していた。私もある時に声をかけられてからいつの間にか顔馴染みになっていた。「肝っ玉母ちゃん」的な彼女のキャラクターも相まって、多分あの当時佐賀県で陸上をやっていた人は皆彼女のことを知っていたはずだ。

親元離れて佐賀の全寮制の学校に通っていた私は、親に走っている姿を見せたことがほとんどなかった。彼女はそれを可哀想だと思ったのか、こっそり私のレースも撮り溜めていたようだ。DVDを見返してみると、彼女が私を応援する声が聞こえてくる。学校も違うし、彼女の息子にとっては私はライバルであるにも関わらず、だ。

そんなわけで、彼女とは高校卒業後も交流がある。仕事で佐賀に立ち寄る時は連絡して、時間さえ合えばご飯に連れて行ってもらっている。


そんな彼女が、家業のうどん屋を廃業する知らせを出したのが2年半ほど前のことだった。記録的豪雨による浸水が短い期間で2回あった影響で、機械が使えなくなってしまったのだ。親子3代続けてきたうどん屋だったが、再建を断念した。

何かしてあげられたら、と考えていたが、地理的にも離れていたし当時の私はçanomaを立ち上げたばかりで自分のことで手一杯だった。気持ちがあったことは嘘ではないが、結局何もできずじまいだった。そのことがしばらく心残りだった。

廃業後自由になった彼女は趣味の神社巡りに精を出していた。Facebook越しに見る彼女の元気そうな姿に安心しながらも、私はどこか“一抹の寂しさ”のようなものを感じていた。

だから、今から1年ほど前に「もしかしたらもう一回うどん屋できるかも」という話を彼女がした時は、自由を謳歌する彼女の姿を見た時以上にホッとした。そして、オープンしたら早々に食べに行こう、と密かに決めていた。


オープン日は2月12日だと知らされたのが1ヶ月ほど前。私はうまいこと出張のスケジュールを入れて、オープン翌日の2月13日に立ち寄れるように仕込んだ。もちろん、事前には行くことを知らせなかった。驚かせてやろうと思ったのだ。もしかしたらその日の夜、ご飯も一緒に行くかもしれなかったので、仕事の用事は少し離れたところだったがあえてうどん屋の近くのホテルで一泊することにした。

12時ごろにうどん屋に到着すると、店の周りには人だかりができていた。結局1時間近く待つことになった。食券機で「肉ごぼう天うどん」を買って、2人がけのテーブルにおじさんと相席でうどんの到着を待った。

私の席からはちょうど厨房がよく見えた。彼女はうどんを湯掻きながら各スタッフに指示を飛ばしていた。まだ私には気づいていない。

スタッフのミスで彼女が厨房から出てきた時、彼女と目が合った。彼女は大きな目をさらに大きく開けて一瞬だけ驚いた。そしてすぐに仕事に戻っていった。

少しだけ落ち着いたタイミングで言葉を交わし、その日の夜にご飯を食べに行く約束をした。その後に出てきた「肉ごぼう天うどん」はもちろん美味しかった。


その日の夜は思いがけない話をたくさんした。廃業の経緯や再開までの道のり等、想像とは全く違った物語がそこにはあった。

今回はうどん屋再開のお祝いのつもりで来ていたこともあり、私が食事代を払おうとすると、「息子に払わされん」といってそれを遮った。


「空を眺めなさい。空はいいよ」

彼女は私に、そんなことをいった。お店を出た私たちは、駐車場から夜空を眺めた。ほっそりとした新しい月が眠そうだった。


宿泊先まで車で送ってもらい、おやすみをいってわかれた。ホテルに戻った後に近くの温泉に向かった。珍しくサウナに入って汗を流し、露天風呂の横で外気浴をした。

先の言葉を思い出して、ふと空を眺めてみた。湯煙と近視が相まった中でも星がきれいに見えた。私はそれを、サウナでぼーっとした頭でぼんやりと眺めていた。

オリオン座の下を真横に長く走る流れ星が見えたのはその時だった。あんなに大きくはっきりとした流れ星を見たのは久しぶりだった。きっとその場にいた人でそれに気づいたのは私だけだった。

そう、空を眺めなければならないのだ。


ということで、武雄に行った際にはぜひ「かま蔵うどん」にお立ち寄りください。私はしっかり“回し者”だけど、私は彼女に恩があるし、その上とっても美味しいので、ここで宣伝させていただく。

「かま蔵うどん」をどうぞよろしくお願いいたします。


【çanoma公式web】

【çanoma Instagram】
@canoma_parfum

#サノマ
#香水
#フレグランス
#ニッチフレグランス
#canoma
#canoma_parfum
#パリ
#フランス

この記事が参加している募集

部活の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?