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宝石学とラスキン思想

最近のnoteで、19世紀英国の批評家ジョン・ラスキンについて触れた。ラスキンの思想が吉田博に響いていなかったのではないかという話。

あくまで絵画表現の上での話だけど、ラスキンの言う”自然をありのままに写す”表現方法に、吉田は共感していないのではないか。わたしも吉田と同様に、視覚的形態を超えた何かを表現してこそ、絵画が芸術でありうるのだと考えている。

しかし、これでは、なんだかわたしがラスキンの思想に共感していないかのような印象がある。けっしてラスキンの思想自体に共感できないという話ではない。そのため、フォローアップしておかなくてはならないような気がして、このnoteを書くことにした。

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上の絵は、「ラファエル前派の軌跡展」の図録より、1846年にラスキンが描いた素描。

岩石の違いを緻密に描きわけた風景画を描いていたラスキンは、実は筋金いりの鉱物マニアだ。子供の頃に、自作の鉱物事典をつくったという。昆虫図鑑をつくった手塚治虫に対抗できるほどのマニアっぷり。英国地質学会の会員でもあったラスキンは、鉱物マニアの視点から、その繊細で流れるような文体で、地質や鉱物について熱く語っている。

わたしの職業としての専門は、宝石学。

宝石の多くは、鉱物だ。ラスキンが愛した鉱物。ラスキンが鉱物マニアだったとはいえ、彼の思想が石からのみ語られるべきではないのは明らかだ。しかしながら、わたしには、ラスキンの社会評論や経済論についてきちんと述べられるだけの知識も筆力もない。だから、偏りすぎなのを承知で、宝石学の観点から書いてみる。

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かつて宝石学は、その宝石が何なのかを知るのが目的だった。やがて、模造石や合成石がつくられ、さまざまな処理によって見た目が改善されるものが多くなった。そのため、宝石学には、それら合成石や処理を看破するという目的がくわわった。そして今は、宝石の来歴を保証するため、産地を知る手かがりが求められるようになっている。

産地鑑別のための情報は、従来の手法にくわえて、高度な分析装置がなければ得られない。わたしが働いている鑑別機関では、顕微鏡での観察や基礎的な道具をつかった検査だけでなく、高度な分析装置を駆使して、できるかぎりの情報を得ている。それらの情報から、石がどんな環境でできたのか、どうやって地上に運ばれてきたのか、考えられる産地はどこなのか、研磨以外にどんな人為的な影響を受けているのか、なんてことがわかる。結晶化のおおよその年代までわかることもある。

鉱物には、ミステリアスな魅力がある。こういうと、パワーストーンとかのオカルト的な意味合いにとられてしまいそうだけど、そうではない。結晶構造や化学組成、微量元素について調べることで、そのでき方、結晶化した環境、ひいては地球の歴史にまで議論をひろげられる。とくにトルマリンについては、かなりの地球科学的な情報が記録されていることが、明らかになってきた。まだまだ未知の領域は多いものの、鉱物は地球の謎を解くためのメッセンジャーなのだ。

宝石学と、その隣接分野の鉱物学では、このように、石を通して自然の真理、それだけでなく、人間の文化的な活動までを垣間見ることができる。


自然をありのままに・・・というラスキンの主張は、言い換えれば、本来の姿を客観的に見つめ直すことだ。宝石学に置き換えれば、さまざまな検査によって得られる、小さな宝石のなかの情報こそ、そのありのままの姿を理解し見つめ直すための材料だと言える。

また、ラスキンは、自然をありのまま写すことから生み出される芸術に価値を見出した。それは、自然物の美しさを引き出す研磨技術やジュエリーデザインにも適用できる。言うまでもなく、モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動をへて、アール・ヌーヴォー様式が生み出されたのは、そこに共感したからではなかったか。

宝石の鑑別と研究の現場での、検査や分析で得られる客観的な情報は、自然をありのままに写すプロセスに通じる。そして、検査対象である研磨石やジュエリーは、自然の美を引き出すための創造の成果だ。

おお、わたしのやっている宝石学にこそ、ラスキンの思想が潜んでいた!このところの吉田博展から続くnoteを書くなかで、わたしには、こんな気づきがあった。


1ヶ月近く前に、わたしはオンラインの講演会(ウェビナー)をやった。講演のなかで、ラスキンの言葉を引用した。「(トルマリンの化学組成は)中世の医師の処方箋以上(に複雑)だ」というくだりだ(※註)。トルマリンの化学組成は、まことに複雑怪奇なのだけど、そのことが古くから知られていたことを紹介するための引用だった。

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中世の医師というと、あの尖った嘴のようなマスク姿の医師を連想する。当時の処方箋がどのようなものなのかは、よくわからない。きっと錬金術のような、想像もつかない謎めいたレシピがあって、産業革命後のヨーロッパでは、古臭く前時代的で魔術的なものの例えにされていたのだろう。ラスキンの言葉にも、どことなく冗談めかした響きがある。

わたしが引用したラスキンの言葉は、1866年に書かれた『塵の倫理』のなかにある。この本は、女学校での講義という体裁で、幅広く鉱物について語った内容。自然の断片である”塵”が、あらゆるところに存在するのを引き合いに、社会倫理にまで視点を拡大しようという、壮大な意図が感じられる著作だ。

この引用部分だけでは、ラスキンの思想は見えてこない。ただ、ルネサンス以前である”中世”が、キーワードかもしれない。『近代絵画論』で、ルネサンス以前の様式に価値が置かれていることを考えれば、案外、ラスキンは冗談めかして例えながらも、なにか真意を潜ませていたかのような気がしてくる。


ここ数年の鉱物ブームで、最近、宝石や鉱物に関する日本語の一般書籍が出版されている。その多くは、もちろん地球科学の内容にも言及しているのだけど、ラスキンについて書かれたものはまったく見かけない。やはり時間とともに忘れられてしまうものなのか。

わたしの尊敬するセイゴオ先生こと松岡正剛さんが、千夜千冊のなかで、いつもどおりとても鋭い切り口でラスキン文学の魅力を語られている(下記リンク参照)。『近代絵画論』についての話だけど、建築論、経済論への展開にも触れ、全般的なラスキンの思想について、同時代のマルクスとの比較も交えて、たいへん深い洞察で書かれている。

このなかに、ラスキンが忘れられた理由について、「イギリス人も日本人も資本主義市場の過熱に屈しただけなのである」とある。

たしかに、そうなのかもしれない。

ラスキンは、マルクスと同様に産業社会の到来を憂慮した。戦後にその産業社会になった日本は、21世紀のいま、さらに新自由主義の名のもと、社会が二極化してスタグフレーション経済の社会につきすすんでいる。

スタグフレーションのあとには、近年の米国のような弱肉強食の社会がやってくる。コロナ禍をへて、新自由主義も路線変更をせまられるだろうけど、かろうじて保たれている(ように見える)基礎研究や教養、芸術に対する敬意は生き残れるだろうか。

・・・こんな書き方をすると、まさにラスキンの厭世観に似てきてしまった。


宝石学では、教育や出版をとおして、ある程度の”科学的な情報”は啓蒙されている。宝石鑑別の現場では、先述のとおり、ハイテクの分析結果をあつかっている。数字や化学式で表記される”サイエンスの知識”は、一見すると明解だけど、その解釈には、多くの経験と柔軟な想像力が不可欠だ。

それに、宝飾品には、そのデザインはもちろん、加工技術にも歴史と先人の知恵が反映されている。つくる側、売る側、買う側、調べる側、それぞれの間で意見交換するためにも、幅広い知見が欠かせない。

わたしは、上に紹介したウェビナーの日本語版を昨年5月にやったのだけど、その時にも同様にラスキンを引用した。後日、ある参加者の方から、含蓄のある感想をいただいた。以下、その一部を勝手に引用。

冒頭でラスキンを引用してくださったことで、人文学を専門にしてきた自分にも宝石学の世界に居場所があると安心できたというか、ガチガチにサイエンスの知識だけにこだわらなくてもいいのかなと自信が持てました

分野を問わず、視野狭窄におちいる危険はつきものだ。この方の感想は、その危険に気づかせてくれる。なにごとも、専門のバックグラウンドは多様なのが良い。さまざまな視点で柔軟に俯瞰することこそ、忘れてはいけないことだと思う。セミナーに参加してくださった方が、このような点で自信を持ってくれたのは、ほんとうにうれしいことだ。


今でも、海外の地質学者・宝石学者のあいだでは、鉱物学の普及に貢献した人物として、ラスキンの名前が出ることがある。しかし、ラスキンの思想にまで言及したケースは、ちょっと思い当たらない。

もしかしたら、ラスキンとほぼ同時代を生きたジョージ・F・クンツはラスキンの思想について語っていたかもしれない。近代宝石学の父として知られるリチャード・T・リディコートの言葉には、ラスキンとの共通点があるようにも感じる。

まだ勉強不足なので、すぐには出てこないけど、ラスキンの思想の断片は、宝石学の先人たちが伝えてくれているような気がする。

やや話が強引なところがあったかもしれないし、散漫になってしまった感もある。わたしの専門分野である宝石学に照らしあわせて、ラスキンの思想を振り返ってみた。宝石の仕事を続けるうえで、もしまた何か気づきがあれば、noteに書くつもりだ。

◆◇◆

上の感想をくださった方からは、銀座にあるラスキン文庫についても教えていただいた。これは、セイゴオ先生が昭和45年ごろの話として書いている東京ラスキン協会のことだ。てっきり過去のものかと思っていたのだけど、いまはMikimoto ginza 2の地下に移転して、一般財団法人ラスキン文庫として存続しているようだ。いまは緊急事態宣言を受けて休館中だけど、そのうちに行ってみたい。

※註:実は、ウェビナーでのこの引用で、とても恥ずかしいミスをしてしまった。詳細は、あらためてnoteで懺悔します。

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