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大西洋をわたった印象派

ちょっと日常に追われていたら、いつの間にか春分を過ぎて春になり、3月がほんとうに去ってしまった。4月になって早くも1週間が経とうとしている。

季節といっしょに記憶が過ぎ去る前に書いておかないとと思うことが多い。そのひとつは2月に足を運んだ東京都美術館の「印象派 モネからアメリカヘ」。米国マサチューセッツ州のウスター美術館所蔵作品を中心にした展覧会だった。

このところ印象派の展覧会が多いように思う。とりわけクロード・モネにフォーカスしたものでは、上野の森から大阪に巡回した「連作の情景」展があったし、今秋にも西美で「睡蓮のとき」が予定されている。このウスター美術館展も副題にモネとあるので一連のものと似た展覧会かという感じがするけれど、「モネからアメリカヘ」と人名と地名の取り合わせが不思議だ。いったいどういうことだろう。

この展覧会で最初に展示されていたのはトマス・コールによる風景画。

図録より、トマス・コール《アルノ川の眺望、フィレンツェ近郊》

このとおり、コールはロマン主義の影響を受けた風景画を描いている。この作品が印象派展の冒頭を飾っていたのは意外だった。

この絵は英国移民の米国人コールが旅先のイタリアを題材にして描いた作品で、ドイツ・ロマン主義のフリードリヒなんかがよく描いていた薄明かりの風景画に通じる雰囲気がある。

「世界遺産・博物館島 ベルリンの至宝展」(2005年、神戸市立博物館)図録より、フリードリヒ《孤独な木》

時間帯は不明。太陽が朝陽なのか夕陽なのかは定かではない。そう、ロマン主義絵画では朝や夜とわかるものもあるが、低い位置の太陽や月による薄明かりは観念的な画題を演出するための舞台装置のような性質がある。モネが《印象 日の出》で描いた現実の日の出とは目指しているものが根本的に異なる。このコールの作品は、一瞬の光景を捉えたものではなく作為的な画面のように思える。

「モネ―印象 日の出」(2008年、名古屋市美術館)の図録より、モネ《印象 日の出》

展覧会の副題に「モネからアメリカヘ」とあったけれど、このように展覧会のはじまりはモネの作品ではなかった。これはもしや、印象派の出発点になった《印象 日の出》に呼応させる意図があったのだろうか。フランス生まれの印象派が大西洋の両側で発展する様を見せる展覧会の出だしとしては、あり得そうな選択だと思った。

最近の印象派の展覧会では、その前駆としてレアリスムやバルビゾン派の作品が導入部に展示されることが多い。この展覧会もそれは同様で、コローやドービニーの作品がならんでいた。のちに大西洋をわたった印象派が北米大陸の雄大な自然をモチーフにすることを暗示するような位置づけになっている。

図録より、カミーユ・コロー《ヴィル=ダヴレーの牧歌的な場所―池畔の釣り人》

19世紀のアカデミックなパリ画壇では風景画の地位は低かった。その風景画に焦点をあてたという文脈で、しばしばバルビゾン派は語られる。その革新性はバルビゾンやフォンテーヌブローでの戸外制作を通して、生物、自然、天候や光線そのものを直に観察することで得られた、いわば科学的な厳密さにあった。

バルビゾン派の戸外制作に触発されて現れた印象派。印象派といえば、筆づかいを残す表現や即興性、日常性、うつろう“印象”にこそ、その個性があるように語られる。それは“印象派”という語がモネ作品の未完成感を揶揄する批評を逆手にとって定着した呼び名だからだろうか。

印象派絵画に見られる未完成感は結果のひとつでしかなく、現実・現象をむしろ客観的に観察して画面に記録しようとするアプローチそのものが本質なのだ。レアリスムやバルビゾン派を導入部に置くことで、その印象派の制作姿勢と目指したところがはっきりしてくる。

異色の展示があった。ウスター美術館の作品収集に関する書簡のやり取りの記録だ。ひとつはモネの《睡蓮》購入にまつわる画廊とのもの、もうひとつは米国人画家チャイルド・ハッサム本人からの作品購入についてのもの。

図録より、デュラン=リュエル画廊とのやり取りの展示内容。
図録より、ハッサムとのやり取りの展示内容。図録のページを撮影したら映り込んでしまった我が家の猫もついでに。

同館がいかに早い段階から印象派絵画に注目し、同時代に地元米国で印象派を引き継いだ画家の作品を意欲的に収集していたのかがわかる。

早くからモネ作品に目をつけていたフランスの画廊、画廊と交渉していたウスター美術館、同時代の画家との関係構築。支払い期限の延長とか値引きとか生々しい内容も興味深い。

どこの美術館も、理念と信念にもとづいてコレクションを拡充している。そんな様子をこうして伝えてくれる展示はめずらしい。

ここで直接購入されていたのはチャイルド・ハッサムによる室内画。カーテン越しにうっすらとニューヨークの摩天楼が描かれており、パリのエッフェル塔を描いたフランス印象派の米国版といったところだ。

図録より、チャイルド・ハッサム《朝食室、冬の朝、ニューヨーク》

ハッサム作品は、モネの睡蓮とともに展覧会のメインビジュアルに使われていたフランス庭園を描いたものも含め、たしかにとても印象派な作風で、印象派の伝道師を買って出ていた感がある。フランスでは硬直化していたアカデミスムへの反発が美術運動としての印象主義の原動力になり、その後の表現主義につながった。

そのアカデミスムが不在だった米国では、純粋に明るい光を表現する手法として米国全土に受け入れられたように思う。ネットで観る米国のアマチュア画家の作品はことごとく印象派的だ。これまで漠然と印象派的な絵は人気だな~なんて捉えていたけれど、こと米国ではハッサムなどの影響もあるのかもしれない。

なお、今回のハッサムによる展示作品では、雨あがりのボストンの街を描いた作品が印象深かった。冷静な観察眼と描写にも、発展する新興国の気概が伝わってくるようだ。

図録より、チャイルド・ハッサム《コロンバス大通り、雨の日》

この展覧会で、わたしが楽しみにしていた作品がある。ジョン・シンガー・サージェントの3枚だ。

サージェントはイタリア生まれの米国人で、ヨーロッパで肖像画家として人気を博した。国際的な生い立ちから来るどこか超越した姿勢と、天才的なデッサン力にはいつも感心させられる。

図録より、サージェント《水を運ぶヴェネツィアの人》

古い石造りの質感に加えて重い水を運ぶ人物の重心移動、右の人物のさりげない動き。これが油絵で素早く捉えられていることには驚くばかり。

図録より、サージェント《コルフ島のオレンジの木々》

サージェントの魅力は人物画だけではない。屋外での光の散乱を捉えたこの作品は非常に印象派的で、展示解説にはモネとの交流についての言及があった。エーゲ海の煌めく陽光が見事に捉えられている。

図録より、サージェント《キャサリン・チェイス・プラット》

この絵は未完の肖像画だけど、未完成だからこそサージェントの即興描写の筆致がいきいきと残っている。肌の影の部分にも血の通った色で線を入れているし、服の陰影にも効果的に暖色と寒色をリズミカルに置いている。未完成ながら黒の背景とそこに配置されたアジサイが決まっていて、完成しなかったのが不思議なぐらいだ。どうやら依頼主が気に入らなかったのが中断の理由らしく、結局別の肖像画が描かれたらしい。

この絵の額縁も印象的だった。幅のある滑らかな木製の額が金泥で塗装されていたのだけど、木目が質感の違いとして浮かび上がっていて、それが虎縞のようだった。それがサージェントの筆致に連動しているようで不思議な統一感があった。そんな額装もやってみると面白そうだ。

最後にもうひとつ、ドイツのロヴィス・コリントによる人物画についても書いておきたい。コリントは印象派の支持者で、のちに表現主義に傾倒した。

図録より、コリント《鏡の前》

大きな鏡を前に座る画家の妻。解説によると、この作品を描いた前の年にコリントは脳卒中で倒れ、一時は左半身不随になったという。筆致から察するに彼は右利きのようだけど、左半身不随は制作に影響があったことだろう。震えがあって思うように描けなかったという話も伝わっている。画面全体の大振りなストロークはその震えのせいだろうか。

そんな状況でも後ろ姿のモデルの両腕と指の描写はとても丁寧だ。まったくの想像だけど、そこには画家の不屈の決意がみなぎっているように思える。

ロヴィス・コリントが倒れる前に描いた作品が国立西洋美術館の常設展にある。

国立西洋美術館で常設展示されているロヴィス・コリント《オークの木》

オークはドイツ・ロマン派で頻繁に描かれたモチーフ。それを自由な筆づかいで描いている。印象主義的でもあり、自然主義的でもある。様式的、観念的なロマン派絵画に対するアンチテーゼに見えなくもない。

樹木の絵には描き手の人柄が現れる。

これはわたしの知人の言葉なのだけど、それを思い出す。コリントの生命感あふれる筆づかいには、ブーグローの工房で学び美術学校を立ち上げたコリントのエネルギッシュさが現れているようだ。

病気を患い、その後遺症で思うように描けない苦しみ。元来エネルギッシュで活力あふれる画家のもどかしさが滲み出てはいないか。それでも丁寧に描かれた妻の後ろ姿には愛情が感じられる。きっと妻は脳卒中で倒れたコリントを支えたに違いない。

展示解説で脳卒中のことを知って、描き手の心理はこうも反映されるものなのかと、すこし恐ろしくもなった。

この展覧会にはもちろんほかにも多くの作品が展示されていた。英語のタイトルは「Frontiers of Impressionism」だから、邦題は「印象派のフロンティア」あたりでも良かったのではないかと思うけど、そうならなかったのには何らかの事情があったのだろう。

邦題と英題の違いはさておき、フランス国内に限らない印象派の受容が観られた面白い展覧会だった。

この印象派展、日本人画家による作品も展示されていたけれど、当時はまだまだ未消化だったのがわかった。ヨーロッパと米国に比べて、技術的なレベルの差も甚だしく、それが当時の日本の洋画だったのだなと思わざるを得なかった。

いや、日本の洋画界は印象派の枠組みで意識するものではないのかもしれない。日本の近代絵画ではそれからも西洋の影響を受けながら独自の深みを見せているのだから、印象派のフロンティアとしての解釈に適さないということだろう。

わたしはとりわけ印象派に肩入れしているわけではないのだけど、彼らのアプローチには共感できるところが多い。主流の印象派ではないけれどサージェントなど尊敬している画家もいる。

わたしは最近はもっぱら一日一画のスケッチばかりになってしまったけど、それでもこの展覧会から毎日の制作について考えさせられるところがあった。印象派のフロンティアは、100年以上が経ってもこうして生きつづけているのかもしれない。

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