Yusuke
ゆっくり自由気ままに生きたい2人の生活記録を更新していきます。 水曜日更新→五つ葉 土曜日更新→Kondo
・ボクが現実世界から受動的に「見た」「聞いた」ことなんかを思ったままに書き出しています。
感情の赴くままに時々更新
とても久しぶりの投稿になる。 ここ最近の出来事で言うと、東京に出ててきてから2、3ヶ月が経った頃だ。住んでいるシェアハウスにも少しずつ慣れてきた頃合いで、住人とも仲が良い。 ただ、知り合いも友達も仲間もいないこの土地で、とにかく人に出会う確率をあげるべく、この数ヶ月は色んな場所に出向いては顔を覚えてもらうように動いていた。 その甲斐あってか、さまざまな場所で話を聞いてもらったり聞かせてもらう機会を頂けた。 本屋やカフェなど、どこにでもあるようなありきたりなお店ではなく
愛知にいった。仕事といえば仕事だ。 2度目の愛知、そして名古屋。どことなく人間味が漏れ出てる。すれ違う人からどことなく漂う人間味臭。 嗅覚がコレだ!と起き上がる。 2週間弱は東京に滞在していただろうか、鼻が、目が、耳が、舌が、感覚の全てが東京サイズに収まっていたらしい。 いかんいかん、なにしてんだオレ。 東京も愛知も関係なく、行き交う人の片手には6インチの光る物体。 見事な速さと正確さで何かを打ち込む華麗な指さばき。 どこで習得したのか。 だるさを押し殺して乗
思えば遠くへ来たもんだ。読書、ラジオ、音楽、映画、どれも1人でできてしまうことだらけだ。たった今、近藤康太郎の百冊で耕すを読んでいるところだ。 孤独であることの強さを全面、真正面から肯定してくれている。 自分もそうだったのかもしれない。 楽しいから、面白いから、知らずに没頭してきた。 誰かにこの面白さを知って欲しい、そう思うけど伝わらない。当たり前と言えば当たり前だ。すぐに伝わるわけじゃない。そうやって受け入れていく。 相手を知るためにはまず己から。そういった類のコ
人間が読み取る情報は実に様々だ。 今の時代、スマホやインターネットで探している情報はすぐに見つかる。 だが、真の情報はそんなところに転がってたりやしない。本当に手にしなければならない情報は人の営みの中にあると信じている。 誰かの経験、体験、そういったモノから相手のフィルターを通して、声色、表情、しぐさ、目に見える情報を自分の中にある知識、考えをミックスさせることで、一種の相乗効果が生まれる。 それこそが真の情報の行き着く先であり、答えである。 誰もが自分にできないこと
変わる 変わる 変わる 景色が変わる 見えている景色が 感じる景色が 思う景色が 濃くなってゆく 薄くはない 濃度が増してゆく キレイ 汚い そういったものとは域が違う 境界線を越える 飛ぶ 跳ぶ 翔ぶ 力を込めるふくらはぎに熱がこもる 暑く アツく 熱くなる もういない
東京にきてからいく日が経った。もうコワイと感じることは少なくなった。 街の集合体であるから。人の集合体だから。 細分化してみればなんてことない。 あれほどBGM代わりに様変わりしてしまった曲が体内に自然と入ってくる。嫌味なくだ。 それは体験を“モノ”にしているからだ。変化したということだ。移動し、環境を変え、行動したからだ。同じフレーズもその場の環境によって意味合いが違ってくる。 オレが求めていたものは正しく“コレ”だ。この感覚だ。 点から点に移動しただけではダメだ。
バカやってんな、そう思わずにいられない。 たった今、東小金井のゲストハウスに向かうため、入谷から真っ直ぐ反対方向に向かってしまった。電車でこの文章を書き連ねている。 入谷に用事があったか聞かれると。そこまで…。そう言い返せる自信がどこかに潜んでいる。 時間を巻き戻せば、青山で個展を開ている写真家のところまで行ったはいいが、閉まっていたので。そんな情けないにも似た醜態をオシャレ街に残してきた。そんな帰り。 もう少し言えば、入谷のゲストハウスに顔を出せば誰かにあえるだろう、寂
なんでもねぇ、くだらん、意味がねぇ、そういう類に興味があるんだ。そろそろ他人様の人生を覗き見するのは飽きてきたかもしれん。あくびが出ちまう。
日本人は得体の知れないものに群がるの好きよね
浅草キッドを聴いた、無条件で泣けてきた。 「夢は捨てたと言わないで」なんて耳に入れちゃいけない台詞だ。心の琴線をじゃんじゃん鳴らされているようで歯止めが効かなくなる。やめてくれ。おかげで昼間から熱唱しながらボロ泣きだ。なにやってんだよ、もう30手前なんだぜ。 思えば会社を辞め、独立し、1人で仕事を回すようになって半年が過ぎた。いろんなリスクを背負ってまだ半年、これまで何回も挫けそうになった。きっと、これからも同じ経験を繰り返すことだろう。その度に「それでも」と、重い足に重心
夏といえばジブリ、と言われるぐらいに夏の代名詞になったスタジオジブリ作品。 どの作品も大好きだし、歳を重ねるたびに観る視点が変わって、新しい価値観が見えてくる。 どの作品が好きかでコミニュケーションができる。 どんな場面にも必ずそこにいる存在、それがジブリ。 そのジブリ作品の中でも「ハウルの動く城」にはいつも感じるものがある。 物語の設定は魔法使いが存在している世界。そこで一人の少女ソフィーと周りを彩る仲間たちで物語は進む。 当時、初めて見た時は小学生だった。昔か
アレにしようか、これにしようか、紹介したい映画はいくつかあるのに、まだ上手に言葉にできていないものばかり。気持ちばかりが先行してしまって言葉が追いつかない。 どうせなら憂鬱としたこんな世の中だから、ハッピーでポップな映画を紹介したかった。けれど、今回は非常にヘビーな内容の映画。 それでも夜は明ける今でも人種差別が根強いアメリカ。そのアメリカがまだ奴隷制度を当たり前としていた1850年。 自由黒人のソロモン・ノーサップが12年の生涯を通して目に焼き付けた壮絶な人生と、自身
今日、7月31日はハリーポッターの誕生日。同時にJKローリングの誕生日でもある。 小さい頃からずっと一緒だったハリーポッター、今でも解けない魔法をかけてもらっている気がする。 どれもこれも名場面で埋め尽くされているし、名言でいっぱいだ。数え出したらキリがない。 いつか自分もハリーと同じ魔法界に住んでみたいと強く願った。目の前に映る全てが驚きと興奮に溢れているあの世界。 自分だったらどんな杖に選ばれて、どんな箒に乗ろうか。大人になればなるほど、こういった世界や物語と離れ
人が面白い。 最近そう思うようになった。もっと前から興味はあったのかもしれない。 大人になってからも本を読むようになり、手当たり次第にジャンル問わず色んな本を読むのだけれど、どうも面白くない。 世間でよく言われる教養書やビジネス書にも「おぉ!」みたいな気付きや発見みたいな瞬間はあるけど、何かが足りない。もっと違う何かが欲しいと思った。 きっかけは、前に投稿した近内悠太さんの「世界は贈与でできている」を読み、ひどく贈与というキーワードに惹かれたこと。 もっと贈与のこと
ブッククラブボクら読み手が、別の読者を想像することはそう多くない。大人になればなるほど一人の時間は増えていき、「世界」に没入していく。目の前に並ぶ文字の羅列を端から端まで読み、誰かと感想を言い合いながら一冊の本を味わい尽くす感動を忘れていく。 かと言って、ボクは今言ったような経験はしていない。一冊の本を他人と共有する経験を一度でいいからしてみたい、きっとその願望の表れだと思う。 4年前に読んだノンフィクション作品が未だに顔を覗かせる。本を読む時、海外作品に触れる時、この作
今回も朝井リョウさんの書籍について書こうと思う。 新刊の「正欲」を読み終えたばかりなので、あまり整理が追い付いていないかもしれないけれど、アウトプットをする意味も込めて今のうちに書き残す。 毎回、朝井さんの本を読むたびに思い知らされる。 「この時代」に生きていること、その重みを十分に理解させられ、生き恥をさらされる。 現代人へ再度、背筋を正す必要性を朝井さんはことごとくボクたちへ要求する。 キモチのいい言葉たちで溢れ返る海に漂う言葉というものについて真剣に考えたこと