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ペリドットに秘められた超絶スケール感

8月の誕生石はペリドット(ペリドー)。ながい歴史をもつ緑色の宝石。エメラルドのように鮮やかなグリーンというよりも、落ち着いた色合いのグリーンをしている。そのためか、緑色の宝石の代名詞の座はエメラルドにゆずっているけれど、コスチュームジュエリーに使われたりして、根強い人気がある。

今回はちょっと複雑になりそうなので、ここで簡単な地学用語解説を。

カンラン石(オリビン):鉱物グループ名。緑色のものが宝石のペリドットとしてあつかわれる。
カンラン岩(ペリドタイト):主にカンラン石からなる岩石。地球のマントルを構成する主要な物質。
フォルステライト:苦土カンラン石ともいう。マグネシウムに富むカンラン石の一種。
パラサイト:石鉄隕石。カンラン石をふくむ。
捕獲岩:火山活動にともなって岩石がマグマに取りこまれて運ばれてきた岩石。結晶の場合は捕獲結晶とよぶ。

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先月、西洋ではながらくルビーとスピネルが混同されていた話を書いた。中世の科学の最先端だったアラブ世界では、すでに科学的に別の鉱物として分類されていたということにも触れた。

ペリドットにも似たような話がある。

中世のヨーロッパでは、おなじ緑色のエメラルドと混同されていたようだ。下の写真は、『Jewel: A Celebration of Earth's Treasures』より、ドイツのケルン大聖堂にある三賢王廟(Shrine of the Three Holy Fathers; Dreikönigenschrein)。

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この廟は、あの新約聖書の東方三賢者(または三博士)をまつる宗教施設として12〜13世紀につくられたものだ。このてっぺんにある5つの大きな緑色の宝石はペリドット。これがエメラルドとされていたという。

古代から中世、エメラルドの産地として知られていたのはエジプト。そのエジプトのエメラルド産地は現在のスーダンに近いところにあって、同じところからペリドットも産出する。混同されるのもやむなしか。

エメラルドはあのクレオパトラが愛した宝石ということだけど、そのコレクションの大半はペリドットだったのではないか・・・なんて話もある。

そのペリドット、じつは紅海にうかぶザバルガッド島で高品質なものが採れる。現在は、鉱山が保護されていて採掘が禁じられている。ここはエジプト本土からは目と鼻の先。実際、現在もエジプトの一部だ。

大陸側のエジプトで採れるエメラルドは、残念ながら品質は高くない。いっぽうで、紅海の島から採れる高品質なペリドット。やはり、クレオパトラのエメラルドはザバルガッド島のペリドットだったのではないかと思ってしまう。ちなみにアラビア語でペリドットを”ザバルジャッド(الزبرجد、エジプト方言ではザバルガッド)”とよぶ。

ルビーのときに紹介した13世紀のアフマド・アッ・ティーファーシー。彼は10世紀のイスラーム世界の大学者アル・ファーラービーの説をひきあいにして、ペリドットはエメラルドとは異なる鉱物だと書いている。

10世紀、ファーラービーは、「ザバルジャッド(الزبرجد、ペリドットの意)はズムッルド(الزمرد、エメラルドの意)のアラビア語名だ」と書いているという。しかし、ティーファーシーは「これは誤りで、これらはまったく別の鉱物である」と断言している。

ファーラービーは中央アジア出身のトルコ系かペルシャ系の人物らしい。10世紀のイスラーム世界で、古代ギリシャの哲学に範をとって多くの書物をのこし、中世アラブ世界のサイエンスに影響をあたえた。しかし、ギリシャ哲学をやっていたせいなのか、母語がアラビア語ではなかったせいなのか、石の名称については誤解をしていたのかもしれない。

ちなみに上記のケルン大聖堂の廟は、ティーファーシーが「ペリドットはエメラルドではない」と書くすこし前につくられたということだ。

昨年の8月、わたしはTwitterの英語アカウントで2点のオイルパステル画を公開していた。左はわたしがシリアで採取したもの、右はミネラルショーで買ったアリゾナ産のもの。

どちらも捕獲岩とよばれる、火山活動によって地下深くから運ばれてきたものだ。外側の黒っぽい部分が玄武岩など溶岩に由来する火山岩で、その中にある緑色の部分がカンラン岩(ペリドタイト)。これを構成するカンラン石はオリーブ色をしていることが多いので、英語ではオリビン(olivine)とよばれている。このカンラン岩部分がマグマに”捕獲”されたもの。

このカンラン石、ひとつの鉱物名ではない。固溶体といって、成分のことなる複数の鉱物が混じりあっている。そのうちのひとつ、マグネシウムが主成分のフォルステライト(苦土カンラン石)に、わずかな鉄がくわわると黄緑色になる。おなじカンラン石でも、鉄が主成分のファイヤライト(鉄カンラン石)は黒っぽい。

ペリドットは、鉱物学的には”若干の鉄をふくんだフォルステライト”ということになる。

先日書いた「ジュエリー文化を次世代に」のなかで紹介した、VCAのレコールとパリ自然史博物館による書籍『GEMS』。「鉱物から宝石へ」の章に、興味ぶかいものが載っている。

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この写真の左側がエジプト産(ザバルガッド島産)のペリドット(96.7 ct)、右側がタジキスタン産のフォルステライト(10 ct)。

先に書いたとおり、ペリドットは鉱物名としてはフォルステライトだ。フォルステライトは不純物をふくまないと無色透明なのだけど、だいたいが不純物によって黄色や緑色、褐色をしている。無色のものは滅多にない。

ここには緑色と無色のフォルステライトが並んでいる。

緑色と無色のカット石をならべた展示や写真はたくさんあっても、両方がフォルステライトというのはなかなかお目にかかれない。この選択、さすがは自然史博物館だと関心させられた。

このカンラン石からなるカンラン岩、じつは地球でもっともおおく存在する岩石だ。というのも、冒頭の用語解説のとおり、地球のマントルを形成する主な岩石だからだ。

地球は核・マントル・地殻の成層構造になっている。それぞれを卵の黄身、白身、殻にたとえると、マントルは白身に対応する。この白身にあたるマントルは、体積にして地球の約80%。そのマントルの主成分がカンラン岩。ペリドットは地球を代表する宝石といっても良いかもしれない。

上に、「火山活動によって地下深くから運ばれてきた」捕獲岩だと書いた。マグマが”捕獲”したのは、上部マントルにあったカンラン岩だったというわけだ。

地球の体積の80%以上を占めるといっても、マントル物質のほとんどは地表にはない。火山活動で運ばれてくるか、地殻変動でマントル物質が露出するかぐらいだ。ではどうして誕生石にされるぐらいポピュラーなのか。

それは地表近くの地殻でもできるからだ。

地下深くからやってきたカンラン石が、熱水にともなって再結晶することがある。大陸地殻が衝突しているヒマラヤ山脈(上部マントルの岩石をまきこんでいる)や、マントル物質が露出している紅海がそのような環境。

ペリドットの産地のうち、ヒマラヤ山脈に関係するところではパキスタンやミャンマーが、紅海では先述のザバルガッド島が相当する。これらの産地からは、マントル物質の再結晶でできた、透明度が高く大きな結晶が採れることがある。

宝石になる鉱物の大半は、卵の殻に相当する地殻でできる。地表ちかくで再結晶するにせよ、もともとがマントルを構成する物質であるペリドットは地球まるごとのスケールの宝石だと言える。

それだけではない。地球の内部を構成するということは、ほかの地球型惑星にもおなじことがいえる。

太陽系の惑星が形成されたとき、原始惑星とおなじようにして微惑星ができた。その微惑星がバラバラになって漂っているのが小惑星。その小惑星には原始太陽系の状態が保存されている。その小惑星の破片や宇宙空間のチリが地球までやってきたのが隕石。その隕石には、金属鉄とカンラン石からなる岩石質の隕石がある。

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産業技術総合研究所地質標本館編『地球 図説アースサイエンス』(2006年、誠文堂新光社)より。

この隕石のなかのカンラン石には、研磨できるクオリティのものがある。研磨したものは、パラサイト(石鉄隕石)のペリドットということで、パラサイティック・ペリドットなどとよばれる。まわりの金属部分といっしょに研磨されるものもある。

さっきペリドットは”地球まるごとのスケール”と書いたけど、じつは太陽系スケールだったのだ!

さらに、その年代。あたらしいペリドットは、数百万年前ぐらいに再結晶したものがある。隕石由来のペリドットは、地球とほぼおなじ45〜46億年前にできたことがわかっている。これは文句なしで一番の古さだ。ペリドットは時間のスケールも桁外れだった!

◆◇◆

話を13世紀のアラブ世界にもどす。

ティーファーシーは、ペリドットがアレクサンドリアの古代遺跡でおおく見つかっていると書いている。さらにインドやヨーロッパで人気があるとも書いている。このアレキサンドリアの遺跡の詳細は明記されていないけれど、「アレクサンドロス大王の財宝の一部」とのことだ。

アレクサンドリアはその名のとおり、マケドニアのアレクサンドロス大王によって建設された都市。発掘されていたものが大王の財宝だとすると、ティーファーシーの時代から約1500年も前だ。13世紀に考古学の遺跡調査をしていたこと自体、すごいことだと思う。ムセイオンが古代ギリシャの学術研究拠点だったことを思えば、うなずける逸話かもしれない。

ティーファーシーによると、当時ペリドットはエメラルドとおなじものから結晶化し、エメラルドからペリドットができるのだと考えられていたようだ。「熱のかかった時間が短いため(エメラルドにくらべて)やわらかくなった」という書き方をしている。もちろんこれは科学的には正しくない。もしかすると、ザバルガッド島が紅海にあることから、このような推測(海水があるために温度があがらない?)がされたのかもしれない。

しかし、ふしぎなことに、ティーファーシーはペリドットの産地として、この紅海にうかぶザバルガッド島についてはなにも書いていない

ザバルガッド島は古代ギリシャでトパジオス(Τοπάζιος)と呼ばれていたという。プリニウスの『博物誌』でもこの名で書かれている。トパーズは別の鉱物だけど、古代ギリシャではペリドットと同一視されていたらしい。アラビア語でもザバルガッドはペリドットを指す。島の名前のとおり、ザバルガッド島のペリドットは、13世紀のアラブ世界ではもちろん周知の事実だったはずだ。

これはどういうことだろう。

ティーファーシーがあえて書かなかったような気がしてならない。

上述のとおり、ペリドットはアレクサンドロス大王の財宝として遺跡で発掘されていた。ティーファーシーは、遺跡から出たペリドットを見せてもらったと書いている。その出土ペリドットについての話がちょっとかわっていて、「紫色の層に覆われているので研磨しないと本当の色がわからない」のだという。

なんだそれは。

熱水で再結晶したペリドットの産状としては思いあたるものがない。では捕獲岩のカンラン岩はどうか。はっ、もしや外側の玄武岩のことだろうか。上に載せたわたしの描いたオイルパステル画(もしくは見出し画像)でも、グレーがかった玄武岩のなかにカンラン岩があるのがわかると思う。これは、見ようによっては紫色の層と形容できるかもしれない。

ティーファーシーは、「エジプトのエメラルド鉱山からは、ペリドットも出ることには出るがとても希少だ」と書いている。彼が実際にそれを見たかどうかは明かされていない。そして実際に見たと書いているのは、遺跡から出たもので、鉱山から採れたものではない。

ザバルガッド島がその名のとおりペリドット産地なのは周知の事実。彼が見た考古遺物のペリドットは捕獲岩のカンラン岩で、ザバルガッドのものではなさそうだと判断したのかもしれない。それで、誤解をふせぐためにあえてザバルガッド島の名前を出さなかったとは考えられないだろうか。

もちろん真実はわからない。ただ、その歴史がながいぶん、こうしてあれこれ考える楽しみがある。過去の文献からもこうして思考思索の楽しみをあたえてもらえるのは、とても得した気分だ。

ペリドットは比較的地味な宝石かもしれない。けれど、場所や時間だけでなく、宝石としての歴史的なスケールもずば抜けておおきい。だらだらと5000文字以上も書いてしまったけど、書きながらもあらためてペリドットの凄さを実感できたような気がする。

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