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米国コロンビア大学院合格までの道〜ほぼ自己紹介編〜

はじめまして!Yutaといいます。

この度、思い切ってnoteを始めてみることにしました。完全なる思いつきですし、思ったことをなんとなくメモしていこうという軽いノリではじめてみました。ちょっと近い友人とかにみられるのは恥ずかしいので、友人・顔見知りはここでブラウザバックしてください(笑)。新規層のみなさま、国際協力教育、そして大学院留学などに関してつらつらと書いてみたいと思いますので、ご関心のある方は気軽にご覧ください。

というわけでタイトルにもある通り、私はTeachers College, Columbia University(通称コロンビア大学)の大学院で、International Educational Development(国際教育開発)の修士プログラムに合格いただき、今年2023年秋より大学院生になる予定です。

先日とある後輩に「途上国で勉強するんですか?」と聞かれましたが、そのコロンビア (Colombia🇨🇴) とは違います(笑)。留学界隈や米国では有名ですが、「アイビーリーグ」といういわゆる日本の旧帝大に当たる大学群の1つで、アメリカ・ニューヨークのど真ん中にある大学院です🇺🇸

先日発表されましたが、私が行くTeachers College(以下、TCと略します)は、2023/24年アメリカの大学ランキング教育部門にて1位を獲得するなど、世界の中でもトップ権威的な大学院とも言えます(ランキングの正当性に関しては触れずにいきます、、、笑)。

ここまで聞くと「わぁすごい」となるかもしれませんが、本当に大学がすごいだけだと思っています。というのも、私自身そんな最強のバックグラウンドを持っていないからです。これといって特出した才能もありません。唯一誇れるのは、身の程知らずで行動を起こせるところだけだと思います。

今回は、「こんな私が今までどんな道のりを歩み、何を目指してきたか」お話できればと思います(具体的な受験対策についてはまた別の機会でお話しできれば)。

「教育で国際社会の平和を目指す」少年

ナゾの正義感をもった田舎中学生、爆誕

私が国際社会に目を向けるようになったのは、中学生の頃。厨二病だった私はミリタリーファンで、サバゲーなどにハマっていました。当時スマホを持たなかった私は「チャレンジタブレット(進研ゼミの電子機器)」でYouTubeにアクセスし、米兵が銃をぶっ放す動画を漁ってたわけですが、そこで偶然にも9.11米国同時多発テロのドキュメンタリー映画を見たのが全ての始まりでした。

国際政治を揺るがすほどの衝撃を与えた、同時多発テロ。自分が大好きなアメリカが見る見るうちに壊れ、人が落ち、家族は泣き叫ぶ。そんな惨状を見るうちに、謎に「これはなんとかしなくちゃ」と思うようになりました。私の人生の物語は、そんなナゾの正義感から始まったのです。中学生ながら、国際平和のためには中立的な最強権力が必要なんじゃないかと思い(笑)チャレンジタブレットで「国連」というワードに行きつき、学校では国連職員の緒方貞子さんの本を読み、何気なく平和について調べるようになりました。

そして、次第に両親にも私の夢を話すようになり、ある時父親にこんなことを言われました。

世界には、戦争を使って儲ける人がいる。武器のビジネスは儲かるし、誰もそれを止めることができない。だから、戦争や紛争は止められないよ。

「へぇ〜」と軽く流したのですが、その言葉がしばらく頭に残りました。

「だったら、武器を持つ人をどうにかすりゃいいんじゃない?」そんなことを思ったら、「教育」という言葉に辿り着きました。そして、田舎中学生は次のように考えました。

「そのテロと起こす人やら武器を持つ悪者に、道徳を教えて、暴力はダメだぞと伝えりゃ、武器は使わないだろうし、平和な世界に変わるんじゃないか?」

その疑問は、高校生になってからも同じでした。少し歳を重ねてある程度現実が見えるようにはなりましたが、それでも「教育の力」なるものを信じていました。今となっては、無知でもあり、日本人ならではの「平和ボケ」でもあったのかなと思いますが、原点はこの思考です。

高校卒業後は、その問いを考えるために名古屋大学教育学部に推薦入学。国際社会文化コースで教育学を専攻することに。あえて推薦と書いたのは、真正面からオツムで勝負していなかった、ということです。

大学での絶望と国際協力系サークル

大学入学後すぐにぶち当たった壁。それは「貧しい国の教育?そんなんむりやろ(笑)」となったことです。

1年生で国際関係入門の講義を履修していた私は、ヨハネ・カルトゥングの「直接的暴力」と「構造的暴力」の概念に出会います。素人目線で超簡単に説明すると、テロや紛争、戦争などの暴力が人々に被害を与える「直接的暴力」であるのに対し、「構造的暴力」は、政治・社会の構造が貧困を生み、システム上の暴力が誰かに何かしらのクリティカルな被害を及ぼすということです(間違ってたらコメントください)。

つまり「暴力」と定義づけられているものは「暴力そのもの」だけではない。同時多発テロで「悲惨だ、かわいそう」となったあの「暴力」は、ごく一部の「目に見えやすい暴力」でしかないと気付いたのです。

そして何より、教育は大した社会的インパクトを持っていなかった、あるいは「見える化」しにくいということ。数学の能力や社会科の知識など、テストで測ることのできる「認知的能力」なるものは、データによって有効性が証明できますが、コミュニケーション能力、相手に優しく接する性格、非暴力的な方法で問題を解決する能力など、テストで測りづらい「非認知的能力」は、数値化しづらく、明確に効果があると言うのは難しいのです。そして、もはや教育はそれを支えるインフラや社会制度が不可欠であり、教育によって人を変えるなど、もってのほかだった。

じゃあ「構造的暴力」からなんとかせねば!!と思った矢先、国際協力系のボランティアサークルに出会います。2010年代に流行った、国際協力ブームで発生した社会貢献活動的なものの一つに、単純な私は惹かれました。そして、入団して2年後、某感染症が世界を狂わせる最中、学生団体の代表に就任しました。

そこで「教育開発/協力」に片足を突っ込んだ経験が、直接的な動機になっていますが、話がかなり長くなるので次の更新でお届けします。

海外志向、アメリカ大好き人間

英語能力や海外経験について

ニューヨークを堪能する筆者と母

私の初海外は3歳で行ったアメリカでした。もともと母親は純ジャパですが、生まれはカリフォルニアであり、当時の母は、アメリカ時代の友人宅によくステイしていたため、私の産後もよく渡米したのでした。

母は日本国内で、たった6年の渡米経験と英語力を活かし、地域の英会話レッスンを開いていました。息子の私も参加し、そこで多少なりとも英語を習いました。

「はいはい、なーんだ昔からやってた系ね!」となっている、そこのあなた!

違います。確かに英語には「触れて」いましたが、出来上がった言語能力のベースは発音の綺麗さくらいで、今流行りの「おうち英語」に比べたらミジンコレベルの英語力でした。ただ、この経験を通して海外の人に英語が伝わることの面白さはすごく体験していました。5歳で、Blue~!と言ったときにアメリカ人に「青色が好きなの(笑)」と返答されたのが、すっごく嬉しかった。英語のバックグラウンドに関しては、それだけです。

別に英才教育を受けたわけでもなく、地方の小学校・中学校・高校でのんびりと青春していただけなので、留学界隈の他の方と比べても、それほど強いバックグラウンドがあるわけではないのです。

2度の留学断念と母の失言

特筆するまでもないかなと思ったのですが、、、。唯一海外志向が始まったのは、中学生で体験したオーストラリアのホームステイ研修でした。地元の国際交流協会が企画したこの2週間の海外経験を通して、厨二病で内向的な私の性格が真逆になりました。おそらく英語でのコミュニケーションや成功体験によって自信を獲得できたのだと思います。帰国後に生徒会長をやったりして徐々にアクティブになり、また「海外で生活してみたい」という気持ちも芽生えました。単純だった私は、英語圏での追憶がかなり美化されていたのです。

しかし、そんな私の目標は2回へし折られます。高校で「トビタテ留学プログラム」に応募するも書類落ち。そして、大学2年次でアメリカへ交換留学の内定が決まるも、某感染症で水の泡に。

中学時代から海外志向だったので、「8年後、待ちに待った大学での留学ライフ」の断念は流石に悔しかった。嘆く私をみて、母は「なら、大学院で行けばいいんじゃない?」と言いました。

母は完全にテキトーに言っていたらしいんですが、この失言で息子は今までないフルエンジンがかかりました(笑)。就職活動をほぼ無視して、じわじわとアメリカの大学院受験を始めるようになりました。

「夢、諦めかけ」な人たちへ

まだまだ書き足りないですが、、。長いので今回はここまでとしたいと思います。今回、皆様に何をお伝えしたかったかと言うと、

コロンビア大学なる最高水準の大学院であっても、別に受かる人は「天才」と言うわけではない。

ということです。多分これ、一番大きな「あるある」なのではないでしょうか。そもそも我が国で「天才」とされるものは、大衆の解釈は「=有名大」で、学力試験という特定の尺度でしか測られていないので、別の尺度で見れば、それはまた別の「才能」が存在しうるのです。故に、例え勉強が苦手でも、海外大はこの限りではないため「学力基準」で諦めることはないのです。

実際、地方でぬくぬくと育ち、さほど海外経験も多くなかった大学生の私が、受かっています。ぶっちゃけた話、私はさほど勉強が好きではありません。英語も足切り最低限レベルですし、友達と飲んで遊んでエンジョイする方がよっぽど好きな、ごくごく一般の大学生です。

ただ、今回コロンビア大学院の合格に受かった勝因は、強い行動力があったことと、新卒・フルタイム職歴ゼロでも、それなりに一貫性のある経験を積み、それなりに論理的な志望動機があったこと。そしてシンプルに、目標を諦めず努力したことだったと思います。私は、私の夢と人生で成し遂げたいことに忠実に突き進んだ結果、今回TCとご縁があったのです。

次回、実際大学時代にどんな経験を積み、それがTCにどう繋がったか、より詳細にお伝えできればと思います。


ご覧いただき、ありがとうございました。ごく稀ながら、留学や国際協力に関して呟いたりしておりますので、ご関心のある方はTwitterをフォローいただければと思います。


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