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目に見えないもので出来ている

今日、7月31日はハリーポッターの誕生日。同時にJKローリングの誕生日でもある。

小さい頃からずっと一緒だったハリーポッター、今でも解けない魔法をかけてもらっている気がする。

どれもこれも名場面で埋め尽くされているし、名言でいっぱいだ。数え出したらキリがない。

いつか自分もハリーと同じ魔法界に住んでみたいと強く願った。目の前に映る全てが驚きと興奮に溢れているあの世界。

自分だったらどんな杖に選ばれて、どんな箒に乗ろうか。大人になればなるほど、こういった世界や物語と離れていくと思っていた。

それでも、登場人物たちの言葉を思い浮かべるたび、小学生から大人と、その時に感じる風景が違って見える。

子供の頃、ダンブルドア校長先生の言葉には❓しか感じ取れなかった。でも、大人になって改めて思い返すと違う捉え方ができる。

ホグワーツの先生たちが放った何気ない一言たちが現実味を増してくる。

今まで色んな作品を味わってきたけれど、ハリーポッター以外に一緒に成長できる作品はない。

そのハリーポッターの中でも1番に大切にしている言葉がある。

そのシーンは第一巻の賢者の石。

主人公のハリーと同級生たち、これから先生や上級生たちと顔合わせをする大事な場面での出来事。

マクゴナガル先生に入場の待機をさせられ全員が緊張をしている最中、ドジのネビルが逃したペットを捕まえ、みんなの前で恥をかくことになる。

そのネビルを見たお坊ちゃんのマルフォイがバカにし、ここぞとばかりにハリーと仲良くなろうとする。

その時、ハリーが放った台詞が忘れられない。

「イイ、友達ぐらい自分で選べる」

その一言で逆にマルフォイが赤っ恥をかくというシーン。

当時のボクはなんてことなくスルーした場面だけど、今になって思い返すと強烈な場面だったと思う。

ハリーの人を見る目と度胸が痛いぐらいにこれまでの自分に突き刺さる不思議。

振り返れば、友達と言える友達は数えられる人数に収まっている。

大人になればなるほど「友達」より「知り合い」の数が増えた。きっと自然なことだろうと思う。そうしないと動きづらいのだから。

でも、ハリーのあの一言は友達をたくさん増やすという意味以上に必要なことをボクたちに教えてくれていた気がする。

ハリーのような特別な力や勇気を持ち合わせているわけではないけれど、同じように人を見極める力は付けることができる。そう思って生きてきた。

最近になって諦めを知ったし、そのおかげでまた挑戦する気持ちにも気づけたし、そんな不器用が過ぎる毎日でバタバタしている。

そんな自分にも人を見極める力は必要なんだと、心の底から大事にしようと思うことができたハリーにハッピーバースデーを贈りたい。

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