結果が良かった場合もなぜ?と疑問を持つ
こんばんは、福田です。note86本目です。
何か施策を打った時、良かった場合と悪かった場合があります。
僕の仕事の場合、ネット広告を運用するので新しい手法を試すだとか、今まで広告配信していなかったメディアを使うなどがありますが、この施策は何でも良いです。
転職の面接の際の自己紹介で○○を言ってみようなど、何か試すことを施策と定義しています。
何か施策を行い悪かった場合は「何故悪かったか?」を分析し、仮説を立てて次回に活かす。といったことは良く行います。
一方、「良かった場合」はどうでしょう?
施策行う → 良かった → 良かったですね。
で終わってる事が多い気がしています。
○○な仮説があるので、この施策を行う。結果良かったです。の場合はまあ良いでしょう。仮説通りの結果が得られた場合は、施策を行った結果、仮説が正しかったというデータが取れます。
ただ、特に仮説を持たず施策を打ち、結果良かった場合は「何故よかったか?」の分析なり仮説を立てることが大事です。
・たまたま上手くいったのか?
・施策意外の要素で上手く言ったのではないか?
ここをキチンと掘り下げておかないともったいないです。まあ仮説を持たず施策を行うことが好ましくないですが、諸事情により実施しなければいけない事もあると思います。
結果が良かったことはハッピーですが、もしかしたら更に良い結果を生み出すヒントがあるかもしれません。
施策行う → 良かった → なぜ?
この思考回路を持つことが大事だなと感じています。
結果が悪い場合は必死で分析しますが、良い場合は意外とここが蔑ろにされます。幸せな気持ちに浸りながらも、一歩前に出て何故上手くいったかの分析、仮説を考えてみましょう。
良かったからいいじゃん。という結果オーライの気持ちは理解できますが、この小さな積み重ねで分析力や仮説立案力を磨き上げると、今後の施策の成功率が上がると信じています。
もしかしたら偶然かもしれないし、施策の影響でもないかもしれません。また、更に結果を良くするヒントが得られるかもしれません。
何か施策を行ったら行ったなりにデータを取得し、次に活かす。
日々の業務に慣れてくると雑になる部分がどうしても出てきてしますので、改めて子供が純粋に疑問を持つような気持ちを忘れないようにしていきたいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました!
明日で3月が終わり、新生活?新年度だと思いますが、社会人になると実感がありません。
最近、昔の初々しい気持ちを味わいたいな〜なんて思ってたりします。
おしまい!
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