わが故郷八王子
ロードバイクを買ったからには、100キロくらい走らないと、と思い、日曜日にあきる野市にある秋川渓谷まで行ってみた。片道50キロちょっと、行きと帰りでルートを変えて、結果的に合計110キロ走った。
結構ハードだったが、やってやれんことはない、というのが正直な感想だ。ロードバイクに慣れてくるともっと楽にいけるのだろうか。引き続き鍛錬していきたいと思う。
朝7時半すぎに家を出て、途中で朝食を食べたり休んだりしながら、4時間ほどで目的地に到着した。秋川渓谷では川に入って身体を冷やし、温泉に入って汗を流し、お昼ご飯を食べて英気を養った。
午後2時ごろに秋川渓谷を出発した。帰りのルートは八王子を経由することにした。
両親はどちらも九州出身で、私自身も中高6年間は佐賀県にいたが、私の出身地は八王子である。住んでいたのはJR八王子駅、豊田駅、日野駅のそれぞれからだいたい同じくらいのところに位置する甲州街道沿いの団地だ。秋川渓谷からの帰宅のルート検索をしたところ、ちょうど私が住んでいた団地の前を通る経路が表示されたので、少し遠回りにはなるがそのルートで帰宅することにした、というわけだ。
八王子方面に向かう途中、河川敷を走るコースをとった。川の名前は「浅川」。私が生まれてはじめて覚えた川の名前だ。ここをまっすぐ進むと、「大和田橋」と交差するポイントに辿り着くはずだ。八王子駅までの行き帰りで、この橋を何度渡っただろうか。私の心は早くも郷愁に駆られはじめた。
大和田橋に差し掛かる頃、それまでの“よく知らない道”から突如として“馴染みのある風景”へと変わった。胸が高まった。昔と変わっていない、よかった。
帰路とは反対になるが、せっかくなので一度八王子駅も寄ってみることにした。駅の地下駐輪場に自転車を止め、休憩がてら少しだけ散歩をした。
駅周辺はちょうど1年ほど前に一度来ていたので、記憶に新しかった。そこには八王子ならではの独特な雰囲気があるのだが、それはそこにいる人々のためなのか、それとも街が持つ空気からくるのか、いまだによくわからないでいる。
駅から甲州街道沿いに自転車を走らせた。変化が全くないわけではないが、それは記憶の中の街並みとさして変わらなかった。改めて大和田橋を渡り、「とうふ屋うかい」を越えると私が住んでた建物が見えてくる。家の前まで行ってみると、そこに漂う匂いまで含めて昔のまんまだった。
住んでいた家に通じる入り口付近に行くと、脳裏を母の面影が掠めた。それは昨年死の淵にいた時の姿ではなく、私が忘れかけていた、まだ若く、溢れんばかりの愛と情熱をもって子育てに臨んでいた、あの時の彼女だった。母は笑っていた。白と青のボーダーのニットに、濃紺のスカートだった。
それは刹那の出来事だった。私自身も、その瞬間だけは子どもに戻っていた。
あの頃からずっと、大好きだった。
近所にはふたつ公園がある。「ブランコ公園」と「ぞうさん公園」だ。日曜の夕方なのに誰も遊んでいなかった。私が住んでいた頃はそんなことはなかったはすだ。
通っていた小学校まで行く途中、ふと、私が住んでいた地区が都営住宅や公団住宅ばかりであることに気づいた。私が住んでいたところももちろん公団住宅だった。小学校の同級生のほとんどがそういったところに住んでいたはずだ。
そのように考えると、実は私はかなり特殊な環境で生まれ育ったことになるだろう。経済格差が限りなく少ない人々と一緒に、八王子を離れるまでの12年間を過ごしていたのだ。
甲州街道に戻り、帰宅を急いだ。右折すると豊田駅方面となる交差点の信号が赤に変わるその前に駆け抜けないと、私はもう八王子から逃れられないような気がした。私はその日一番必死になってペダルを踏んだ。
ギリギリで赤に変わる前に交差点を突っ切った。少しずつ離れていく八王子を尻目に、私は安堵した。
家に到着したのは夜6時ごろだった。シャワーを浴びた後、八王子の空気を払拭したかったのだろうか、疲労困憊の中、どうしても渋谷に出たくなった。あてもなく渋谷に行き、少し歩き、ラーメンを食べて家に帰ってきた。
八王子のことについては、実は書きたいことがたくさんあるが、どれもこれもうまくまとめることができないでいる。もしかしたらまた近日中にnoteに書くかもしれないし、書けないかもしれない。
確かなことは、私はまたあそこに戻ることになるだろう、ということ。この日は八王子から逃れることができたが、きっとあの街は、私にずっと、ついて回っているのだから。
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