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記憶の引出しからnoteをまた1つ

【554】

記憶の引出しをあけて。
僕は毎日書いているnoteは過去のリライトなどはなく、いつだって新規投稿
実際に下書きのストックはあまりない。
書いて推敲して、その日のうちに投稿してく。
なんなら"なに書こうかな"ってところから始まる日も珍しくはない。
まさに今日なんてそれだ。

日々、2000文字程度の文章をこのnoteに書いている。
思い起こせば2020年の1月からずっとだ。
書けと言われればなんでも書けますよってレベルになれたのは毎日更新していたおかげ。

本来ならもっと時間をかけて書きたいものも正直あったけどさ。
インスタントな僕のnoteは時間差はあれど24時間以内の時間軸で常に次から次へと生み出されている。

”書きたいな”って思っているものは下書きレベルではなく、メモみたいなもので残してる。
しかしながら改めてそのキーワードを見たところで物語がまったく広がらないケースは結構ある。
まさに《鉄は熱いうちに打て》現象。
またいつかって本当にあてにならないよね。
瞬間的に浮かんだそれを後回しにして消してしまったnoteだったらきっとたくさんあるんじゃないかな。そう、下書き未遂ってやつ。

最近こそエッセイはエッセイとして書いているし、ショートショートとして書いている小説はちゃんと小説として書いている。
過去を振り返ると本当にこうした文章の世界の素人だった僕は自分の書いたものがエッセイなのか小説なのかすらハッキリ理解出来てはいなかったはず。
事実を小説のフィクションの世界に乗せてみたり、実際の出来事をエッセイとして仕上げて読者に”何か”感じてもらうことを意識して書く。

「今日は何を書こうかな」ぼんやり考えながらInstagramのストーリーズを眺める。
僕は毎日更新しているnoteをそのストーリーズに流す。”毎日更新〇日目です”みたな感じにして。

あれって、誰が自分のストーリーズを見てくれたのか表示されるじゃない。
あれをたまに見るんだけど、”ああ、この人のことエッセイにして書いたっけなぁ”って思い出される人が意外にも多くいて少し笑ってしまった。

なんだろう「ネタにしちゃってすいません」って言いますか。

でもね、概ね僕の書くnoteに書く文章は攻撃的なものなんかないから。
ネタになった人はいわゆる個人的にはエモい人が多いんだと思う。
共にした記憶、思い出があるから書きたくなる。そして誰かにそれを伝えたくなるんだろうとは思う。

同じようにそのラインナップを眺めると”まだ登場させていないな”って閃いた人も何人もいた。

SNSでの繋がり、コミュニティでの繋がり、家族のこと。ありとあらゆることがnoteを書くきっかけになっていく。
きっかけと自分の視点と感情とを織り交ぜながら書いていくと、次第にストーリーが仕上がっていく。

それが僕の書くnoteであり、エッセイとなる。
こうやってインスタのストーリーズ見たってだけでここまで1200文字の内容になっているから面白いものだ。

毎日何か特別なことが起こるばかりじゃない。むしろ、波風立たないなんてことのない生活が基本だろう。

そんな中に小さく潜むきっかけ。
こういうものを探そうとすると見つからなくて、無意識のうちに目について来たりするものなんだよね。それがなんだか面白い。

”何を書こうかな”って考え事しても出てこないものが日々のなんてことのない行動からこぼれ落ちて「こんなのはどうだい?」と教えてくれる。
それがこうして新しい作品になる。

文章を書くことは楽しいから、そんなきっかけに気付くのだとは思うのだけど、このところちょっとじっくり文章と向き合えていない気がしてる。
毎日更新もどこまで行くだろうか。あとちょっとかな。

久しぶりに5000文字ぐらいでプロットから推敲まで時間をかけて。文章を誰よりも自分自身が味わいながら書いてみる時間も欲しいものだな。

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