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スピネルいろいろ

昨年書いたとおり、8月の誕生石として知られている宝石はペリドットだ。

ほかにサードニクスという瑪瑙メノウの一種も8月の誕生石になっている。瑪瑙は緻密な多結晶の石英。古くから知られている石ではあるけれど、透明度が低くていまひとつパッとしない。鑑別の現場でもほとんど見ない。そういうわけで、あまり執筆意欲が湧かないなぁと尻込みしていたのだけど、7月のスフェーンと同様に8月にもあらたに誕生石がくわわっていたのを思い出した。

その8月の新誕生石はスピネル(尖晶石)。

スピネルはピラミッドをふたつ合わせたような八面体の結晶が美しい。日本語の”尖晶石”は、そんな八面体のシャープな印象から名付けられた。整った八面体は研磨せずそのままの形でジュエリーにセットしても見栄えがする。

スピネルの結晶には、途中で成長方向がかわってできるマクルと呼ばれる平たい形のものもある。わたしもひとつだけだけど良品を持っている。

この八面体やマクルの結晶の形は、ダイヤモンドと共通だ。対称性が高く、光学的等方性(光学的等方性・異方性については前回のスフェーンの話を参照されたし)で、方向によらず一定の色を見せる。

スピネルの主成分はマグネシウムとアルミニウムと酸素。いっぽうコランダムはアルミニウムの酸化物。とてもとても大雑把にいえば、コランダムにマグネシウムが入りこんだのがスピネルの化学組成だ。だから、ルビーとサファイアの産地でいっしょに産出することがおおい。

昨年の7月にルビーについて書いた際、”バラス・ルビー”こと中央アジア産のレッドスピネルについても触れた。

ヨーロッパで長らくルビーと混同されていたというスピネルの話は、宝石にまつわる逸話としてはかなり有名だ。そのためなのか、スピネルといえばルビーみたいな赤い石の印象がつよい。

色がちがえば呼び名がちがう。そんな鉱物はことのほかある。赤いコランダムはルビー、青や黄色のコランダムはサファイア。緑色のベリルはエメラルド、青いベリルはアクアマリン、ピンクのベリルはモルガナイト。

赤の印象がつよいスピネルにもほかの色がある。ただしルビーやエメラルドとちがって、別の宝石名はついていない。赤以外の色のイメージが乏しいのはそのせいなのかもしれない。

それではほかにどんな色のスピネルがあるのか。今回はスピネルのカラーバリエーションについて書くことにしよう。

レッドスピネルは昨年書いた中央アジアのもののほかに、ミャンマー、ベトナム、タンザニアがおもな産地だ。ミャンマーとベトナムのものはルビーとおなじく結晶質石灰岩(大理石)のなかで結晶化したもの。とても鮮やかなものが出る。

古い変成岩が分布するタンザニアのマヘンゲからは、2007年に52キログラムを超える巨大な宝石質の結晶が見つかった(以下、ニュースのリンク)。それがおおきな話題になり、15年が経った現在でもとても人気のある産地だ。

タンザニアのマヘンゲ産のスピネルは真っ赤なものだけでなく、ホットピンク、ネオンピンクなどと呼ばれる鮮やかなピンク色のものが採れる。

ピンクは明るい赤だ。スピネルでは赤色をつくっているクロムの含有量が低いとピンクになる。クロムが赤色をつくっているのはコランダムもおなじ。クロムの少ないピンクサファイアは、ルビーにくらべるとどうしても印象が柔らかくなる。

いっぽう、タンザニア産のピンクスピネルにはピンクサファイアよりもはっきりとした印象がある。真っ赤なレッドスピネルにも劣らない力づよさがある。それはあくまで印象の話で、これらのピンクのちがいは定量化できていないのだけれど、そのうち科学的に説明される日が来るだろうと期待している。

タンザニア産のピンクスピネルは若干オレンジ味がある。それに対して、タジキスタンのものはパープルを帯びているものがおおい。タジキスタンは、かのバラス・ルビーと呼ばれたスピネルの産地。いまもタジキスタンのピンクスピネルは政府管理のもと流通が制限されているらしい。中世からのバラス・ルビーの逸話といい、現代の流通政策といい、紫がかったピンクスピネルには産地の位置するパミール高原のイメージがついてまわる。一種のブランド戦略だろう。

タンザニアとタジキスタンにくわえてベトナムもピンクスピネルの代表的な産地だ。ここの石にもオレンジ色をおびたものがあり、そのオレンジ色はバナジウムによってつくられている。ベトナムのスピネルはタンザニアとは産状が異なっているので、どうやらそれがピンク色にも影響しているらしい。スピネルの色因は未だ解明されていないところがある。

ベトナム産のスピネルにはレッドとピンクのほかにも特筆すべきものがある。ブルースピネルだ。

おなじブルーでも暗めのものから明るくて発色の良いものまでさまざまある。ベトナム産のブルースピネルには、とても鮮やかなブルーのものがあり、その発色には不純物として入っているコバルトが起因している。

それらは特別に”コバルトスピネル”の名前で呼ばれている。

暗いブルーのものは鉄の濃度が高い。そのような暗いブルーのスピネルは、実際にコバルトがふくまれていても着色の大部分は鉄によっている。以前は着色のメカニズムが解明されておらず、コバルトスピネルと呼ぶ基準が曖昧だった。現在も鑑別機関によってばらつきがあるようだけど、コバルトスピネルの名前は発色の良い明るいブルーのものに限られている。

わたしは絵を描くので、コバルトの名前には馴染みがある。絵の具の名前によく出てくるからだ。とりわけ鮮やかなブルーに”コバルトブルー”がある。

コバルトブルーの顔料は、酸化コバルトとアルミナの粉末を焼くことでつくられる。その組成式は一見スピネルのマグネシウムがコバルトに入れ替わったものみたいに見える。構造はことなるはずなのでスピネルとは言えないけれど、共通要素があるとついつい連想してしまう。

脱線ついでに旗の話もしておこう。オランダの国旗は赤白青の横三色旗。2年前に出した『国旗の図鑑』シリーズでは触れていないのだけれど、政府の公式文書ではこの青はコバルトブルーと規定されている。どうしてオランダでコバルトなのか・・といったことを考えるのもまた楽しい(脱線しっぱなしになるのでここではやらない)。

わたしが監修した『国旗の図鑑2ヨーロッパと南北アメリカの国旗』(2020年、あかね書房)より。

閑話休題、ピンクやレッドが人気のタンザニアのマヘンゲからブルースピネル、それも鮮やかなコバルトスピネルが出てきている。以下のリンクは今年5月のニュース。

タンザニア南部のトゥンドゥル地域で薄いブルーやバイオレットのスピネルが産出するものの、さほど注目されてはいなかった。マヘンゲで見つかったコバルトブルーのニュースは、上記サイトの"Out of the Blue"の見出しからもわかるように、かなりの驚きとインパクトをもって伝えられた。

わたしは今年2月に仕事でスピネルについてのウェビナー(YouTubeで視聴可)をおこなった。

そのときに「タンザニアからはブルースピネルも出ますか」という質問をいただいた。わたしはトゥンドゥルのブルースピネルについて回答したのだけど、もしかしたら質問者はいち早くマヘンゲの噂を知っていてその質問をされたのかもしれない。わたしがマヘンゲ産コバルトスピネルのことを知ったのは、その数ヶ月後だった。

レッドとブルーがあるので、それらが混じったパープルのスピネルも存在する。先にオレンジ色のものについても触れたけど、透明な宝石品質のスピネルに限れば、レッド、ピンク、オレンジ、ブルー、パープルあたりのカラーバリエーションがある。グリーンがかったものもある。

バイオレットやパープルで彩度が落ちるとグレーになる。一般的に色石の世界では、色を感じさせないグレーの石は不人気だ。しかしながらグレースピネルはそのクールな印象がひそかに人気のようだ。

先日ミネラルショーで入手した小さなミャンマー産スピネル。左はスケッチ、右はその写真。左上の研磨されたものがグリーン、右上の自形結晶がピンク、下のフラグメントがグレー。

グレーが濃くなると黒くなる。不透明で真っ黒なスピネルも存在する。このnoteの見出し画像にある、機関車と橋の彫刻につかわれている黒い石はタイ産のブラックスピネルだ。タイ西部のカンチャナブリーのサファイア鉱山で展示されていた。

カンチャナブリー県ボ・プローイのサファイア鉱山にて。サファイアの副産物として採掘されたブラックスピネル(上)とそのジュエリー(下)。

数年前のJournal of Gemmology誌にオーストリアの研究者による論文が載っていた。このタイ産のブラックスピネルに関する研究だ。

わたしもサンプルを採集して基本的な検査はおこなっていた。その高い屈折率と比重から、磁鉄鉱などほかの種類のスピネルグループにちかいのではないかと考えていた。しかしこの研究によると、鉱物学的な分類ではまだスピネルにちかいことが示されている。

タイのブラックスピネルの成分分析結果(Kruzsliczほか、Journal of Gemmology Vol 37 No1, 2020)。

なお、この研究では詳細な組成と構造を明らかにしている。光の吸収を調べるために10ミクロンまで薄くした執念には脱帽した(通常の岩石薄片の厚さは30ミクロンほど)。

スピネルグループという言葉をつかったので、簡単な説明をくわえておきたい。

冒頭付近に書いたように宝石のスピネルはマグネシウム、アルミニウム、酸素から成る。おなじ構造をもち、このマグネシウムとアルミニウムのところに別の金属元素がはいった鉱物がある。上の図のMagnetite(磁鉄鉱)、Hercynite(鉄スピネル、ヘルシナイト)がそんな鉱物。そうした鉱物はほかにもたくさんあり、金属元素の入れ物にあたる結晶構造がおなじなので、みんなスピネルグループと呼ばれている。

スピネルグループについては、ちょうど今年2月のウェビナーで説明した。折角なので、スクリーンショットを載せておくことにする。

今年2月のウェビナーより。スピネルの構造。
スピネルグループの鉱物の具体例。

宝石としてあつかわれるものに絞ると、いわゆるスピネルのほかには、マグネシウムのところに亜鉛が入ったガーナイト(亜鉛スピネル)がある。数年前にナイジェリア産のブルーガーナイトが流通し、わりと話題になった。

また、スピネルとガーナイトの中間的な組成のものはガーノスピネルと呼ばれる。比重や屈折率がことなるので、これらは基本的な鑑別道具で見分けることができる。

スピネルグループの鉱物は広い意味でスピネルと呼ばれることがある。そのため、ときおり混乱を招くことがある。そんなスピネルのなかまで鉄とクロムから成る鉱物にクロム鉄鉱(クロマイト)がある。クロム鉄鉱はマントル構成物質のカンラン岩中に見つかる鉱物。圧力などの関係で、上部マントルの一定の深さの領域におおく存在すると考えられている。

下の写真の左側は、地震波の速度から推定されているマントル物質の分布図。ここに「スピネル構造」の文字列が見える。このスピネル構造の鉱物こそクロム鉄鉱だ。下の写真右側のように、地殻変動で地表に現れたカンラン岩のなかから見つかっている。

左は『基礎地球科学』(西村祐二郎編著、2002年、朝倉書店)よりマントルの内部構造。右は『Simon & Schuster's Guide to Rocks and Minerals』(Prinzほか、1977年)よりカンラン岩中のクロム鉄鉱(Chromite)。

どうして急にマントル物質の話をしたのか。

冒頭にリンクを置いた、昨年書いた8月の誕生石ペリドット。ペリドットはマントルを構成するカンラン岩の主成分だった。そして上部マントルの特定の領域に存在するスピネルグループのクロム鉄鉱。

あらたに8月の誕生石が決められた理由は知らないけれど、ペリドットとスピネルが縁あっての顔ぶれのように思えてくるからおもしろい。

思えばスピネルは、透明度や硬度や希少性で宝石とされる条件をみたしていながらも、メインスリームにのぼらない不遇の立場だった。スピネルの市場価格は近年右肩上がり。さらに誕生石にも選ばれたことで、ようやく陽の目を見た感じがする。

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