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時は金(より価値あるもの)なり

「時は金なり」(英語ではTime is money)という言葉を聞いたことがある人は多いだろう。この表現の使い方についてGoogle検索してみると「時間はお金と同様に大事なものなので、時間を無駄にしてはいけないという意味」という説明がまず出てきた。時間を無駄にしない、という点には文句はないが時間とお金の価値は「同様」なのか?

以前SNSで流れてきた動画で、あるインタビュアーが街ゆく人に声をかけ、「明日目覚めないかわりに1億円あげるといったら、受け取るか?」という質問をしていた。全員が「受け取らない」と答え、結論は「ということはあなたの明日には1億円以上の価値があるということだ」というものだ。

まず結論からいうと、私は「時間はお金よりも価値がある」と思っている。

これはお金で買えるものと買えないものを考えてみると分かりやすい。まず、お金で買えるものは、食料/ドリンク/携帯電話/車/家etc。いわゆる「モノ」(物質)と呼ばれるものだ。

ではお金で買えないものは何か?
健康、愛情、信頼、経験、知識、そして時間。

当然これ以外にも色々あるが、簡潔には「コト」(非物質)とまとめられるかもしれない。具体的には、健康にいいサプリメント(モノ)は買えるが健康(コト)は買えない。旅行に行くための航空券(モノ)は買えるが、その地での経験(コト)は買えない。

コトの例のひとつにあげた「時間」は、最も扱いが難しいと思う。なぜなら、時間は誰にでも平等に与えられていて、誰も早く進めたり遅らせたりできないからだ(例えば「健康」は、生まれつき体が弱い人もいる)。だからこそ、その価値を認識してうまく活用することが大事なのである。

では時間の価値はいくらなのか?
上の例で、「あなたの明日は1億円以上の価値」と述べたが、同じ質問を2億円、3億円と数字を変えて聞いてみるとどうだろう。さすがに1兆円となると現実味がなくなってしまうが、それでもほとんどの人が「明日目覚めること」を望むだろう。つまり、時間の価値を示すこれという金額や数字はないのである(=プライスレス!)

もう少し自分たちに近い問いを考えてみる。
「高い給料を得るかわりに時間を失う」場合、この仕事を続けたいだろうか?もちろん内容自体が好きで、そこに時間を使いたいという場合は除くが、そうしたwin-winの関係であることはそう多くない。
一方で、「なんでもいいから高年収」「とにかくお金がもらえる仕事」という目線で考えている人も少なくないのではないか。個人的には、たくさんお金をもらってもそれを使う時間がなければ無意味だと思っている。

時間はお金で換算できないのだから、もっと自分の将来と向き合って、自分の興味のあること、自分が存在意義を感じられることに挑戦していける、そういう個人でありたいし(自分への戒めも込めて!)、それを支える社会があってほしいと思っている。


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〈以下、私の想い〉
私は金融機関で働く者として毎日相場を見ています。
今年は強烈な円安と、日本株の上昇が顕著だったと思います。ただ日本株が買われた理由としては、円安によって海外投資家から見たときに割安に見えたからと言われています。つまり、日本経済の成長を期待したわけではなく、単に割安だから買ったというわけです。
私はこの一件で、日本経済がこのままだとヤバイと危機感を覚えました。そこで、私の持っている投資に関する知識を使って、日本の人たちがもっと投資に興味を持てるような活動をしたい、と当初考えました。
ただ、よく考えると、今日本の人たちがより必要としているのはそうした投資の知識ではなく、持っているお金をどう使って何を成し遂げたいか、ということを考える機会なのではないかと思いました。
お金と向き合うことがなんとなくタブー視されるこの国で、目的を持ってお金を使い、自分の人生にもっと意味を見いだすことができれば、もっと皆が楽しく暮らせるのではないかと。そうして人々が活性化すれば経済にも波及するはずだ、と思っています。

ただ、自分にできることは何か分からず、とりあえずこのNoteを始めてみました。今日は少し哲学的な話になりましたが、お金と時間の関係について思うことを書き留めてみました。


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