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【注意:ネタバレ含】『月姫 - A piece of blue glass moon-』(月姫リメイク)感想:20年間月姫に触れてこなかったことを心から後悔させられた名作


格の違う演出と、こうあるべきと思われられるルート分岐


まず初めに、この記事では物語のネタバレが多分に含まれています
「クリアした人向け」のnoteです。
公式のアナウンスする「発売後2週間・9月8日までのネタバレ禁止」期間が終了したので公開していますが、それとは関係無しに、「これからプレイする可能性が1%でもある方」というか、「未プレイ・未クリアの方」はこのままページを閉じて月姫リメイクを買ってください。そして、クリアしてからまた来てください。
ネタバレで先に物語を知ってしまうのは、とんでもなく損です。
端的に言えば、とんでもない名作です。買って損はありません。

クリア済みの方のみ、以降の文章を読んでいただければと思います。



名前だけしか知らなかった「月姫」

過去、名作と呼ばれる同人ゲームは多々あれど、あまりその道を通ってきていませんでした。そのため、月姫も名前くらいしかしりませんでした。

Fate/stay night、Fate zeroは見たことはありますが、それ以降の作品は未視聴。FGOもやったことはありますが、どっぷりとTYPE-MOON作品にのめり込んでいたわけではありませんでした。

昨年末くらいだったでしょうか、Twitterのタイムラインが月姫リメイクで沸いていました。私も名前くらいは知っていましたが、しかし本当にそれだけなので、原作を知っている方々の盛り上がりには今一つついていけておらず、「まあタイミングが合えばやってみようかなあ」くらいの感覚でした。

発売3日前くらいまで発売日すら知らず、本当に衝動買いでした。
「あれだけ話題になっていたゲームだからやってみるか...」くらいの気持ちでした。
そしてそれが、4日間で合計約40時間プレイする日々の幕開けでした。




まずは、ネタバレに関係のないビジュアル・音楽の感想から。

ビジュアル

圧倒的すぎました。こういう読み物系のゲームっていうのは、背景に文字が乗っかって表示されたり、あとはキャラクターの立ち絵とセリフのウインドウが下部に表示される形式が多いのではないでしょうか。特殊な例だとシルバー事件のフィルム・ウインドウのようなシステムもありますが、基本的には先ほどの2つだと思います。

この月姫は、それこそ背景にセリフが乗っている形...なんですが、なんというかそれを感じさせない背景のバリエーションが素晴らしかったです。

一体全部で何枚の背景なんでしょうか。飽きさせることなく背景が変わったり、キャラクターが表示されたりころころと表情やポーズを変えたり。特に、バトルシーンはもはや簡易的なアニメーションと呼んでもいいのではないかと思えるほど激しい動き。

「マルコと銀河竜」はアニメーション全振りのアドベンチャーゲームであり、いやむしろ深夜アニメと言われても遜色ないレベルでした。しかし、その分ボリュームは少なめです。
月姫は、圧倒的なボリュームながらもビジュアルが失速せず、プレイヤーに「ずっと同じ背景だな」と思わせることが無い印象でした。そしてそれが、プレイ時間40時間超をものともしない魅力に繋がっていたのです。
特に重要なシーンでのインパクトは大きく、思わず手を止めて見てしまうような美しい背景は、強く心に残っています。


BGM

ピアノがメインの曲の美しさ、切なさ。
RPGのラスボス戦かと思えるくらい激しく荘厳な曲。
とにかく、ビジュアルノベルを強く彩る曲が多かった印象です。
特にやはり、ここぞというときに流れる曲は覚えますし、メインの曲のpiano ver.なんていうのはいつまでも聞けますね。

そして、プレイ中印象的だったのがひとつ。
BGMの音量に強弱があるんですよね。キャラクターが何かを考えているときは音量が小さくなっているのがわかり、「音を聞くのではなく自分の思考に集中している」という印象を受けました。
こういう細かい部分の調整って凄い大変だと思うんですけど、自然とこういう仕組みが組み込まれているからこそ、物語により深く集中できたのかなと思います。

また、曲タイトルを見ると、やはり原作のリメイクの曲がいくつかあるのかと思います。そのあたり、やはり原作をプレイされたことのある方が羨ましいですね。



【本編】ネタバレ感想

8月26日の発売日に購入し、8月29日に全ルートクリア、8月30日に全バッドエンドクリア&プラチナトロフィーを獲得しています。
プレイ時間はおおよそですが、購入日の8月26日は5時間、8月27日も5時間、8月28日(土)は11時間、8月29日(日)は16時間。8月30日はおよそ5時間くらいでしょうか。
リモートワークなので平日かなり長い時間プレイできたこともありますが、土日の異常さが際立ちます。しかし、寝食健康全てを犠牲にする魅力が、このゲームにはありました。
遊びながら、「先が気になるけど終わってほしくない」という葛藤を覚えたゲームは久しぶりです。それだけこの月姫の世界に、どっぷりハマっていました。

では、ルートごとに魅力を語っていきたいと思います。
改めて言いますが、ここからは完全にネタバレを含むので、プレイ前の方はぜひページを閉じていただければと思います。



共通ルート部分

まずは序盤の共通ルート部分です。大体、火炎血河あたりまで。
遠野志貴の魔眼設定、めちゃくちゃ面白いです。「死」が見えることと、普段は見えないように「先生」こと蒼崎青子からもらった眼鏡をかけていると。
こんなに惹かれる設定もなかなか無いです。もちろん、この設定を知ると同時に「この魔眼ならどんな敵でも弱点が見える、倒せる」と理解できるからです。物語序盤でも、どうやってこの能力を使って物語が展開していくのか、ワクワクしながら話を進めていました。

遠野家の屋敷の人々やクラスメイトとの交流でキャラクターを知っていき、少し話を進めたところでのアルクェイドとの邂逅。お!メインヒロインだ!と思ったのも束の間、気が狂ったような志貴がアルクェイドをバラバラにして殺してしまうシーンにたどり着きます。
なぜ?どうして?という疑問が沸きあがると同時に、先の展開が全く読めなくなりました。

翌日なんともない姿で通学路に佇む彼女。そして自らを吸血鬼と言う彼女。襲い来るゾンビのような化け物。そして、一見人間の女の子に見える吸血鬼・アルクェイドとの協力からOP映像、痺れました。
このOP、個人的に今年No.1のかっこいいOPです。サビからの展開、たまりません。

そしてここからのルート分岐。
「分岐と言っても、多分ラスト2,3章くらいが変化する程度だろうなあ」と予想していましたが、いい意味でとんでもなく裏切ってくれた月姫。むしろ、「ルート分岐はかくあるべき」と教科書を提示された気分になりました。
以降のルートでの感想は、下記の通りです。


アルクェイドルート

おそらく最初のプレイではかならずこのルートでしょうか。
最初にクリアしたルートではありますが、正直に言うと全3ルート中、一番泣いたルートでした。

アルクェイドの世間知らず...まあ吸血鬼であり、圧倒的な力を持っており、人とふれあってこなかったのでもちろんそうですが、その世間知らずさはそのまま、他人とのコミュニケーションに計算をしない、自然体かつ純粋なキャラクターとして存在していました。

最初は、殺せるはずの無い自分を殺害した志貴という存在に興味を持ったようした。しかし、次第に志貴とのコミュニケーションを重ねることで、志貴という人間に興味を持ち、最終的には本人が自覚しているかどうかはわかりませんが、恋をすることとなります。

ついにはデートのような...というかデートまでするようになり。
一般的なゲームであれば、ここまでの過程で喧嘩やトラブルがあり、でも仲直りしてハッピーエンド...といった展開でしょうか。正直、そのくらいだろうと予想していました。
しかし、ボリュームの多さが生む物語の起伏の激しさは、ここからでした。

このルートで強く感じたことは「期待と落胆をこれでもかというくらい繰り返すこと」です。
序盤から志貴はアルクェイドの見た目はもちろん、内面にも少し惹かれていたと思います。アルクェイドはアルクェイドで、先ほども書いた通り志貴を殺人鬼という興味から人間として興味を持つようになります。

その、はっきりとしないお互いを想う気持ちの中、ヴローヴを倒したことで目的達成、アルクェイドと志貴は一緒にいる理由がなくなります。
しかし止まらない吸血殺人で夜の調査を行う...かと思えば、代行者から狙われ。極めつけは、デートイベントの後に「もう会わないほうがいい」とアルクェイドに言われるというシーン。感情を思いっきり叩き落された瞬間でした。幸せの絶頂から、地に堕とされました。
とにかく、「一緒に行動する」ことと、「会う必要がなくなる/行動することで不幸になる」ということの繰り返しで、安定しない関係が物語への求心力を強め、止まらなかったです。

そんな不安定な関係の中でも、アルクェイドを探し、愛し合って...本当に良かった、と思ったらやはり「ばいばい」と残して消えるアルクェイド。

このあたりで、アルクェイドの志貴に対する配慮、気持ちでもう涙していたのですが、ピークはその後でした。
ロアに襲われ、屋敷へとシエルに運ばれ戻ってきた志貴。そこで、ぼろぼろな体ながらもいかにアルクェイドが大事か...はもちろん、それ以上にアルクェイドに幸せになってほしい気持ちをを強く吐露するシーン。自分の命より、アルクェイドを思っていたいという気持ちを認識するシーン。
志貴の強い気持ちで胸を打たれました。

そして次のシーン。この月姫の中で、一番好きなシーンです。
アルクェイドが夜の街を飛びながら、満面の笑みで「大好き―――大好き、大好き!」という姿。
もう、ぼろ泣きでした。アルクェイドはやはり、志貴のことが心配で、ロアより優先して屋敷まで来ていたこと、そして「アルクェイドを守るためにロアを倒そうとしている志貴の気持ちを聞いて、『そんな志貴を守るために』ロアを倒しに向かうアルクェイド」という構図が、直接言葉は交わしていないものの「お互いを想っている」という強い気持ちとして完成されていたシーンであり、涙が止まりませんでした。

何より、アルクェイドの純粋で幸せな姿が、とにかく胸を打ったんですよね。それはきっと、志貴とアルクェイドの物語の中で、アルクェイドが見た目や行動と裏腹に、想像以上に幸せを知らない生活をしてきたことを知ってしまったから。だからこそ、志貴の考える通り、「もっと幸せになってほしい」ときっとどこかで思っていたのだと思います。その結果、志貴の気持ちを聞いて、本当に嬉しそうで幸せそうなアルクェイドを見られたことが、どこか報われた姿を見ているようで、思わず泣いてしまったのだと思います。

今回のロアが志貴を狙っていることから、自らの力が戻っておらず、無謀な戦いであることもわかっていたとしても、志貴を守るために戦う。人間としてのルールや気遣いを考えず、極めて合理的に本能のまま考えて行動していたアルクェイドが、初めての行動原理で、ともすれば自己犠牲の精神で、負けるかもしれない、死ぬかもしれない戦いに向かう姿。そしてその瞬間は、本当に合理性ではなく、「志貴に大事に思われていたことの嬉しい気持ちで溢れている」という喜びの気持ちで動いている姿

本当にアルクェイドは恋愛というものを知らなかったと思いますが、しかしその内面の気持ちと行動は、まさに「初めて誰かを好きになっている」という状況でした。

過去にそのような気持ちを知らなかったこと、人間社会のようなコミュニケーションを知らなかったこと(人を好きになったらどういった行動を取るか、というテンプレートを知らないこと)、そして行動に制限の無い吸血鬼であることから、感情と行動が本当に「素直」なんですよね。

嘘をつく必要も、自分の感情を我慢する必要も無く八百年も生きてきたアルクェイドだからこそ、彼女が喜んでいる姿っていうのが本当に心を打ちました。純度100%の喜びであることが伝わってきたシーンであり、非合理的な戦いに挑む行動原理もまた、その喜びの気持ちの延長、志貴を想う気持ちの延長です。
恋愛を知らなかったアルクェイドが、気持ちのまま・思いのまま行動をした結果、究極に真っ当で教科書のような「相手を思いやる行動」を取っているのが、アルクェイドの成長というか、心の変化として見えました。そしてそれが相手のことを想うあまり、命を失うことも厭わない自己犠牲の精神へと繋がることに、やはり嬉しさと同時に悲しさを覚えて、涙しか出ませんでした。

志貴とアルクェイドって、似てる気がするんですよね。
遠野家というエリート家系から弾かれた志貴と、吸血鬼の中でも特異な存在であるアルクェイド。どちらも、一般的な存在から外れ...そう、仲間外れにされたような存在。
そんな二人が惹かれ合って、そしてその結果、自分の幸福を求めるのではなく互いに相手の幸福を求める姿。この、お互いを想いつつも行動は真逆、お互いに自分を犠牲にしても相手を守るという展開が、幸福でありながら切ない、相反する感情を生み出していました。

そして、ロア戦。ここまで状態が整ってハッピーエンドを迎えそうな雰囲気、つまりは志貴とアルクェイドが協力してロアを倒してエンディング、と進みそうな雰囲気もありつつ、結局アルクェイドが殺されてしまうという展開に。再度繰り返される、期待と落胆でした。
最終的には志貴は勝利するものの、アルクェイドを失い、最終章へ。

ロアに負けたとは言え、もちろんアルクェイドの特異体質ですから、きっと復活して戻ってくれるのでしょう。その期待は、夕暮れの教室でようやく叶い、幸せなハッピーエンド...と思わせながら、まさかの「離別」。
抑えられない吸血衝動があるから離れると言うアルクェイドに対し、自分の血を吸えと言う志貴。そこでのアルクェイドの「好きだから、吸わない」という拒絶。

ここまで来ても、やっぱりお互いが相手のことを想い、そして別れる。
あれだけ自由に行動していたアルクェイドが、ここまで他人のことを想い行動するようになった変化と、自分の幸せではなく志貴の幸せを願い愛する人へと別れを告げる姿。アルクェイドの純真さ、100%の優しさが感じられて、ただただ悲しいだけではない...どうしようも無い結末でありながら、それでも別れた相手への愛情は失われることない、どこか優しい余韻の残るエンディング。
ただそうは言っても、全く間違ったことをしていない、強く強く相手のことを考えて行動し、自らを犠牲にしていた志貴とアルクェイドが、こんなに心が通じ合っているのに、なぜ、どうして報われないのか。その悲しさと切なさもまた、強く余韻として残り続けました。

総評として、こんなに感情を揺さぶる素晴らしいシナリオかつ、アルクェイドという魅力的なキャラクターに出会えたのは幸せです。
できることなら、20年前の月姫原作で出会えていたら、20年分アルクェイドのことを考えられたと思うと、20年分損した気持ちであり、原作をプレイした人への羨ましさが止まりません。

と同時に、この時代にリメイクしていただいたTYPE-MOONの皆様には感謝しかありません。この機会が無ければ、月姫やアルクェイドをおそらく知ることなく今後生きていたと思うので、このリメイクと出会えたことは人生にとって非常に嬉しい出来事です。
また、客観的にキャラクターを見ることで、「自己の幸せより他人の幸せを選ぶ」ことがここまで魅力的であることを知り、私自身としても、少し大げさですが、生きていく行動の指針として十二分に影響を受けました。
本当に、このゲーム、そしてこのルートを経験できたことに感謝します。



シエルルート:ノーマル

続いてのシエルルート、正直月姫について事前に知識を全く持っていなかったので、代行者であるという部分は驚きました。
アルクェイドルートではピンチを救ってくれた先輩ですが、シエルルートではとにかく戦って、戦って、痛めつけられて、志貴を守ってくれます。

シエル、ちょっと突っ込んだり好きって言ったりするとあわあわしたりするところも可愛いですが、個人的にはバチバチ戦っている姿に惹かれました。眼鏡無しで、銃や黒鍵で戦っているシエル、ほんとイケメンでかっこよかったです。あと戦闘服もいいですが、修道服が本当に似合ってますね...。

このルート、アルクェイドルートのようにシエルとべったり...というわけではなく、シエルに対するノエルという関係、代行者としての仕事を粛々とこなすシエル、そこに志貴が絡んできて...という話なので、志貴が能動的に物語に関わる感じでした。しかし、アルクェイドがロアを倒してからの物語がこのルートの真髄だと思っています。

あの、いつも通りの日常が徐々にロアに侵されている感じ。プレイしている身としても「えっ? えっ? 志貴どうした?」と違和感を覚え、それが日に日に大きくなる物語。どうなるかわからないうえに、当の志貴自体がただの体調不良だと思っているのが恐ろしかったです。

どんどんひどくなる志貴、そこでシエルが第七聖典を手に志貴を殺しに来たシーンはかなり辛いものがありました。シエルに好かれていると思っていたのが、実はロアの転生先として監視されていただけということを直接話されたのは、落ち込むものがありました。今までは全部演技だった、殺したくて仕方なかった、と。
もちろん、本当にそうなのか?強がって嘘を言っているのではないか?といううっすらとした希望があり、そして、シエル自身もやはり志貴を殺すのは辛かったという事実がはっきりした瞬間は胸を打ちました。なんというか、常にお姉さんのようにどこか自分の気持ちを隠し人のために行動するシエルが、あそこまで感情を吐露するシーンが無かったように思えます。

最終的には、アルクェイドと相打ちした志貴を、自身が身代わりになり命を救います。あれだけ、ロアを倒すことを目的とし、やっとそれを達成できたのに、その後の人生を生きていくのではなくすぐに志貴のために命を使う選択をしたシエル。
ここで思ったのが、本当にこのルートも、とにかく他人の幸せのため、自己犠牲に行き着いているというところです。

シエルって、あくまでエピソードという形でしか説明されませんが、本当に過酷な人生を生きてきているんですよね。普段の様子からは微塵も見せませんが、ロアの影響で人間を殺し、恨まれ、拷問され...それでも何度も復活し、今は機械のように吸血鬼を殺す代行者になっている。ノエルのエピソードではノエルの受けた凄惨な記憶の回想がありますが、逆に言えばそういった強い恨みを全て抱え、贖罪のために生きているようなシエル。
そんな姿を見て、志貴がシエルの幸せを願い行動したのに、それでもシエルはその思いを受け取らず、逆に志貴の幸せのために命を使う。

もう、みんな同じなんですよね。志貴も、アルクェイドも、シエルも。
志貴はアルクェイドルートでアルクェイドの幸せのために戦い、アルクェイドは志貴の幸せのためにロアと戦う。シエルルートでは、同じように志貴はシエルの幸せのためアルクェイドと戦い、シエルは志貴のために命を犠牲にする。
みんながみんな、自分ではなく他人のため、愛する人のために自己を犠牲にする。そしてこのルートは、シエルの「命まで投げ出す」という強い意思が感じられると同時に、シエルの、おそらくは根本からの優しい性格が出ているように感じました。

ただ、このルートをクリアしてみて印象的だったのが、序盤にアルクェイドをバラバラにして殺した志貴が雨の中佇んでいるところに、シエルが声をかけるシーンのことです。ここで志貴を介抱し家まで連れてきたシエルは、「優しくしてもらう資格がない」という志貴に対して、「遠野君は自分が悪い人だと思い込みたい」「ずっと裁かれる時を待っていたみたい」と評します。また、「自分の行動に確信が持てないので(中略)一方的に自分を追い詰めてはっきりさせている」というような言葉や、「遠野くんの犯した間違いはどうでもいい」といった言葉を志貴に投げかけます。

このシーンはシエルのぐいぐい来る優しさに溢れた心温まるシーンなのですが、やはりシエルの過去を知るほどこのシーンの言葉に重みを感じます。ここで志貴にかけた言葉は、シエルの本心かもしれませんが、同時にシエル自身が投げかけられたかった言葉なのではないかと。本当はシエル自身も、誰かに優しく許されたかったのではないかと。そう思ってなりません。
そして、家族もいないシエルが、自分のことを大事に思ってくれる人=志貴に出会い、優しさを感じた結果が、自分を犠牲にしてでも志貴を助けるという結果。

きっと迷いも戸惑いも無く、後のことも考えず、志貴を助けたのではないかと想像します。志貴を思いやるシエルの、強い優しさを感じるとともに、その事実を知った志貴のやるせない気持ちも強く感じました。
そしてこの結果、志貴がシエルを、たとえ可能性が低くとも救いたい、生き返らせたいという結末に至ったのは、希望が感じられるエンディングだったなあと思います。好きな人の死という形ながらも、救いのあるエンディングでした。


シエルルート:トゥルー

このルートはシエルルート終盤からの分岐なのですが、それでも圧倒的なインパクトを残す物語でした。
アルクェイドとの戦闘、いや戦闘というよりも一方的な圧力ともいうべきアルクェイドの攻撃をかわしつつ、シエルと志貴がどうにか対抗していく姿はビジュアルノベルと思えない迫力でした。ビジュアルも音楽も、物凄い力の入りようでした。

完全に「ラスボス」と化したアルクェイドですが、なんというか、圧倒的な力を持ち規格外の攻撃をしてくる中でも、「元のアルクェイド」の性格が垣間見えるシーンがところどころにあり、「意地を張っている」という感情が分かるんですよね。
そこが何というか、可愛らしい+やり過ぎているという気持ちの合体で、面倒ながらも放っておけないアルクェイドの性格が現れているなあと思いました、

おそらくアルクェイドの好感度がMAXであるとアルクェイドの気持ちが分かるシーンや一部のセリフが聞こえるようになったと思いますが、もうとにかく純粋に志貴のことが好きなアルクェイドの、際限のない暴走なんですよね。
その気持ちは代行者であるという関係とともに、ある意味で恋敵であるシエルへの攻撃、そして独占欲の暴走とも言える、志貴に対する攻撃によって表現されます。

恋心から暴走したような巨大化したアルクェイドは、もはや無敵のように思えました。最終的にはロアの助けも借り、志貴はアルクェイドを倒しますが、そのきっかけも、自我というか自分自身の目的のために力を使い始めてしまったアルクェイド自身に原因があります。つまるところ、志貴を想い暴走し、志貴を想うがために自身の弱みが生まれてしまった。

きっかけと終焉の原因が同じというところ、そしてその原因が志貴に対する好意であるというところが、ただただ吸血鬼という特殊な存在でありながらも、非常に人間的な嫉妬心をアルクェイドの中に見た印象でした。
スケールの大きさに対して、極めて単純、純粋な動機というのが何とも言えないアンバランスさです。一般的なゲームであれば、ラスボスの動機はもっと壮大なものであると思います。そして、「強大な力を得たから私利私欲のために使う」なんていう展開があると思いますが、アルクェイドの場合はあくまで「極めて人間的な気持ちで争う『吸血鬼』が、たまたま規格外の力を持っていた」ということに尽きると思います。そして力を使うきっかけとなったのが、同じく人間的な「好意」であるというところも、月姫の特徴であり魅力かと思います。

「人間的な気持ち」「好意」は、やはり私利私欲での行動よりも繊細な気持ちを生むと思います。この戦闘が終わり、最後のシーンである、アルクェイドと志貴がお互いをけなし合い最終的に笑い合うシーン、そして憑き物がとれたようなアルクェイドが、「志貴をシエルに譲る」シーンに、特に集約されていると思いました。
アルクェイドの感じたであろう、ある意味で失恋のような気持ちを考えると、戦闘が終わった安心感を感じ、シエルとのエンディングを迎えられる解放感を感じつつ、一人で去ってしまったアルクェイドには切ない寂寥感が生まれているのではないかという想像をしてしまい、喜ぶべきか悲しむべきか、もちろんシエルにとってはトゥルーエンドであるんですが、一抹の切なさを含む物語であるという感想でした。

でも、それがこのルートの魅力なんですよね。例えば、アルクェイドルートでは、特にシエルに対する恋愛フラグは立っていなかったと思います。つまり、このルートとは性質が違います。
シエルルートでは、シエルにとって吸血鬼と代行者という関係上、そして恋敵と言っていいであろうアルクェイドの存在、そしてどのルートでも決して志貴がアルクェイドを100%の嫌悪の対象と思わないところが、物語を諸手を挙げて喜べない切ないものとして完成させ、そしてそのちょっとした悲しさが、完全なハッピーエンドではないこの物語の奥深い完成度を高めていると感じました。

結局、全てのルートで思ったのは、志貴がアルクェイドのことを好きだということは変わらないということ。そして異なるのは、その気持ちを持ちつつもシエルのことを想う気持ち。
シエルルートトゥルーエンドに近づくほど、シエルを想う志貴の気持ちは強くなり、それはアルクェイドを超えるものになったのかなと思います。ただ、トゥルーエンドに入るフラグが、シエルルートでありながら志貴がアルクェイドを想う選択肢なので、なおさらトゥルーエンドの切ない物語がより際立っているのかなとも思います。



「ルート分岐はこうあるべき」と思わされるような見事な分岐

非常にルート分岐した後のシナリオが上手く、整合性が取れていることに驚き、唸りました。
アルクェイドルートでは、ロアを志貴が消滅させているので、転生しなかった。ところが、シエルルートではアルクェイドがロアを倒したので、志貴にロアが転生した。この仕掛けの上手さが気持ちよく、また不満点を残さない理由のひとつでした。

そもそも、ギャルゲーなんかでもルート分岐したりすると思いますが、それにしてもその割合というものは基本的には少ないと思います。長めの共通ルートでフラグを立てて、それから個別ルートへ。
どちらかというと、月姫はルート分岐というよりも物語が延長して3つの結末を見ているような感覚でした。共通ルート部分よりもシエルルートに分岐した後のほうが長く、その分長く楽しめました。正直なところ、アルクェイドルートでロアと戦うアルクェイド、その場に向かうシエル、そのくらいのシーンから分岐するのかと思っていましたが、とんでもなく予想を裏切られました。公式サイトにアルクェイドが「メインヒロイン」と書いてあるのだから、あくまでサブヒロイン役と思っていたのですが、がっつりメインヒロイン以上のボリュームで驚きました。

「Tell Me Why」「Last Stop」をプレイしたときも思ったんですが、やっぱりこういう、物語を重視するゲームにおいては文章量の多さは魅力に繋がっているのではないかと思います。文章量が多いほど面白いとは限りませんが、しかし少なくとも同じシナリオ、同じ文章力だとしたら、文章量が多いほうが、キャラクターの魅力や物語の奥深さを表現できるでしょう。人が自分の人生を幼少期から思いつくまま書いたら、きっとその人の人となりが分かると思いますが、ではそれをTwitterの140字に収めて書いてくださいと言われたら、その人の断片しかわかりません。文章量はある程度無ければ、表現するものの深さを体験できないと考えます。

そこでこの月姫の分岐、いや月姫そのものの文章量、ボリュームです。普通にプレイして40時間、ボイスを飛ばさなければ60時間という規格外のボリュームで、各キャラクターの性格や物語を十二分に楽しめました。
さらに言えば、基本的に無駄な文が少ないんですよね、むしろ物語の展開に必要な文章、または伏線などしか無いような文章で、これだけ長い物語でも飽きずに続けることが出来ました。アルクェイドルートではアルクェイドとの幾度とない別れと再会、シエルルートでは日常パートと思いつつ徐々にロアに侵される違和感と怖さ。ノエル先生の怪しさなども相まって、とにかくいい意味で休む暇のないシナリオの魅力が続いており、それもきっと潤沢で巧みな文章を中心に、美しいBGMとビジュアルで彩られた月姫の世界が為せる業だと思います。
ボリュームの大さと、ルート分岐しても納得できる物語の整合性。
ルート分岐の教科書というか、ルート分岐の最高点を見た気分でした。



次回作期待と謎の部分

コンプリート後の「教えて!シエル先生」にて少しだけ見ることが出来た次回作予告。もう本当に楽しみです。
原作未プレイなので、気になることが多すぎます。
・蒼崎青子とは何者なのか。魔法使いであるようだけれども、なぜ志貴と関わったのか。
・斎木業人とは何者なのか。そして同じく斎木姓のあの女の子は何者なのか。
・翡翠ちゃんが体に触れられることを苦手としているのは何か理由があるのか。
・秋葉にも何らかの特殊能力があるのか。志貴がロアに刺されたとき、シエル先輩が「妹さんならきっと遠野君を助けることが出来るはず」と言い、傷ついた志貴をまっすぐ遠野邸に運んでいた。これはどういう意味なのか。7年前の事件とも関係があるようで、気にある。あと秋葉はあえて志貴に厳しく当たっており、本来は心配している様子がうかがえるので、その根拠は何なのか。
・マーリオゥとカリウス氏、日本の警察の安藤氏。あの3キャラは何か今後関わってくるのか。マーリオゥ、生意気だけどめちゃくちゃいいヤツ感が凄かった。
・弓塚さんはどう物語に関わってくるのか。数日間学校に来なかったのはなぜなのか。
・阿良句先生は何者なのか。なぜイデアのレプリカ?イデアモザイク?を持っているのか。あとイタリアにいる知り合いは誰なのか。
・遠野の屋敷、父の部屋で少しだけ知ることが出来た志貴の過去。そこでのバッドエンドで「もっと力のある人と一緒に来よう」といったアドバイスがあったが、今作中では行くことが叶わなかった。次回作で行くことが出来るのか。
・そもそも志貴は7年前に殺されたのか。それ以前の生活は、そしてあの入院生活は本当にシキに襲われた結果の入院生活なのか。
・あと志貴がしりとり苦手っていうのは何かの伏線??考えすぎ??



終わりに少しだけ真面目な話:消費されるエンタメから得られるかけがえのないもの

ゲームは消費されるエンタメだと思います。もちろん他のエンタメもそうです。流行り廃りがあり、真新しいものは注目され、売れるように宣伝される。それはゲーム会社のビジネスとして、資本主義として当たり前のことです。

そして昨今注目されているのは、youtuber、Vtuber、ストリーマー、いわゆるゲーム実況者であると考えます。
実況とゲームの親和性やプラットフォームの存在など、様々な歯車がかみ合ったことで、ゲーム実況・ゲーム配信は一大コンテンツとなっています。

実は以前、noteにゲーム配信について途中まで書いてボツにしたことがありまして。
少し前に「NKODICE」というゲームで炎上騒ぎがありました。Vtuberが実況しはじめ、とあるVtuberがその後似た作品を作り、本家の意図しない改造がされていたこと、「本家よりこっちのほう(似た作品)が面白い」というコメントが散見したことから、NKODICE本家の作者さんが「Vtuber実況禁止令」を出し炎上した、端的に言えばそんな感じの話です。



このとき、正直に言えばゲーム実況、ゲーム配信に対する...どこか反感のようなものを覚えました。手軽にゲーム配信が出来ることや、コロナで自粛する人やゲームに触れる人が多くなったことから、この状態を「ビジネスチャンス」と捉え、ゲーム配信を始める人が多くなった気がしていたのです。

それ自体、ゲーム配信者が多くなることは別にかまいません...が、どうしても気になったのは「ゲームが好き」ではなく、「ゲームが客やお金を集めるコンテンツだから」配信を始める人が、いたのではないか、ということです。それは特定の個人を指すわけでは無いのですが、ただそれでも、「人気の大型ゲームが発売されればゲーム配信者が一斉に実況を行い、クリアしたらもはや二度と触れることなく一斉に離れていく」というような状態に、何とも言えぬ居心地の悪さと、ゲームをゲームとして扱うのではなく、もっと副次的な要素を求めて道具として使っているような印象が生まれたのです。先ほどの炎上に関する話も、(もちろんゲームそのものが話題性に特化している部分もあると思いますが)ゲームに対してどこか低く見ているところ、結果としていえば二次創作作品を作って堂々と遊んでも何の問題も無いと考えられたところに、何とも言えぬ感情が生まれました。

こういった趣旨のnoteを書いていたのですが、途中で挫折しました。なぜなら、自分の中の情けない矛盾に気が付いたからです。
新作ゲームに寄ってたかって、こぞって配信し視聴者を集め、また次のゲームを遊び、実況し...。そんな、肉食動物のような状態にやや嫌悪感があったものの、ふと自分の価値基準を改めて確認すると「この配信者は好きだから新しいゲームをやってくれるのは楽しい、でもよく知らない(好きでもない)配信者が新しいゲームをやるのは、まるでお金のためのようだ」という、極めてわがままで幼い、好き嫌いでの判断が、自分の中にあることに気が付いたのです。

強く反省し、自分の中で改めて考えたのは「この気持ちのモヤモヤの根幹はどんな感情なのか」というところです。
それは私の中では、「ゲームで得ることの出来る感情を、丁寧に感じ取ってほしい」というところでした。

物語性の強いゲームをプレイするのであれば、配信であってもしっかりと楽しんで遊んでほしいし、そこでプラスでもマイナスでも、楽しかったでもつまらなかったでも、真摯に遊ぶことで得られる感情を共有したい、という気持ち。片手間にプレイするのではなく、ある意味、ゲームに真摯に向き合うゲーム配信からの感情を共有したいと、一介のゲーマーからは生意気ながら思うのでした。そうやって真摯に向き合う配信者の方は、とても魅力的に見えます。

この結論、自分の感情の結論に気づけたのが、この月姫をプレイしたからこそのものでした。月姫をプレイして得られた感情は、私自身、この魅力的なゲームに真摯に向き合い、物語にどっぷりハマることで得られたものだと思います。
そんな感情を生み出すゲームに対して、ぜひ真剣に、丁寧に向き合って欲しいなと思う気持ちが、自分の根幹にあるのだと気づきました。

本当に、プレイしている最中から「とにかく面白すぎる、先が知りたくてプレイが止まらない」という感情と同時に、「どうしてこのゲームを20年間もプレイしてこなかったんだ」という後悔が生まれていました。
そして、このnoteでも何度となく記載しましたが、志貴、アルクェイド、シエルそれぞれに共通する「愛する者の幸福のためなら、自らの命も進んで犠牲にする」という、あまりに綺麗な自己犠牲の精神を目の当たりにし、その結果ゲームをプレイしている自分自身の考え方や行動、意識にその精神が定着して離れなくなっているのが現状です。このゲームを通じ、非常に綺麗な自己犠牲という行動指針を感じ、それはきっと今後の人生における様々な行動・決断の際に、自己ではなく他人を優先するようにしようと、微量ながらも影響するものであると実感しています。
つまるところ、月姫の物語、キャラクターに影響を受け、人生観が変わったのです。

ゲームは消費されるエンタメですし、ビジネスモデルとしても、新しい商品が売れるというサイクルが繰り返されるのは悪いことではありません。しかしその消費するという過程で、消費者としての私たちはこのゲームというエンタメを通じ、なんらかの感情を生み出します。
それはクリアできた快感やつまらなさによる退屈、難しすぎるゲームに対するいら立ちかもしれません。そういった、一時的なものかもしれません。
しかし私は月姫から、間違いなく今後の人生に影響するであろう感情、考え方が生み出されました。そして本当に、なぜ自分が多くのゲームをプレイしているのかを、改めて認識しました。
こういった、長く心に残る気持ちや考え方が変わるような経験をしたいからこそ、多くのゲームを遊び、その出会いを探している。
それが私にとってゲームを遊ぶ目的であり、それらを経験することがゲームを遊ぶ対価として得られる最上のものであると身に沁みたのです。そして、その感情は片手間に遊んでいたのでは得ることが出来ず、夢中になることで得ることが出来るものであると感じます。

だからこそ、私は多くの人に月姫を勧めます。
ぜひともプレイして欲しいし、それは片手間ではなく、真摯に向き合ってプレイして欲しい。
きっとそこには、キャラクターの生き様や涙するシナリオから、何かしらの感情を得ることが出来ると思います。
もちろん、このnoteはネタバレを多分に含む内容なので、読んでいただいている方はきっと全ルートクリア済みの方が多いと思いますが、きっと私と同じように胸を打つシーンやクリア後も反芻するようなシーンがあったのではないでしょうか。

私もその気持ち、月姫から得られたかけがえのないその気持ちを胸に、また明日から生活していくと思います。
本当に、このゲームを製作していただいた方々に、感謝します。
月姫に出会えて、良かったです。

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