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秘密結社のように

今回も朝井リョウさんの書籍について書こうと思う。

新刊の「正欲」を読み終えたばかりなので、あまり整理が追い付いていないかもしれないけれど、アウトプットをする意味も込めて今のうちに書き残す。

毎回、朝井さんの本を読むたびに思い知らされる。

「この時代」に生きていること、その重みを十分に理解させられ、生き恥をさらされる。

現代人へ再度、背筋を正す必要性を朝井さんはことごとくボクたちへ要求する。

キモチのいい言葉たちで溢れ返る海に漂う

言葉というものについて真剣に考えたことが今までに何回あるだろうか。

きっとない。その無抵抗な自信に傾く。それぐらいにボクは言葉に無頓着なんだろう。だから今一度、どこかへ置き去りにしたまま腐りきってしまう何かについて考える必要があると、少なくともボクはココで断ち切りたい。

コロナが、政府が、SNSがとか、とりあえず何か的を探してはいつもどこか楽しそうにしていた自分に気が付く。きっとここら辺がスタート。

会社へ行けばいつもと変わらないメンバーに囲まれ、家へ帰ればテレビやスマホの画面に釘付け、休みの日はネットサーフィン。言葉の洪水は目に見えない情報となって視界や耳へ糸もたやすく侵入してくる。

考えるヒマもない、ただただ誰かの意志に乗せてくるだけ。

それなのにどうして、こんなにも息苦しいんだろうか。

どうしてこんなことを繰り返すのだろう。

で、結局のところボクたちは何がしたいんだっけ

人間には「自由意志」なるものがあるらしいが、この「自由意志」というものは未だに学問の分野で解明されていないらしい。

ボクらを真の力で動かす者の正体がいつだってすぐそこで埋まっているのに、いつだって遠くに聴こえた言葉に身を預けてしまう、そのお人好しもたいがいが過ぎやしないか。

あまりに自分自身を過信しているその様、何処かへとさ迷うその足取りにMJのThrillerを覚える。そこに目標はない、あるのは中身のない手段という目的のみ。

大切な何かを放置したまま、また明日は違う”誰か”を貪り尽くす。お味はいかがなものなんだろうか。

どれもこれもボクがどこまで声を大にしたって、聞く側が受け入れなければ何も始まらない。

それでも、と言葉に意志を乗せてる。

未来がどうとか、ハッキリ言ってどうでもよくない?

もう、どこまでも行きつく先は地平線。あきらめに似た前進を繰り返すのみ。どこかのアーティストを真似るつもりはないけれど、

「あなた」に届けるために「自分」に言い聞かせている。

あまりまどろっこしい物言いは好きではない、本質はいつだってシンプルに出来上がっているはず。

”ありえたかもしれない”未来より”これがイイ”と判断する今に集中したい。

あなたの未来とボクの未来が同じわけがない。当然だ、違う視点で違う今を見つめているんだから。お互いがお互いに明日を見つめれば違う明日が来る。

ただ、”あなた”と”ボク”の足元には同じ””だ。そこから先をずらそうが揃えようが”あなた”と”ボク”しだいということになる。

だから、

生き延びるために、手を組みませんか。




ボクは「待ってます」なんて言わない、自分の足で「迎えに行きます」。


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