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子供はまだ先になるのかな

友人と道を歩いていたら、ウサギ専門のペットショップの前を通りかかった。通りに面したショーウィンドーからは何匹かのウサギの様子を伺うことができた。身体を伸ばしてのんびりくつろいでいる子、一生懸命水を飲んでいる子、隅で小さくなっている子、などなど、それぞれ思い思いの過ごし方をしていた。犬や猫が中心のペットショップと比べると、全体的にウサギはおとなしい印象を受けた。

可愛い動物は大好きなので、なんなら抱っこだけでもしたいとは思うものの、ペット禁止の物件に住んでいることもあり、あえてペットショップには入らないようにしている。そもそも冷やかしになってしまうし、もしどうしても飼いたくなってしまったら大変だ。ただその日は、友人がちょっと覗いていきたいといったので、それに便乗する形で入店することになった。

中は動物特有のあたたかみと重さのある香りが漂っていた。全体的にウサギたちはおとなしく、皆静かだった。給水機から水を飲むカタカタという音がはっきりと聞こえるくらいだった。

私の友人でウサギを飼っている、あるいは飼っていた人を何人か知っている。Instagramでたまに上がってくる動画なんかを見るとやはりおとなしそうにしていた。ウサギはきっとそういう動物なのだろう。そういえば数年前に当時付き合っていた女の子とウサギカフェにいった際も、同じような感想を抱いた記憶がある。

隅っこにちょこんと座って鼻をむぐむぐさせている薄茶色のウサギにどことなくシンパシーを感じた。もし私が飼うならきっとその子だと思った。仲良くなれそうな気がする。

結局抱っこもせず店を出た。それ以上店に滞在していたら本当に飼いたくなってしまっていたかもしれない。危ない危ない。


ふと、ペットは飼い主に似るのだろうか、という疑問が湧いてきた。私はペットを飼ったことがない。友人の犬や猫を預かったことは何度かあるが、どの子もすごく似ている、という印象は抱かなかった。ただ、ペットを預けてもらえるくらいの関係性なので、そもそもそれらの友人たちと私はかなり親しくしており、そんな彼ら彼女らのペットとも預かり始めてすぐに打ち解けることができたことを鑑みると、根本的な性格は似通ってくるものなのかもしれない、とも思う。

もし私がペットを飼ったら、その子はどんな性格になっていくのだろうか。おっちょこちょいで甘えん坊の気分屋で、基本的にはおとなしいけど淡々とよく喋る、といったところだろうか。


ペットと子供を比べるべきではないかもしれないが、ペットが飼い主と似るのであれば、子供も当然親と似てくるだろう。だとしたら私の子供は、怠惰でルーズ、気分屋のわがままになってしまいかねない。ペットだったら許容されるだろうが、子供のこととなるとひどく無責任なような気がしてしまう。そんなわけで、私はまだ子供を持つことができない。そもそもそのための相手もいないので、杞憂でしかないのだが。

ただ、36歳になった今でも親になる準備が整っていない、と感じるのであれば、この先もずっとそう思い続けるようにも感じている。いつになっても「自分に親になる資格はない」と考えてしまうような気がするのだ。

繰り返しにはなるが、今は独身なのでそもそも子供を持つべきかについて考えること自体がナンセンスだ。とはいえもう36歳、もし私が本当に子供を持つという選択をするとしたら、そう遠くない未来のこととなるだろう。


母は死ぬ間際、できることならば子供を作って欲しい、と口にした。その理由を彼女は明確にはしなかったが、きっとそこにはなんらかの意味があったはずだ。

母は今まで私を上手に導いてくれた。だからきっと、子供を持って欲しい、という彼女の希望が成就されるとき、それは私にとっていい影響をもたらすだろう。

もし本当に子供を保とうと思ったら、まずはもっと自分自身を律しなければならない。あるいは子供を持つことを意識するというのは、そういうことなのかもしれない。

いつになったら私は子供を持つ資格を、私自身に与えることができるのだろうか。本当にそんな日はくるのだろうか。


ペットショップのウサギたちは、私にそんなことを考えさせてくれた。彼ら彼女らは、思いがけず雄弁だった。


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