【参加報告】『アステイオン』第91号刊行記念講演会「100年後の学問と大学」

昨日は、19時から20時40分まで東京大学駒場キャンパスコミュニケージョン・プラザ北館館2階多目的教室4において、『アステイオン』第91号刊行記念講演会「100年後の学問と大学」が開催されました。

この講演会は論壇誌『アステイオン』第91号の刊行を記念し、特集「可能性としての未来--100年後の日本」を発展させる形で行われたもので、『アステイオン』の編集委員である池内恵先生(東京大学)と待鳥聡史先生(京都大学)が司会者による質問に答える形で進められました。

池内先生と待鳥先生に出された質問は「言語の壁が取り除かれたときの日本語の位置付け」、「AIやビッグデータと政治の関係」、「「30年後の大学と学問」と「100年後の大学と学問」」、「『アステイオン』第91号の66編の論考の中のおすすめ」、「『アステイオン』に寄稿したり新書、一般書を刊行することの意義」、「『アステイオン』第91号への寄稿の依頼を受けて辛かったか」という6項目でした。

一連の質問に対する回答の中で特に興味深いのは以下の点でした。

(1)「近代」とは「はじめ」と「おわり」があり、「体系を知ること」としての「ガリ勉の世紀」であったが、100年後は知の体系性があいまいになり、自動翻訳により容易に言語の壁が越えられ、やがて自分は特定の言語で書いても、相手が何語で読んだか分からなくなる日が来る。
(2)日本語と外国語の「思考様式の差」を知ることは重要。
(3)政治現象には「ちょっと不合理な要素」が残り、この「ちょっと」が重要である。
(4)政治について考えることは「間違い」を考えること。
(5)古来、政治学者の予想は外れる
(6)この100年間は国民国家を単位とし、「研究と教育の一体化」というフンボルト理念を基礎としてきたが、「国際競争力を高めることが日本の国力を高める」という考えは国民国家を基礎とする従来の大学と学問のあり方を解体するものであり、しかも推進する者がこのことに気付いていない。
(7)100年後、「大学教授」は肩書だけとなり、アリストテレスのように権力者の家庭教師となるというようになるかも知れない。
(8)日本語で業績を残すことは無価値ではないし、学術の成果を一般社会に示すことは必要である。

『アステイオン』第91号の特集は大変興味深いものでした。そして、特集を受けて行われた今回の講演会は、対象について鋭敏な感性で繊細に接し、柔軟に思考するという『アステイオン』の特長を象徴するかのように、自由闊達であり、刺激に満ちたものでした。

<Executive Summary>
Special Lecture: Learning and University in 100 Years (Yusuke Suzumura)


The Special Lecture for publishing of Asteion vol. 91 entitled with "Learning and University in 100 Years" was held at the Komaba Campus of the University of Tokyo on 24th January 2020. In this time Professor Dr. Satoshi Ikeuchi of the University of Tokyo and Professor Dr. Satoshi Machidori of Kyoto University were speakers for the lecture.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?