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花火の季節にスフェーンを。

7月の誕生石といえばルビー。長らくルビーだけが7月の誕生石とされてきた。

昨年12月、日本での誕生石リストが改訂されて、あらたに10種類の宝石がくわわった。そのうちのひとつが、7月の新誕生石スフェーン。昨年はルビーについて書いたので、今年はこのニューフェイスについて書くことにする。

スフェーンは、よほどの宝石好きさんじゃないと知らない石かもしれない。

鉱物としてはその組成(主成分のひとつがチタン)にちなんでチタナイト(チタン石)と呼ばれる。結晶が尖った形なので、くさびいしの名もついている。スフェーン(sphene)というのは楔を意味するギリシャ語 σφηνώ に由来するという。宝石としてはこのスフェーンの呼び名のほうが浸透している。

楔形の結晶は、このスケッチよりも見出し画像のほうがわかりやすいかもしれない。わたしは研磨されたスフェーンを持っていないので、書籍の写真を載せておくことにする。

『Rare Gemstones』(Renée Newman著、2012年)より、この見開きページのいずれの写真もスフェーン。

このとおり、だいたいがグリーンや褐色をしていて、研磨するとギラギラした虹色の輝きが見えるのが特徴だ。この虹色の輝きは、宝石業界ではファイヤーと呼ばれる。ファイヤーはダイヤモンドにも顕著にみられる。

このスフェーンの特徴はその高い屈折率と分散による。屈折率については、いままで断片的に触れてはきたけれど、丁寧に説明したことはなかった。せっかくなのでこの機会に書いておこう。

透明な物質に光が差すと、そのなかを光が進む。物質によって、その光の進む速度(伝播速度)が異なる。屈折率とは、空気中の光の伝播速度にたいする物質中の光の伝播速度で表される。

光の速度のちがいが進行方向の屈折に関連することについては、ちょっとむつかしい説明が必要だ。けど、あえて簡単な例をあげてみよう。たとえばスケートリンクから降りるときの感覚。スケート靴を履いて斜めにリンクから出ると、つんのめってまっすぐは進めない。どうしても曲がってしまう。自動車がぬかるんだ道に差し掛かると曲がってしまうのも感覚的にちかい。

光の伝播速度は物質によって異なるだけではなく、光の波長によっても異なる。波長のちがいはスケート靴を履くか、スニーカーを履くかのちがいと思えばよい。足場のちがい、氷なのか舗装道路なのか地面なのか芝生なのか・・・を知るには同じ靴で歩いてみればわかる。足場のちがいは物質の屈折率、靴の違いは光の波長。

宝石の鑑別では、屈折率を調べるのにD線という黄色い光をもちいる。波長は589ナノメートル。この波長の光での屈折率を調べることができれば、その物質がなんなのかだいたいの見当がつく。

屈折計(リフラクトメーター)という専用の道具がある。屈折計のガラス部分に接触液を挟んで宝石を載せ、この黄色い光を通すことで屈折率を読み取る仕組みだ。

『Gemmology Third Edition』(Peter G. Read著、2005年)より、屈折計の図解。

この図を見たところで、カラクリを理解するのはむつかしいかもしれない。

屈折率の高い物質をとおった光は、屈折率の低い物質に抜けるとき、入射角がある角度になると90度に屈折する。その角度よりもおおきな入射角では、光は屈折せずに反射する(全反射)。

この角度を臨界角(図中のCritical angle)とよぶ。臨界角は光をとおす部分ととおさない部分の境界になるので、その境界線が見える。その明暗の線の位置が臨界角。この臨界角を屈折率に換算できればよいから、屈折計にはその換算のための目盛が組み込まれている。境界線のところの目盛を読めば宝石の屈折率がわかるというわけ。

この屈折計のなかにある高密度ガラス(図中のDense glass prism)の屈折率(1.81)が、測定できる屈折率の限界になる。たとえば、屈折率が1.76〜1.77のサファイアや1.67〜1.69のペリドットは測定できるけれど、2.42のダイヤモンドは測定できない。ガーネットには測れるものと測れないものがある。スフェーンの屈折率は1.84〜2.11と高いので、このタイプの屈折計では測定できない。

屈折計の測定限界を超える宝石はそうおおくはない。スフェーンはそんな高屈折率の宝石のひとつだ。

屈折率が高いとどうなるのか。

スケートリンクを出るときの感覚を例にしたように、屈折というのは、光が異なる物質の境界面をとおるときに光の進行方向が変わる現象をいう。この性質によって、プリズムを通過した白色光は虹色に分解される。なぜならば光の伝播速度すなわち屈折の角度は波長、つまり光の色によって異なるからだ。

白色光は虹色の光の集まりだという話はよく知られている。空にかかる虹は太陽光が分解されて見えたものだ。雨あがりに水蒸気量に偏りができた空気のかたまりがプリズムのような役割をして、太陽光が分散される。

宝石でも屈折率が高いほど、宝石に入った光が分散されて虹色が見える。上に書いたように宝石業界ではファイヤーと呼ばれているけど、じつはレインボーとでも呼ぶのが適切なんじゃないかと思う。

光の分散は屈折率が高ければだいたいおおきくなる。しかし分散の度合いは黄色い光による屈折率だけではわからない。可視光線は波長の短いほうが青紫バイオレット、長いほうがレッド。それぞれの屈折率の差が分散のおおきさで、それもまた物質によってことなっている。

宝石鑑別ではわざわざ青紫と赤の光で屈折率を測ったりはしない。鑑別につかうには、ほかの情報、たとえば黄色い光での屈折率や比重、高度な分析機器で得られるデータほど有力ではないのが理由。しかし鑑別の経験が長くなると、ファイヤーの見え具合で感覚的に推測できるようにはなる。ものの本には分散度の一覧が書かれていたりするから、分散の値はファイヤーの見え具合の直感的な確認にはつかえる。

ダイヤモンドの分散度は0.044。スフェーンは0.051。スフェーンのファイヤーはダイヤモンドのそれを凌ぐ。

チタンをふくむ物質は屈折率が高く分散もつよい傾向がある。ベニトアイトは0.046、ブルッカイトは0.131、アナテースは0.213、ルチルにいたっては0.280だ。これらの鉱物は宝石として研磨されると、それはそれは派手に輝く。

合成ルチルの研磨石の写真。無色透明だが鮮やかなファイヤーが現れる。合成ルチルは一時期ダイヤモンドの模造品として作られていた。『Simon & Schuster's Guide to Gems and Precious Stones』(C. Cipriani & A. Borelli著、K. Lyman編、1986年)より。

もうひとつスフェーンの光学的な特徴がある。複屈折だ。

鉱物には光学的異方性、光学的等方性という光と方向についての性質がある。

光学的異方性とは、簡単に言えば、結晶の向きによって光の伝播速度に差ができる性質だ。結晶の非対称性がその原因。伝播速度がちがうということは屈折率がことなるので、光が2方向に別れて進む。つまり方向によって反対側が二重にずれて見えることがある。これが複屈折。

いっぽう光学的等方性は、向きによる差がない性質をいう。結晶ではないガラスや、対称性の高いダイヤモンドなんかが相当する。二重には見えない。

鉱物の大半は光学的異方性をしめす。よく知られているのは、方解石(カルサイト)という鉱物。先ほど屈折計の説明でサファイアとペリドットの屈折に幅を持たせて紹介したけれど、それはこれらの石が光学的異方性をしめすからだ。

スフェーンの屈折率は1.84〜2.11。向きによる差がおおきいので、かなりはっきりと複屈折が見える。鑑別の現場では複屈折による二重像をダブリングと呼んでいる。ダブリングの顕著な宝石は、スフェーンのほかにトルマリンやペリドット、ロードクロサイトなどいくつかある。

スフェーンは分散がおおきくてファイヤーがあり、なおかつダブリングも強い。顕微鏡で観察しているとちょっとクラクラしてくるような、強烈な個性がある石だ。

ここでちょっと寄り道。

カメラや望遠鏡など光学機器のレンズには、像がぼやけたりずれたりする「収差」という現象がある。なかでも光の分散によって色が滲むように見えるのが色収差。目的によっては、なるべくこれを抑えられるレンズが必要になる。

フローライトレンズがよく知られている。フローライト(フルオライト)は蛍石の名前で知られる鉱物。傷つきやすいので、あまり装身具にはつかわれない鉱物だ。世界的に広範囲で産出するので、ミネラルショーなんかではよく見かける。

蛍石の屈折率は1.4ほどと低い。分散度もとても低い。無色透明の結晶は紫外線から赤外線まで幅広く透過する。等軸晶系(立方晶系)という対称性の高い結晶なので複屈折はない。ただ無色透明でおおきな単結晶は滅多にないので、レンズ用には溶かして再結晶させた合成品がつかわれることがおおい。それでもかなり高価だ。

メガネのレンズも、薄くするために屈折率の高い素材が開発されている。かつてはわたしのようなド近眼は「牛乳瓶の底」と呼ばれた分厚いレンズが必要だった。視界の端で色が滲んでいたのを思い出す。今わたしが愛用しているメガネのレンズは非球面の高屈折率プラスチックレンズ。技術革新には感心するばかりだ。

レンズといえば、もちろん拡大鏡(ルーペ)にもつかわれている。

細部を観察するためのルーペも、クリアな像をみるために収差は軽減する必要がある。収差を打ち消すように計算された複数のレンズを張り合わせたものがあるけど、その技術レベルはとても高い。わたしがスケッチしたものはトリプレットレンズという、3枚のレンズを張り合わせたもの。

収差のないレンズ越しに見るのは、収差に関していえば裸眼で見るのとおなじ。ファイヤーやダブリングが見えるのはあたりまえのことだ。だけど、高い技術で収差を除去し、かつ高倍率で拡大するルーペの向こう側で、ギラギラとファイヤーとダブリングを見せる石が輝いている。この事実を思うと、なんとも不思議な感覚になる。

ギラついた輝きのスフェーン、もしやルーペのレンズに施された高い技術を嘲笑っているのか。

ファイヤーよりもレインボーなんて書いたけど、ファイヤーの用語からは花火を連想する。そういえば夏は花火の季節だ。スフェーンに特徴的な、ダブリングで二重に霞む研磨面に浮かぶ花火のような閃光。どうして7月の誕生石なのか不思議だったけれど、なんだか妙に納得できてしまう。

いままで誕生石シリーズでとりあげてきた宝石とちがって、スフェーンにまつわる話はほとんどない。そのため、屈折率と分散についての技術的な内容がメインになった。なるべくシンプルに、むつかしい表現を避けたつもりだけど、いわゆる理系分野に馴染みのないかたがたには伝わっただろうか。こまかい内容は別にして、スフェーンの輝きの向こう側にも、いろいろな秘密があること、そのおもしろさを知ってもらえたら嬉しいと思う。

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