国際宝飾展でシゴトについて考えた。
noteにログインすると表示されるコンテストの数々。このところ、パナソニックさんの「#この仕事を選んだわけ」が気になっていた。どこかで書きたいと思いながらも、なかなかそのきっかけがなかったテーマだからだ。
現在わたしが定収を得ている仕事は宝石の鑑別。米国の鑑別機関の研究部門に所属している。主たる業務は研究なのだけど、お客様の宝石を鑑別することはもちろん、セミナーで講演したり、いくつかのジュエリーブランド向けに企業研修の講師なんかもやっている。
国際宝飾展(通称IJT)は、毎年1月に東京ビッグサイトでおこなわれる宝石・ジュエリーの展示会。国内最大規模だ。職場はこの展示会に出展している。わたしは昨年から担当をはなれているけど、今年も最終日に個人客として足を運んだ。
パンデミックのせいでいろいろと変化のつづく世の中。今回のIJTでも考えさせられるところがあった。ちょうど良いタイミングなので、「#この仕事を選んだわけ」コンテストのエントリとして宝石鑑別の仕事について書くことにする。
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わたしが宝石鑑別の仕事に就いたのは、9年前。それまでは、ずっと大学の有期雇用や非常勤講師で食いつないでいた。直近はモンゴルでの鉱物資源開発に関する仕事だった。
大学は教養部の改組でできた情報系の学部だった。大学院での専門は地学ベースの環境科学。もともと学際分野(複数の専門分野にまたがる研究)を志向していたこともあって、さまざまな専門分野をつまみ食いするように学んだ。
世間でいう氷河期世代。一般企業への就職は念頭にはなく、学際的な研究は既存のキャリアパスから外れていた。これは冷静に考えれば無謀な選択で、モラトリアムだ高等遊民だと揶揄されることも少なくなかった。
社会は常に変化している。アカデミアでも常にあらたな枠組みや分野が提案される。とうぜん淘汰されるものだってある。既存のレールに乗ってわずかな安定を求めるか、不安定でもあらたなレールを探してみるか。当時のわたしは、なにがあっても自業自得だと腹をくくって、エキサイティングな新しい分野を模索した。
宝石の仕事は、モンゴルに居ながら職探しをしていてみつけた公募だった。
モンゴルでの資源開発にかかる研究成果は、その性格上、公表することがむつかしかった。長男は就学年齢に近づいていた。モンゴルでの教育に不安がないといえば嘘になる。そして年平均気温が氷点下という寒さ。大気汚染も深刻だ。キャリア面でも生活面でも長居は無用だと判断した。
日本だけでなく、中東や東南アジア、オセアニアもターゲットに入れて、博物館や教育機関などの仕事も探した。宝石鑑別機関はまったく想定していなかった。というよりも、その存在を知らなかった。たまたま研究者向けの求人サイトで、東京でオープンする鑑別機関の募集をみつけた。応募は英文履歴書をメール送信するだけ。ダメもとで、ほかでつかった履歴書を送ってみた。
わたしの経験と宝石鑑別のニーズがマッチしていたのだろう。これまでの専門はドンピシャの鉱物学や結晶学ではなかったけれど、地球科学の素養はある。リモートセンシングのおかげで分光学も知っていた。モンゴルでつかっていた分析機器は宝石の産地鑑別に不可欠なものだった。点と点とがつながった。国際電話による面接と東京での面接を経て、採用が決まった。
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あ、「この仕事を選んだわけ」を書きおえてしまった。ここからは、宝石業界にまつわる話と、わたしにとっての「これからの仕事の選びかた」について書こう。
冒頭で触れた国際宝飾展(IJT)は、昨年はnoteでも書いたとおり規模を大幅に縮小しての開催だった。
そして今年は、一昨年の西展示場から従来の東展示場にもどっての開催。しかし海外の出展者が来日できないこともあってか、会場の面積は縮小されている。ブース以外の空間も目立つ。
ガイドブックはかろうじて背表紙がつく厚みになっていたとはいえ、出展社の紹介ページは空白ばかり。昨年につづいて表紙の写真に宝石はなく、地金のチェーンのみだった。もっともこの表紙デザインは、最近の金の高騰を反映しているのだろうけれど。
IJTで出張鑑別をしていたころは、わたしがブースのデザインを担当し、何日間かは常駐していた。それから会社の体制もかわり、わたしの所属部署もかわって、いまは完全にノータッチ。仕事で会場入りすることはなくなった。そのぶん、個人的に会場を訪れて、ほかのブースを見てまわったりお客様と話す余裕ができた。
一般客も来る土曜日。昨年よりも活気はあった。しかし何年も前のIJTを知っていると、やっぱりもの足りなさを感じる。ひろく設けられた商談スペースには、腰掛けて休憩する人たち、またはスマホを操作している人たちの姿があった。
今まで継続して出展されていたいくつかの会社のブースがなかったのは気になった。コロナ禍ももう2年。諸外国のおおきなショーは中止になったり縮小されたりがつづいている。展示会抜きのやりかたに路線変更されたのかもしれない。
買い付け目的で来ていた旧知のディーラーさんは、目新しいものは何もないとこぼしていた。いっぽう、たくさん売れたと表情をゆるめる出展者さんもいた。新規参入のお客さんと良い商談ができたという声も聞いた。先月の池袋ショーでラブラドライトのペンダントを買ったお店は、先月と同じように慌ただしくしていた。ここは毎年変わらないスタイルらしい。
◇
わたしは途中、別件で会場を離れたけれど、夕方にはもどった。そして終了する午後5時まで会場にいた。閉幕時間が近づいても人だかりの絶えないブースがいくつかあった。スーパーのタイムセールよろしく閉店間際のバーゲンセールでもしているのだろうか。
そこにはスマホをかざす人たちばかり。見目麗しい若い女性がおおい。
彼女たちは中国人バイヤーのようだ。ジュエリーを自分たちの近くに寄せてライブ配信している。そうか、彼女たちはモデルさんも兼ねていたのか。スマホのライブ配信にはどんどんチャットの書き込みが入っている。最後の最後までライブ配信で商売していた。
なるほど商談スペースに人がいないわけだ。会場は撮影禁止だったけど、各ブースで許可を取れば撮影可能。いや、はじめからライブ配信が前提のブースもある。モノを映せなければ意味はない。展示されているジュエリーを映して中継すれば、その場で売買する感覚に近くなる。
展示会は小売ではなく卸し。値段も上代ではなく卸価格。いま、ただでさえ日本は物価が安い。ライブ中継のスマホの向こう側にいる顧客の大半は投機目的。こんなに魅力的なものはないだろう。テレビ通販番組の大特価セールのようなものだ。
高く売れるから買う、そのために売るというのは経済活動としては健全なこと。ただ、なんでも売れれば良いというだけでは、文化としての深みがなくなってしまう。偏りすぎるのは長期的には不健全だ。
ほかの業界の中国人の話だと、投資先を探している富裕層がおおいという。好景気の中国。世界一の人口をほこる中国。一部の富裕層でも相当な数になる。バーゲンセールにしかみえない日本の展示会。ああ、日本がエコノミックアニマルと揶揄されていた高度成長期のようだ。当時の諸外国はこんな感覚だったのかもしれない。
宝石産地ではない日本は、かつては最大の消費国だった。その日本のジュエリー業界は、今後しばらくは外国の富裕層に向けた供給側の役まわりか。低コストで高品質の加工拠点。職人気質の日本人にはこのぐらいの立場が向いているのかもしれない。
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鑑別機関の立場はある意味傍観者。商売をされているかたがたからすれば気楽に見えるかもしれないし、実際そうだと思う。それに、わたしはIJTの最終日に行っただけなので、偏った見かたをしているかもしれない。展示会の印象は人によっておおきく違っていそうだ。
わたしにとって、今年のIJTはあらたな情報収集の場ではなかった。国境を越える移動が再開されれば別だろうけれど、諸外国の宝石産地や処理の目新しい情報は乏しかった。しかし、上記のとおり動向を知れたのは良かった。
中立性が求められる鑑別機関。第一の目的に消費者保護があり、公正さとその信頼性は生命線だ。展示会のブースをまわっても、売る側と買う側、さらにはつくる側をすべて俯瞰するような気持ちで居つづけているのは、きっと鑑別機関としての視点なのだと思う。
繰り返しになるけど、わたしは研究をメインに仕事している。どんな石なのか、どうやってできたのか、どんな処理がされているのか、産地はどこか。それらの鑑別方法のアップデートも研究の対象だ。鑑別現場の仕事だけではなく、研究側だからこそ、業界に貢献できることがありそうだと思っている。
いつまでこの仕事をつづけるのかわからない。ときどき次のステップのことを考える。宝石自体について、その産地について、宝飾業界の現在や歴史について、俯瞰的にながめている。ここでは具体的なアイディアは書かないけれど、これまでの経験を活かして、もっと創造的な仕事が始められそうな気がしている。できればいいなと思っている。
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わたしには、宝石の専門家としてだけでなく、絵描きとしてのアイデンティティもある。不安定な学際研究の世界にいて、なんとか心を保ってこれたのは、このアイデンティティのおかげだ。noteのプロフィールでも最初に「絵を描いています」と書いている。わたしのウェブサイトは「Artist at Heart」という名称だ。
昨年末、アコヤ真珠と母貝をテーマに個展をやった。それもあって、いろいろと日本の真珠業界のかたがたとのつながりができた。IJTでも、これまで縁遠かった真珠業者さんと話せたのはおおきな収穫だった。
今回のIJTで、わたしは絵の題材として真珠をいくつか購入した。その真珠たちは、取り出されたままの姿のいびつなアコヤ真珠。綺麗に整ったアコヤ真珠はもちろん綺麗だけど、いびつなものも美しい。従来市場に出てこなかったこうした真珠はじゅうぶんにクリエイティブな素材になり得ると思っている。
わたしにとっての絵画は、このnoteで長々と書いた宝石鑑別とは別の仕事のつもりだ。別々の仕事をつなげるのは楽しい。しばらくは、これらのいびつな真珠をつかって新たなシゴトをつくることを夢想したい。
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