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アイヌの伝統文様にシュルレアリスムを見た

渋谷区立松濤美術館の企画展『アイヌの装いとハレの日の着物』に行ってきた。またしても会期終了間際のかけ込み観覧。以下のリンクは公式サイト。

副題に「国立アイヌ民族博物館の開館によせて」とある。この国立アイヌ民族博物館が北海道の白老町に開館してほぼ1年。周辺施設とあわせて、民族共生象徴空間ウポポイの愛称で宣伝されている。

実はここ数年、わたしのなかでアイヌがちょっとしたブームになっている。独学だけど、ひそかにアイヌ語も学んでいる。ウポポイのオープンにあわせて出版された書籍や雑誌の何冊かにも目を通した。ウポポイには機会があれば行ってみたい。

さて、この展覧会に話をもどす。

会期終了間際とあって、図録は売り切れていて買えず。館内は撮影が禁止されていたので、わたしの手元にあって資料になりそうなのは、展覧会のチラシと出品リストしかない。だから、記憶が薄れないうちにnoteに書いておくことにした。

地下1階の第1会場では、「アイヌの装い」と題して、衣類が展示されていた。

展示品の大半はアットゥㇱという樹皮でつくられた衣類。樹皮といっても、樹皮からつくられた繊維を織りあげた布でできた衣類。もちろんアイヌの伝統衣装だ。男女とも、和服のように左前にしてはおって着るという。

素材の繊維は、オヒョウやシナノキといった落葉高木樹の樹皮からつくられたもの。黄色はマリーゴールド、赤はアカネで染色とのこと。織りあげる前の繊維も糸玉のかたち(カタㇰ)で展示されていた。

このアットゥㇱ(樹皮衣)のほか、カパラミㇷ゚(白布切抜文衣)、チカㇽカㇽペ(切状刺繍衣)といった衣類が展示されていた。いずれにも、アイヌの伝統文様がアップリケと刺繍で模様がほどこされている。

アイヌの伝統文様は、長方形と渦巻き模様を組み合わせたようなパターンで、ほぼ左右対称になっている。端が細くとがっているのも特徴。布地のアップリケにおさまるように刺繍で線が描かれているのだけど、ステッチのパターンも何とおりかが使いわけられている。以下はチラシから。

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2階の第2会場は、「ハレの日の着物」として第1会場で観たものよりも華やかなものがおおい。ネックレスやイヤリングの装身具もある。

ここではルウンペという晴れ着が展示の中心。ルウンペとは、「道(ル)、持つ(ウン)、もの(ペ)」の意味。テープ状の布を配置して描かれた文様を指す。この文様をもった衣類も指すようだ。第1会場の展示でもあったけれど、アップリケと刺繍で伝統文様が表現されている。

アップリケに使われている布は、和人との交易によってもたらされたもの。無地のものだけでなく、柄モノもある。装飾の布は、木綿やウール、絹などさまざま。時代によっても変化があるようだ。

本州や大陸との交易で得られたものは、布地だけではない。トンボ玉などを使ったネックレスなどの装身具も展示されていた。装身具には、日本刀のツバや帝政ロシアのコインなんかも使われていて、素材としての着眼点が興味ぶかい。

第2会場の入り口には大型ディスプレイで18分ほどの映像が流れていた。アイヌ刺繍など伝統技術の伝承者、上武やす子さんによるルウンペの技法解説。ネットで探したら、アイヌ民俗文化財団さんによってYouTubeにアップロードされたものを見つけた。

伝統的な文様ではあるけれど、作り手の自由度もそれなりにある、そんなゆるい側面もあり、だからこそバラエティが豊かなことがわかる。

テープ状の布地ゆえの直線的な構成。それを土台にして曲線と直線を描く刺繍が、また独自の幾何学的なパターンを作っている。上に凸の柔らかな曲線が、いつのまにか鋭い突起を描く。その刺繍が集約されるのが、ルウンペのパターンの先端にある突起。この突起は魔除けのトゲだという。

柔らかさと鋭さが同居したパターン。絶妙なバランスだなぁと思いながら観た。ことなる要素が複合しているところは、わたしがアイヌ文化に惹かれるポイントだ。

上武さんは、かならずしも当初の計画どおりにルウンペのパターンができあがるとはかぎらないと話されている。とくに刺繍には集中力が必要で、極度に集中しているとアップリケの布をはみ出ることもあれば、それで意図しなかった図形がうまれることもあるという。映像のなかでは、そうしてあらわれたカモメの姿が描かれていた。

これをきいて、わたしはシュルレアリスムを思い出した。

超現実主義と訳されるシュルレアリスムは、時折「シュール」と略したかたちで”不思議なもの”や”理解しがたいもの”について呼ばれたりしている。しかし、この用法はおおいに誤解を招くので、簡単に説明をくわえたい。

シュルレアリスムは、今から100年近く前にアンドレ・ブルトンが”自動記述(エクリチュール・オートマティック)”のこころみからたどり着いた概念で、ヒトの意識を超越した現実を意味する。

自動記述というのは、文章を書くスピードを極限まであげていって、書き手が意識しない語や表現を出現させるというもの。本人の意識からはなれた表現という点では、霊媒師なんかのトランス状態に近いかもしれない。そうした状態で表現されたものも、わたしたちの認識する”現実”の延長線上にあるというのがシュルレアリスムだ。

だから、不思議なものだけを「シュール」とラベル付けしてしまったのでは、見誤ってしまう。わたしたちが認識しているもののは超現実の一面にすぎない。不思議なものは、また別の一面でしかないというわけ。

上武さんの映像で言われていた「気の向くままに進めた刺繍が意図しない結果をうみだす」部分。この刺繍の作業は、ブルトンの自動記述ほどのハイスピードではないとは思うけれど、「意図しない」というところでは本質的にはつながっているように思えた。

そんな気づきがあって、ふたたび第1会場にもどった。今度は刺繍に注目して、もとへ、刺繍した人の気持ちになって、丁寧にステッチを追った。

おそらく補修されたであろう箇所は、別の人の手によって刺繍が復元されたのだろう。感覚のちがいか技術力のちがいか、チェーンステッチがそこからシンプルなステッチになったりしている。

計画的に縫いすすめられたはずのチェーンステッチにも、緩急がみられたりもする。また、微妙に対称図形からはずれた軌跡をとったものもおおかった。

ルウンペでは、テープ状の布にくわえて、小さな端切れ布も使われることがある。上武さんは、その小さな布地を川にかかる橋にたとえていた。道や水路をすすむ様子を想定してつくられた刺繍もあるのかもしれない。とすると、地図になっていたりもするのかも!?と妄想してしまう。それなら、アイヌ文様は財宝の在処を示した暗号で・・・なんてミステリー小説がありそうな気がしてくる。

閑話休題、妄想はともかく、ルウンペの刺繍には縫い手の精神が宿っている。アイヌ刺繍は女性の仕事で、母から娘に受け継がれてきたものだという。基本パターンは民族独自のものだけれど、少しずつ縫い手の個性が重なって、それも何らかの形で受け継がれているのだろう。

それだけでもじゅうぶんワクワクする話だけど、縫い手が我を忘れるほど集中することでできた”意図しなかった”かたちの刺繍に、普遍的な(つまりシュルレアリスム的な)なにかが潜んでいたらどうだろう。それが何代にもわたって引き継がれて、民族文様が形成されたとしたら?

『アイヌ学入門』(瀬川拓郎著、講談社現代新書、2015年)に、以下のような図がある。

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このようにユーラシア大陸北東部の諸民族には、共通する要素をもつ文様がおおい。それぞれに由来となる神話があったり、象徴するモノや教訓があることだろう。もちろん交易の影響が反映されていることも考えられる。

なかには、シャーマンの呪術に関連するものもあるだろう。そうなると、わたしの悪い癖で、やはりシュルレアリスムと結びつけたくなってくる

それにしても、この類似した文様パターンにはとても惹かれる。まずはもっともっとアイヌの伝統文様を観てみたい。ああ、やはりウポポイを訪れないと。

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