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印象派・光の系譜展で心の休息を

東京丸の内の三菱一号館美術館は、明治時代の西洋建築を復元した外観とその調度品がうつくしい。広場も含めて、そのたたずまいはどの季節もとても素敵なのだけど、とりわけ秋は素晴らしい。と、わたしは思う。

家の用事で休暇をとった、11月11日の木曜日。用事のほうは、昼過ぎにはなんとかなりそうだった。せっかくの平日。秋晴れ。

そうだ、気分転換をしよう。

このところ仕事だけでなくいろいろとやることが重なって、疲れきっていた。わたしの心は休息を必要としている。

というわけで、丸の内へ足をのばした。目的は、秋のうつくしい三菱一号館はもちろんのこと、開催中の企画展「イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜」を観ることだ。

以下、この企画展の公式サイトより引用する。

約50万点の文化財を所蔵するエルサレムのイスラエル博物館は、印象派も珠玉のコレクションを誇ります。本展は同館から、印象派に先駆けたクールベ、コロー、ブーダン、そしてモネ、ルノワール、シスレー、ピサロ、この流れを発展させたポスト印象派のセザンヌ、ファン・ゴッホ、ゴーガン、さらに印象派の光と色彩の表現を独特の親密な世界に移し変えたナビ派のボナールやヴュイヤールの作品69点を厳選、うち59点が初来日の名品の数々とともに、印象派の光の系譜をたどります。

イスラエルは死海をはさんだ対岸からは眺めたことがある。だけど、わたしにとっては未踏の地だ。わたしの所属先はイスラエルにも支店をもっているのだけど、現在の仕事内容から考えると、わたしが出張する機会などはなさそうだ。

そもそもわたしはイスラエルには入国できなかった。前のパスポートにはシリアのスタンプがあったからだ。いろいろと関心はあるものの、縁遠い国だ。

そのイスラエルの博物館と聞くと、考古遺物が中心のような印象を受ける。実際、ここの死海文書は有名だ。ところがヨーロッパの近代絵画のコレクションも見事だという。

初来日の作品が59点。

イスラエルは、いつ戦火にさらされるかわからない国だ。考えすぎかもしれないけれど、その見事なコレクションが観られなくなる日が来るかもしれない。日本で展示される機会を逃すわけにはいない、と思っていた。

今回の展覧会は、イスラエル博物館の収蔵品から、印象派とその周辺の絵画が集められた内容だ。近代の西洋絵画では、主題と表現の両方で自由さが追求された。その象徴的な存在が印象派。

わたしは、いまでこそ古典絵画のほうにより関心が向いているけど、もともと子供のころに親しんだのは、じつは印象派などの近代絵画だ。

わたしの母方の祖父母が倉敷に住んでいたので、倉敷をおとずれるたびに大原美術館に連れて行ってもらった。本邦初の西洋美術館である同館のコレクションには、コローやモネ、ピサロ、シスレーといった近代美術の作品がおおくある。

なぜここで大原美術館に言及したのかといえば、この三菱一号館美術館の企画展の内容に近いものを感じたから。はじめに迎えてくれたコローの風景画が記憶をよびだしてくれた。以下、図録より、6点あったコロー作品のうちの2点。

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この展覧会の副題には、「モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーガン」と人気のある画家の名前がならんでいる。なかでも最初にあがっているモネの《睡蓮の池》は、ポスターにもあしらわれているだけあって、中心的な存在だ。

この睡蓮の絵は、特別展示として、国内の美術館に収蔵されている作品とあわせて展示されていた。効果的な館内照明で、絵のなかの池には実際に陽光がさしているかのようだった。100年後にこんなふうに展示されるなんて知ったら、モネはどう思うだろう。

さらに、図録には上席学芸員の安井裕雄氏による寄稿がある。小さいながら図版が豊富で、モネが睡蓮の連作で目指したものにせまる、読みごたえのある内容だ。

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このなかで、以下のようなモネの言葉が引用されている。

作品の源泉をどうしても知りたいというのなら、そのひとつとして昔の日本人たちを思い出してほしい。彼らのまれにみる洗練された趣味は、いつもわたしを魅了してきた。影によって存在を、部分によって全体を暗示するその美学はわたしの意にかなった。

この発言がされたのは1909年。「昔の日本人」と言っているのは、日露戦争に勝って近代化を進める明治の日本人ではなく、浮世絵を描いた江戸時代の日本人をさしているのだろう。

ジャポニスムのブームを巻きおこした浮世絵の視点をそうして尊重したのだろう。モネは明治の日本人の絵画を観なかったのだろうか。「影によって存在を、部分によって全体を暗示する」のは、同時期の吉田博の作品にも通じているように思えるのだけど。

モネは睡蓮の池の連作についての流れで、このことを話している。モネが描いたのは水面に浮かぶ睡蓮、水面にうつる木々と空だけだ。いわばクローズアップ。そう思うと、吉田博の版画にはここまでのクローズアップはなかった。

モネの睡蓮の絵には、おなじ構図で光線の異なるものがある。ハスの花が開いていたり閉じていたりの違いもあり、たしかに違う時間帯でおなじ景色を描いているように思える。しかし、図録の解説には、アトリエで異なる時間帯の作品をならべて仕上げていたのだとある。浮世絵の刷りによる違いを油絵で試すような感覚だったのかもしれない。

先の引用部分の前に、モネはこのようなことを書いている。

宇宙を構成する諸要素と、われわれの眼前で刻一刻変わってゆく宇宙の不安定さとが、まるで小宇宙のようにそこに存在している。

モネは睡蓮の池をメタな視点で捉えていたことがわかる。一連の睡蓮の絵はもしや形而上絵画の先駆だったのか?!

モネの《印象・日の出》に対する揶揄から生まれた”印象派”、”印象主義”だけれど、わたしたちの覚える”印象”は、その背後に控えるもっともっと普遍的ななにかによって引き起こされるものなのかもしれない。モネがストイックに追求した”印象”こそ、その”なにか”だったのだろうと思わせる展示だった。

モネの話が長くなってしまった。

この展覧会は、副題の人気画家だけでなく、いままで知らなかった2名の画家の作品を知ることができたのが収穫だった。

暖炉のマントルピースの上部にただひとつ展示されていた、ヨハン・バルトルト・ヨンキントの《日没の運河、風車、ボート》。小さな作品だったけれど、引き込まれた。

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ヨンキントはオランダ出身の画家で、ドービニーやコローと親交があったという。オランダといえば、17世紀の黄金時代を思い出す。そのオランダ絵画の伝統を感じさせる細部の描写に、19世紀のフランス絵画のエッセンスがくわわったような作品。暖炉の上の展示は、図録の図版よりももっと黄昏時の濃密な空気感が漂っていた。

そしてドイツ出身のレッサー・ユリィ。名前からユダヤ人だとわかる。展示解説の生没年から察するに、ナチスが台頭する前の人物のようだ。もしかしたらナチス政権下でその業績が抹殺されて、忘れ去られた存在になっていたのかもしれない。イスラエル博物館が所蔵しているところに、政治的な経緯がありそうな気がする。

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ユリィの作品は4点あった。主題や表現自体に斬新さはないものの、絵に強さがある。みれば構図に隙がない。計算ずくの画面構成なのか、たまたまベストな構図を切り抜くセンスの持ち主だったのか。とにかく、どのユリィ作品もとても印象にのこった。

最後に、ゴーガン(ゴーギャン)の《ウパ ウパ(炎の踊り)》。

じつは、この展覧会の副題に彼の名前が入っているのに、ちょっと違和感を感じていた。ゴーギャンははじめは印象派に参加していたものの、のちに決別したからだ。

ゴーギャンは、印象派の視覚重視の表現を批判して、より精神世界を象徴的に表現することを求めた。彼は最終的に仏領ポリネシアのタヒチで、求めていたテーマを追求する。この《ウパ ウパ(炎の踊り)》は、そんなタヒチでの作品だ。

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これは先住民の踊りとのこと。燃え盛る炎の前で踊る人びと。周辺にすわるのはカップルらしい。光と闇、静と動、聖と俗。原始的な躍動感を感じさせる空間に、さまざまな対比がこめられている。

そして象徴的に樹木や人影を配置しているようにも思えるのだけど、官能的な示唆もありそうな画面構成。愛とか生とか、連綿とつづく生命の営みといった、神聖ななにかが、闇の中の炎を囲む場面に表現されているように思える。

そういうわけで、エネルギッシュかつ神聖な場面を描いたこの作品には、どこか普遍性を感じる。わたしたちもふくめた自然の存在とか。つまるところ、モネが睡蓮の池で描こうとしたものと共通するんじゃないか・・・と思ったのだけど、どうだろう。

イスラエル博物館の所蔵品による近代西洋絵画展。観られなくなる前に観ておかないとと、ある意味現実的な動機もあって足を運んだ展覧会だったけれど、光の表現をとおして先人がせまった普遍性に気づかされた。

美術館を出ると、もう薄暗くなっていた。はやくもクリスマスツリーだろうか、電飾がみえる。その前に、結婚式をあげるカップルの姿があった。

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じつは数時間前にも、別の新郎新婦が三菱一号館で写真撮影をしていた。日がよかったのだろう。

展覧会を観たあとの、日が暮れるタイミングでの電飾と結婚式。なんだか現実にまだ”光の系譜”が延長しているような、不思議な感覚だった。いい心の休息になった。

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