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「NEEDY GIRL OVERDOSE」感想:それは強めの幻覚であり麻薬であり天国であり地獄


※このnoteにはNEEDY GIRL OVERDOSEの大きなネタバレはありませんが、ゲーム内のスクリーンショット、キャラクターの言動などが含まれているため、まっさらな状態でゲームを始めたいという方は、購入後にお読みいただけますと幸いです。



はじめに

発売を1年以上楽しみにしていた「NEEDY GIRL OVERDOSE」、期待を裏切らない最高の作品でした。
ゲームの評価の軸をどこに置くかは人それぞれですが、私はやはりその「体験」に重きを置いているところがあります。

このゲームは、「いかにもいそうな(またはきっと存在している)『あめちゃん』という女の子のリアルさ」、そして「ゲームでは一般的ではない依存と裏切りの体験」が究極の魅力であると思います。

メンタルがちょっとだけ弱くて、承認欲求が凄く強い、とても顔面が強い(とても顔が可愛い)女の子、あめちゃん。一人の人間の病み具合としたたかさ、性格と弱さを極めてリアルに描写したキャラクター性が、ゲームによくある「主人公に没入」とは違った没入感がありました。

あめちゃん

それは、「主人公に自分を重ねる」のではなく、「あまりに現実のような描写が続くからこそ、女の子に振り回された感覚に陥る」という没入感であると思います。
実際、プレイしているときは特に名作RPGを遊んでいるときのような夢中になった感覚は無かったのですが、いつの間にか1時間2時間と溶けていた体験が何度もありました。間違いなく没入していたのです。

では、戦闘があるわけでも、敵機を撃ち落とすわけでも、パズルを解くわけでもないこのアドベンチャーゲームに、いったいなぜここまで心惹かれたのか。
それをいくつかの要素に分けて考えてみます。



そもそも『NEEDY GIRL OVERDOSE』とはどんなゲームか

端的に言えば、「配信者育成ゲーム」です。
ゲームの流れは難しくはなく、基本的には配信のネタを探し、配信をしてフォロワー数を増やすという繰り返しを行っていきます。配信ばかり行うとストレスなどのパラメーターが悪化するため、ストレス解消の行動をする、しかしそうすると別のパラメーターが悪化したり、配信のネタ探しや配信自体が出来なくなる…といったジレンマかつリソース管理を行いながら、30日間の制限時間内にフォロワー100万人を達成するのが目標です。

育成シミュレーションゲームとしてはありがちなシステムですが、しかしその骨格に対する肉付けが独特かつ、現代インターネットのセンスの塊、というものでした。

配信を行うのはメンタルがちょっとだけ弱くて、承認欲求が凄く強くて、顔がとてつもなく可愛い「あめちゃん」です。あめちゃんが、変身(コスプレ)をした姿が「超絶最かわてんしちゃん」。通称「超てんちゃん」です。プレイヤーの立ち位置は、そのあめちゃんの「ピ」、すなわち「好きピ」、恋人となって、あめちゃんが配信者として有名になれるよう導く立場となります。

あめちゃんはちょっとメンタルが弱いので、配信をするとパラメーターに変化が起こります。例えば、基本的に配信をすればストレスがたまりますし、また、配信する内容によっては「やみ度」がたまり、どんどん病んでいきます。あわせて、あまりにも「ピ」から嫌なことを強要されると、「好感度」が下がります。それらのパラメーターが高すぎたり、低すぎたりするとゲームオーバー、バッドエンドとなってしまいます。ちょうどいいバランスのところでキープしつつ、配信を続けていくことでフォロワー数を増やしていくのです。

この「配信によって」パラメーターが上下し、かつ配信のネタによってフォロワー数の伸び率が違うのが良いバランスで、シミュレーションとしての面白さが十二分に詰まっていました。

例を挙げれば、えっちなこと、つまり性的なコンテンツは手っ取り早くフォロワーを集めることが出来ます。一方で、ストレスも急激に溜まり、プレイヤーへの好感度も激減します。
また、一般的なゲーム配信や解説系の配信は、そこまでパラメーターに悪い影響はしないもののフォロワーの伸びもイマイチです。エロが伸びて、真面目でよくありがちな配信が伸び悩む…現実でも見る光景ではないでしょうか。

配信の「ネタ探し」も独特です。外出でネタが見つかることがあれば、SNSを見たりエゴサをしたり、特には「おくすり」を服用することでネタに繋がることがあります。ここでの「おくすり」は、普通の「おくすり」の服用方法ではないことは、プレイしてすぐに理解することが出来ました。

あめちゃんはそんな配信のネタ探しや配信自体を繰り返しますが、そのパラメーターやフォロワー数、行動によって様々なエンディングへと分岐します。その数、20種類以上。
ゲーム途中で迎えるエンディングもあれば、プレイ期限のゲーム内時間30日の時点での状況によって分岐するエンディングもあります。

そのため、何度もプレイすることでいくつものエンディングを見ることが出来ますが、一方で、たくさんある配信内容やパラメーター上下のための行動も、同じものを繰り返すということになります。
それについては、ゲームプレイがゲーム内時間一日ごとにオートセーブされており、任意の日数から再開する機能や、配信イベントのスキップ機能が備わっているので省略化は出来ますが、やや作業感は否めません。

合わせて、一部のエンディングはかなり条件が厳しいため気づきにくいことも考えると、無限のリプレイ性があるかというとそうではない気がします。(私は確か12-13くらいのエンディングを自力で見つけましたが、それ以降は攻略サイトに頼りました)

とは言え、そんな作業を行ってでもいったいどのようなエンディングがあり、あめちゃんがどのような行動を行うのかには強く興味を抱きました。この設定とキャラクターが独特過ぎるうえにリアルすぎたのです。
私はあめちゃんの「ピ」となって、幾度も幾度もトップ配信者への道を歩んでいったのでした。



SNS・メッセンジャーアプリで描写された「あめちゃん」というキャラクターの「リアル」さ

とにかくこのゲームの特筆すべき点はこのリアルさです。そこには「ゲームっぽさ」は無く、「リアルさ」しかありません。そして時勢を捉えたネタやオマージュなど、まさに令和の今、今だからこそ楽しめるリアルさがそこにはあるのです。繰り返しますが、これはきっと今が一番楽しめる時期です。是非とも今遊ぶべきと考えます。

そのリアルさをどこから感じたかというところですが、これは膨大な種類のSNSの投稿およびメッセンジャーアプリのメッセージにて形成された、見事な「あめちゃん」の言葉に宿っていました。

ゲーム上で見ることのできるSNSでは、「超てんちゃん」が広くフォロワーに向けて呟く内容と、「あめちゃん」が「ピ」にしか見せない鍵のかかった裏アカウント(裏垢)が存在します。
あめちゃん、SNSの裏垢にて人の悪口…というか、「口の悪い本心」を呟いています。他の配信者についての批判や、自分に対して誹謗中傷を行う視聴者=アンチに対しての恨み言、そのほか表では言えないことを呟いたりしているのです。

一例ですが、配信者の姿である「超てんちゃん」のアカウントでは、「学校なんかいかんでええ!」と、フォロワーに対して明るく振舞っているのに対し、裏垢では「行かんでもいいけど、行ったほうがええ…」と真逆のことを呟いています。要するに、裏垢では、あめちゃんの本心と思われるものを呟いているのです。

この「学校に対する裏垢の内容」をPVで見て、間違いなく面白いゲームだと確信しました。

そのほか、「えっちな配信」をした後には、冷静に「少し肌を見せるだけで数字が伸びるな…」と、極めて現実的な考察を行っていたりします。こういった、裏垢の部分の描写に異様なリアルさがあり、一気にこのゲームに引き込まれました。

ただ、このリアルさに関してはプレイヤー個々人の経験が強く影響すると思っています。どんな配信者を見るか、どんな友人がいるか、知り合いはSNSでどんなつぶやきを行っているか、といった経験です。

特定の個人を指すわけではないのですが、あめちゃんの発する文章と瓜二つ、または文章によっては全く同一のものを、現実世界で私は見たことがあります。特に、鍵のかかったアカウントで目撃していました。
さすがに過激すぎる内容はありませんが、ちょっとした小ネタやちょっとした物の表現の仕方が一致していたからこそ、リアリティではなく完全な「リアル」、実在の人物との一致を体感しました。そしてその体感は、今までプレイしたゲームが到達していなかったリアルさだったのです。あめちゃんと同じような人が「いる」んです。

結局のところ、ここまでのリアルさが描写されているゲームを、見たことがありませんでした。それは、RPGやアドベンチャーゲームに登場するキャラクターの言動があくまで「ゲームに登場するキャラクターの言動はゲームに登場するキャラクターとしてのフィルターを通した結果の言動」である、というところにあると思います。
極めて善人である勇者も、裏切るキャラクターも、可愛いヒロインも、それは程度の差はあれどあくまでファンタジー。現実世界のどこにも存在しないキャラクターなのです。存在しないというか、逆に言えばゲームの中で活きるキャラクターであり、現実世界ではありえない性格、生活をしている、ということになります。FF7のクラウドはかっこいいけど、あの見た目と性格は日本にも海外にも、現実世界にはいません。あらゆることに「興味ないね」と答えられたら「ああ、そうですか…」と引いてしまいますし、社会人としての生活はできません。非実在なのです。

それはそもそもファンタジーな世界設定で生きているキャラクターだからこそこの現実世界、非ゲーム世界には合致しないという前提はもちろんありますが、とは言え現実世界を模したゲーム…例えばペルソナシリーズ等でもそうです。どのキャラクターも現実世界にいそうではありますが、しかし惜しいところで「いそうでいないキャラクター」、やはりファンタジーに感じます。

そう感じる原因の一つは、「ゲームの中でそのキャラクター自身の苦悩を解決」という予定調和があるからこそ、「解決できる苦悩に留まっている」というところがあるかもしれません。そして、解決できる苦悩のみを抱えているというところに非現実感を感じるからこそ、そのキャラクターにも非現実感を感じます。長ったらしく書きましたが、つまるところは「こんなキャラ現実にはいないでしょ~」と、ゲームをしていて思った経験はありませんか? ということです。

そこで、このゲームです。
前述のような「解決できる苦悩」としての何かエピソードがあって、それを解決して綺麗にゲームクリア…というようなゲームではありません。そもそもがマルチエンディングであるというところもありますが、Steamページの説明文には「様々な形の破滅を体験しつつ、この物語にハッピーエンドが存在するかどうか、あなた自身の目で確かめてください。」とあります。
このゲームで体験するのは、「苦悩を解決できない様々な形の破滅」です。

それはつまり、解決できるレベルの苦悩ではなく、苦悩…いや、このゲームではあめちゃんの性格、パーソナリティと言えるでしょうが、そのあめちゃんとの「教科書的なハッピーエンド」が無いのです。そして、そこにあるのは確かに破滅的なエンディングでありながら、どこか「こういう現実があるのかもしれない」と感じてしまうのです。「非現実的な教科書的なハッピーエンド」ではなく、「現実的な破滅的エンディング」がそこには存在します。

ラスボスを倒して世界平和は確かに素晴らしいハッピーエンドですが、そこにリアリティはありません。なぜならこの現実世界にラスボスも無ければ世界平和も実現されていないからです。このゲームの強みはここにあり、ペルソナシリーズのように現実を舞台にしつつ、かつこのあめちゃんが異常なほどリアルな文章を吐露する、という2つの視点からのリアリティが、あたかも現実世界なのかと錯覚させるような仕組みを生み出していました。

リアルに自分のTwitterフォロワーが言うダジャレ、あめちゃんが言ったときドキッとしました

「ゲームというフィルター」を通す、それはつまり青少年への影響を考え、売り上げを考え、世間的な評価を考え、どこか「当たり障りのない『セリフ・ビジュアル・表現に収束する』」のではないかと考えずにはいられません。

これまでプレイしてきた多くのゲームが、そのラインを越えなかったのです。例えるなら、高校生のヤンキーが煙草を吸っているドラマのシーンに「これはドラマ上の演出です。未成年の喫煙は禁止されています」と注意書きが表示されるような、どこかお行儀のよい興醒め感。いや、それは興醒めというよりは「そういうもの」「世間的にそういう注意書きがされるもの」という、当然のものとしての認識でありました。

その点の違いが、このゲームにはありました。
あめちゃんが裏垢で発する言葉は決して大衆向けではないもので、テレビなどで大々的に公開できる内容では無いというか、もしそういった場で話したらちょっと空気が凍り付くような内容であると思います。しかしそれは別につまらないとか、滑った発言というわけではなく、「みんなが本当はわかっているけど空気を読んで言わないこと」であるからです。

そういったあめちゃんのセリフ、物事の本質を捉えた本音がこれでもかというくらい示されるこのゲームだからこそ、そこに存在するのは「当たり障りのない」という状態からは真逆の真理を突いた言葉であり、だからこそプレイヤーの心にリアルさを伴って刺さるのです。

「本当は思っていたけど、でも世間的に空気を悪くするから言えなかった」そんな、誰もが躊躇するセリフだからこそ(それが誰も見ることの出来ない鍵のかかったアカウントやメッセンジャーアプリであるからこそ)のリアルさがあると同時に、「配信者が陰で思っている言葉」を明け透けに呟いていることで、プレイヤーの身としても現実感が増すのです。

「好きなことで、生きていく」は、非常に綺麗な言葉ですがその内情の苦労を示していません。ある意味で綺麗ごとであると言えます。しかしそれを綺麗ごとであると指摘する人はいません。が、配信者が「『好きなことで、生きていく』なんて綺麗ごとだよ。お金を稼がないと生きていけないから、どうやって視聴者の興味を引かせるか必死だよ」ともし暴露したら、それはきっと世間から叩かれる要因になりますが、一方で「まあ、現実的な生活を考えたらそうなんだろう」という気持ちも、視聴者の身としては感じます。
この、現実的かつ汚い部分をしっかりと描写したゲームであり、配信者としてのポジション、そして裏垢という絶妙な場所での吐露があるからこそ、あめちゃんというキャラクターおよびこのゲーム自体のリアリティが他のゲームとは頭一つ、頭二つ抜けたものとなっていると感じました。



「超てんちゃんが話す言葉が本心なのか飾りなのかがわからないリアルさ」

あめちゃんは配信時、衣装に着替えます。
そしていわゆる「オタク」に向けて、天使という設定で配信を行います。
もちろんそれはキャラクター、Vtuberの設定のようなもので、基本的には人間っぽさというか、本来のあめちゃんの仕草も垣間見えつつ、オタクにウケる立ち振る舞いを行っているのです。

ところが、ときおり超てんちゃんが自分の過去について話をすることがあります。
その内容の真偽はわかりませんが、決して適当なことを話しているようには感じられませんでした。自分の過去、なぜ今配信をしているか、など…。
なんというか、普段裏垢で毒を吐いているキャラクター、表のアカウントで天使のような優しい発言を行っているキャラクター、そのどちらでもないキャラクターが、超てんちゃんが過去について語るときに現れるように感じました。

「超てんちゃん」の発言はもちろん飾られた、作られたキャラクターのものです。裏垢での本音はかなり言葉がキツいです。そして、そのどちらでもない「配信中に過去を語る姿」なんだかあめちゃんの本当の姿のような印象を受けました。決してオタクにウケる発言でもなく、また裏垢の毒づくような発言でもない。そこに残るのは、表の飾りも裏の飾りも取り払った、ありのままのあめちゃんの心のように感じます。

そこが、最も私の心に刺さりました。きっとあめちゃんも、現在のメンタルが弱く承認欲求が強い状態になるまでに、何らかの心が病む原因があり、その結果配信者となった。普段は常に配信か「ピ」のことばかりでありながら、自分自身と向き合った瞬間がうっすら見えた気がして、ただただ独善的でない、まだクリアになっていないあめちゃんの姿の一部を感じました。そしてその部分はほとんど見えていない部分であるからこそ、「もしかしたら毒づいている裏垢の姿ではない、本当の姿があるかもしれない」と思わされる一瞬でした。

色々なゲームには、「心優しいヒロイン」「病んでいるメンヘラキャラ」など、様々なキャラクターが存在します。ゲームの種類にもよりますが、それらの性格や考え方というのは、基本的には一貫したものであると思います。
明るいキャラクターなら明るいままエンディングまで。気の弱いキャラクターなら気の弱さを保ったままエンディングまで。ある意味でビジュアルのように性格がキャラクターのアイコンとなる部分もあると思います。
そして、「気弱だったキャラが旅を通じて勇敢になっていった」というような性格の変化はあるかもしれませんが、そのキャラクターの性格が色々な見方で変わるといったゲームはかなり限られると思います。
なぜなら、そういった微細な変化かつ違和感のない描写には、そのキャラクターにかなりスポットを当てたり、文章量を割かなければ、ありえないキャラ設定となり、没入感が削がれる結果となるからです。しかしそれが、このゲーム、あめちゃんには見られるのです。
あめちゃんは、SNSや鬱陶しいくらいのメッセンジャーアプリでのコミュニケーションにより、文章量というハードルをクリアしているのです。これにより微細な表現を可能にしています。

あめちゃんがどんなものに対して嫌悪感を抱き、どんなものは許容でき、しかし許容できる範囲のラインはここまで、といった、一つの物事に対する反応とそのレベルについても、プレイヤーは理解できます。結果、彼女の性格を深く理解することとなるのです。

「おくすり」はやり過ぎない程度の倫理観、「PR案件」はしっかりやりたい倫理観

あめちゃんの表のSNSアカウントと配信、裏のSNSアカウントとメッセンジャーアプリ、膨大な文章はそれぞれが蜘蛛の巣のような網を張ったような状態を形成し、同時に様々な言動を「これはオタクに媚びた配信向けの言葉」「これは毒を吐いた裏の言葉」という分類わけすることが出来るようになっています。

しかし、そこから漏れていくのが先ほどの「過去の話」。そして実は、記念配信後のあめちゃんの真面目なSNSや、配信の一部が子供を笑顔にする微笑ましいものであったりと、どちらとも捉えられない部分があります。
そこには、まだ見ぬ第三の性格、表と裏の性格に隠された、「ピ」にも曝け出していない性格があるように感じ、そこを知りたいという欲求に駆られます。(事実、ゲーム中盤では「ピ」に隠していたあめちゃんの名前に関する事実が伝えられます)

あめちゃんが、ただのゲームキャラとしての「病みキャラ」的な一面的な性格ではなく、実は幾層にも重なっている性格であると解釈出来たところが、人間味を増しているように感じ、それは彼女の魅力をより深くしているもので、言葉一つ一つが重くなっているのを、強く感じました。



「リアルさを引き立てるビジュアルと音楽の質の高さ」

ドット絵で表現された世界、基本的には「PC画面」を模したビジュアルにてプレイヤーはゲームを楽しみます。あめちゃんおよび超てんちゃんの見た目、SNSやパラメーターなどが全てドット絵、それも昔のPCゲームのような解像度で描かれています。

ドット絵で描かれた世界だからこそ、キャラクターの見た目と配信時の視聴者のコメントの解像度(見た目)など、全ての要素のビジュアルが統一されているのが良かったです。
以前別のnoteに書いたと思いますが、こう、例えばこのゲームで何かのビジュアルが異様にリアルだとしたら、他のものもリアルで無ければ整合性が取れません。
仮にあめちゃんや超てんちゃんが実写並みの解像度の見た目だったら、コメント欄やパラメーターがドット絵で表現されてしまうと解像度の間で違和感が生じます。
物凄いリアルなビジュアルのFF最新作があったとして、そこで会話シーンだけが初期FFのようなウインドウに文字表示スタイルだととても違和感が発生します。つまり、超リアルであればセリフはやはり声優さんが声を当てないと、リアル度合いの格差が生まれてたちまち違和感を覚えます。

そのあたりで、このゲームは上手くビジュアルを統一することに成功しています。人物をドット絵とすることで、配信時の視聴者コメントやSNS書き込みなど、もともとがリアリティというより文字情報である(ドット絵で十分表現できている)というところとリアル度合いに差が無いようになっています。ここは、没入感を強めるいいポイントでした。最初から最後までドット絵のゲームであることで、ビジュアル的に違和感が無かったのです。

そしてもちろん、そのドット絵のクオリティが非常に高い。中心となるのはもちろんあめちゃん・超てんちゃんの見た目や自撮りに関するものですが、まるでアニメのキャラクターのように生き生きとした一枚絵になっています。ときには、ヌルヌルと動くような描写もあり、そのバリエーションの豊富さは見ていて飽きがありませんでした。毒を吐くSNSや病んでしまう行動に隠れがちですが、このドット絵は非常に見事なものでした。

そしてもう一つ忘れてはいけないのが、音楽です。
そもそもこのゲームが気になったのは、PVを見た瞬間でした。

前半はいかにもなゲームっぽい音楽。特にチップチューンのような、昔のゲーム感がある音楽です。ここまではいいんですが、画面の様子が不穏になると同時に、徐々に激しくなる音楽と主張してくるガバキック。
随分曲のクオリティが高いな…と思っていましたが、最後までPVを見るとその理由もわかりました。曲がいいのはそれもそのはず、音楽は韓国のトラックメーカー、Aiobahn氏でした。

私は一度、秋葉原MOGRAのクラブイベントでAiobahn氏の生のDJを聞いたことがありました。アニメに対する造詣が深い方なんだろうなあとは思っていたのですが、ゲームに参加されたのは驚きでした。
もちろん、トラックメーカーとしてもかっこいいクラブミュージックをリリースされている氏が、インディーゲームに参加されたことが非常に嬉しく、この時点で「間違いなくBGMの質が圧倒的なゲームになるはず」と、ゲーム内容もそうですが音楽面でも非常に期待する作品となり、1年以上わくわくしながら発売を心待ちにしていました。

そして、2021年4月。突如発表されたゲーム主題歌が世間を騒がせたことを覚えている方も(特にオタク界隈では)少なくないと思います。

ボーカルにKOTOKOさんを迎えたという点が既に往年のアニメや美少女ゲームファンの注目を集めていました。もちろんそれだけではなく、楽曲、ミュージックビデオとしても、パラパラを踊る超てんちゃんや、ラップとは違う早口の歌詞、そしてユーロビートという、「電波ソング」的な中毒性の高いものであり、ニコニコ動画等を通ってきた世代に突き刺さるものとなっていました。

この曲自体もゲーム内容に一部関わっており、ゲームプレイ後に聞くと超てんちゃん(あめちゃん)への感情移入が混じった印象となりました。

もちろん主題歌のみではなく、ゲームのBGMも力が入っています。ビジュアルに合わせて、わざと昔のゲームに合わせた曲調であるとともに、情報過多なインターネットを表すようなどこか「電波的」なBGMであったりと、中毒性に溢れていて飽きませんでした。

特に、上記のようにAiobahn氏が記載している「天使は感動する」は、ゲームの中でも珍しく穏やかで優しい曲であるとともに、その曲が流れるシーンの印象深さも相まって非常に心に残る曲でした。

他にも、サントラで曲単体として聞いてみると「INTERNET ANGEL」の電波感と中毒性は頭に残りますし、「Angel fall down」「Angel boring」「Angel yamu」といったゲーム中最も聞くであろう3曲は、微妙に曲調が異なることをサントラで聞いて気づきました。冒頭のメロディが一緒なので、同じ曲かとプレイ中は思っていましたが、実は細かく分かれていてゲームの印象に影響していたと考えると驚きです。

1st PVで使われた「Approval desire」のチップチューンからハードコアに移行するような曲調はめちゃくちゃ好きだったのでゲームに実装されていて嬉しかったですし、「ニセモノの幸せだけど」の疾走感のあるチップチューンかつどこか切なさ、うっすらと無常観を感じるようなメロディはサントラでじっくり聞かないと気づけないものでした。めちゃくちゃかっこいいです。BGM全てが、PC画面を模したビジュアルに合った曲でありながら、サントラでじっくり聞くと魅力が増す、曲自体に非常に力のあるゲームだと思いました。

ビジュアルおよび音楽が違和感のない、自然と没入感を高める仕組みであること。それはこのゲームの尖ったコンセプトや特徴的なキャラクターによって隠れがちですが、しかししっかり土台を支える質の高いコンテンツであることは、見逃してはいけないものであると感じます。



「インターネットの幻想と陶酔」

「超てんちゃん」は配信で言うのです。それはただの、オタクを喜ばせる言葉かもしれない。適当な言葉かもしれない。それでも、自信たっぷりに「幸せでいろよな!」「私は必ずここにいるから」そんな言葉を、配信で吐くのです。

この、どこか無責任で適当そうな言葉だとわかっていても、それでもここまで堂々と言われると脳のどこかが刺激されました。ゲームの中のセリフであることはわかりつつも、どこか温かく、緊張がほっと緩むような安心感がありました。

これは先述の「超てんちゃんの言葉や性格のリアルさ」とも関わってきます。
もはや、発する言葉や幾層にも重なった性格で彩られたキャラクターだからこそ、現実感があるのです。現実感というのはつまり、その言動に対する説得力であり、それはプレイヤー側として感情が移入しやすいもとのなっていました。
そして、そこには「インターネットの幻想」と呼べるものがありました。
とにかく心に突き刺さったのが、超てんちゃんが幸せについて語る配信です。

この配信では、超てんちゃんが自身の幸せについて語った後、オタクたちに向かって「幸福に生きろよな!」と声をかけます。この配信はネタ系の配信ではなくフォロワー数が増えた記念配信であり、さらには真面目なトーンの配信でもあったこともあり、この言葉が、自己を肯定されているようでとてもグッときました。

なんというか、そこにはインターネットという幻想でありながら、確かに陶酔してしまいそうな存在がいたのです。ゲームに登場する1キャラクターではありつつも、どこか「安心できる存在」であるような感覚でした。

ついてこいと言われればついていきたくなるし、「幸福に生きろよな!」と言われれば応援されたように安心するし、「私だけ見てろよ!」と言えば超てんちゃんだけ見ていたくなる。その無責任とも適当とも言える言葉に、なぜか信頼性があるのです。
本来、「ピ」としてあめちゃんを導く、あめちゃんに指示する立場をロールプレイしているはずなのに、あめちゃんが着替えた超てんちゃんの言葉にグッときてしまうのが、とても不思議ではありますがしかし抗えない心地よさがあったのも事実です。

それは、もしかすると、依存される立場であった「ピ」ことプレイヤーの私が、いつの間にかあめちゃん、超てんちゃんに依存する、共依存の関係になってしまっていたのかもしれないと、ふと考えました。



「依存と共依存・リアルすぎる裏切られる辛さ」

メンタルがちょっぴり弱いあめちゃん、配信活動でストレスが溜まったり、病み度が高くなるとちょっと弱々しく、「ピ」へとなかなか強烈な関わりをしてきます。
それは主にメッセンジャーアプリであり、行動でありますが、通常のコミュニケーションは間違いなく逸脱しています。依存と承認欲求の合わさった、底の無い愛情を求めてくるのです。

後述する自分のパーソナリティーにも関係するところなんですが、このゲームのリアルさも相まって、私、あめちゃんに頼られることがいつの間にか嬉しいように感じていたんですよね。
いや、嬉しく感じていたことを、裏切られて初めて実感したのです。

このゲームの様々なエンディングの中には、「ピ」から離れていくようなエンディングもあるわけです。
そのときに、今まで自分のことを振り回してきたあめちゃんに、どこか裏切られてしまったような感覚に陥ってしまいました。

散々SNSでは毒を吐き、メッセンジャーアプリをチェックしないと不満になるような子でありながら、私はどこかその依存に対して満足感を感じていたのかもしれません。
リアリティに溢れたキャラクターだからこそ、面倒であっても自分を頼りにしてくれる姿、行動が嫌ではなく、いやむしろ嬉しく、どこかそれが当たり前と感じていました。その時点で、つまりは自身もあめちゃんに依存していたんですよね。

依存されるということと信頼されるということは非なるものですが、どちらも目に見えないからこそ厄介です。信頼されていると感じたからこそ、自分から離れていくようなエンディングの喪失感は増していました。

このゲームはYoutube等で多く実況配信されていますが、この、プレイヤーから離れるエンディングに対して憤る配信者の方も少なくなかったと思います。ゲーム内の1日目、ゲームスタート時点では何とも思っていなかった、むしろ厄介そうなキャラクターだと誰もが思ったあめちゃんが、離れていったことにより「裏切られた」という感想になってしまうのです。

その時点で既に、依存されていることと依存していることの両方が成立していたからこそ、こういった感想・感情になってしまうんですよね。無条件で近くにいた存在、自分にべったりだった存在が、自立していく姿には、寂しさが強く残るものでした。



自分のパーソナリティーと相性が良すぎた

何ていうんですかね…こんなこと自分で言うのも気持ち悪いんですが、こういうちょっとメンタルが弱くて手のかかる子…というかそういう、手助けが必要な人は放っておけないパーソナリティーがあると思ってます。

それは私自身が育ってきた環境が理由でもあると思うんですが、まあ色々あり、私が大学を出て今までずっと選んできた仕事は医療・福祉関係の仕事でした。
自分の性格もあるのかなんなのかはわかりませんが、やはり人に頼られることは嬉しい。それに応えることはもっと嬉しい。私は看護師・介護士ではありませんが、そういった医療・福祉関係の職業に従事している方が、共依存になりやすい傾向があるという話も聞いたことがあります。
私自身も、人に頼られることで、ある意味で低かった自分の自己肯定感が上がり、その部分に魅力を感じていたのかもしれません。

このゲームの「あめちゃん」もまた、「ピ」こと恋人の私に全てを委ねてきます。ときには病み、ときにはクスリを使い、裏垢では人の悪口を言い…。そんな手のかかる子だからこそ、放っておけないのです。

これはどこか、破滅を望むメンタルでもあると思います。
昨年書いた記事にありますが、私は「死にたくなったら電話して」という小説に心の底からハマりました
これは大阪・十三のとあるお店のNo.1キャバ嬢に、主人公がどんどん破滅させられていく小説ですが、この内容、正直に言うと「主人公が破滅させられる」というよりは、「ヒロインと一緒に破滅する」というようなストーリーです。これに強く心を動かされた私としては、このゲームでも同じように、「あめちゃん」を配信者として育てつつも、その病み具合、ストレスの抱え具合、それによる精神不安定な様子に対し、積極的に逃げるでもなく救うでもなく、一緒に落ちていくというところ…。そこで頼られ続けていくというところがどうにも心を刺激し、虜になってしまうのです。

このゲームも同じような印象があり、もしかするとあめちゃんも「悪女」なのかもしれません。実は第三者から見たら、あめちゃんに振り回される「ピ」というのは、とても不幸な存在に見えるのかもしれません。
しかし、あめちゃんは決して「ピ」を不幸にしようとはしていません。このあたりが上記の「死にたくなったら電話して」と似ているところだと思っており、いわば「心中小説」「破滅小説」そして「恋愛小説」の要素が入ったゲームだと感じました。

決して恋人を悪いようにはしようとしていないものの、実は世間一般から見ると、「世間一般の幸せ」からはレールを外れているように見える。しかし当人たちはそれに気づくことは無いし、気づいたとしても自らが不幸だとは思わない。
私もやはり、世間一般の幸せはそこまで人生にとって必要とは考えておらず、それよりも自身の尺度で考えた幸せというもののほうが重要に感じているところがあり、そのあたりの私の考え・パーソナリティーがこのゲームと合致したと同時に、ドハマりする要因の一つであったと思います。

そしてそれに関連する事柄として、このゲームのエンディングがあります。
エンディングの種類は多数あれど、端的に言えば間違いであるエンディングは無いのではないか…と考えると同時に、全てのエンディングを体験することでの魅力が、このゲームには仕掛けられていました。



もし時間と気力が許すなら、全てのエンディングを目撃すべき

20以上あるこのゲームのエンディングですが、ゲームの魅力を全て味わうには全て体験することをお勧めします。
個人的には、おそらく一般的にはトゥルーエンドと呼ばれるであろうエンディングを体験した瞬間、このゲームの次元が1つ上がったような感覚になりました。つまりは、ただの病み系の女の子を配信者として育てるゲームでは無く、そこに秘められた別のテーマを感じ取ることが出来たのです。それを体験した瞬間、このゲームに対する見方がガラッと変わり、魅力が一気に増したことを覚えています。
また、とあるエンディングが、とある事情でゲーム配信には適していないところもまた、少し皮肉のようでグッときました。

そのほか思ったこととして、このゲーム、ゲームオーバー画面を見ても明確に「バッドエンド」とは記載されていないんですよね。

なんというか、このゲームのマルチエンドにはバッドエンドが無いように感じます。

もちろん絶対に現実ではやってはいけないエンディングもあり、「バッドエンドではない」と言っても程度はありますが、言いたいのは「バッドエンドだから間違い」といった、「バッドエンドの先がもう何もなく、トゥルーエンドのみが正しい道」であるようには思えないというところです。

繰り返しますが、明らかにあめちゃんの未来や健康にマイナスなエンディングもあり、全てのエンディングを肯定することはできません。しかし、だからと言って100%の間違いであるというエンディングばかりでもないように思えます。これは後述の、「どのくらい『ピ』から強制力を持って指示されたか」にもよるところが強くありますが、もしあめちゃんが選んだ未来であれば、それはそれで一つの正解である、という解釈もできる気がしました。既存のゲームで言えば、「Detroit: Become Human」のようなマルチエンドを感じたのです。

下記のにゃるらさん(NEEDY GIRL OVERDOSEにて企画・シナリオをご担当)のインタビューにも、エンディングに関する内容が記載されており、その…個人的には、このゲームのいくつかのエンディング「肯定することは出来ないけど、彼女が選んだからこそ間違ったエンディングではない」という、矛盾すれすれの解釈で落ち着きました。

あめちゃんの選択を尊重したく、世間一般の「正しい」ことが、あめちゃんの幸せには必ずしも繋がらないであろうこともなんとなくわかり、世間の物差しではなくあめちゃんの物差しで選んだものはあめちゃんにとって正解、という気持ちになりました。

4Gamer:
 「NEEDY GIRL OVERDOSE」のテーマは,根底的な部分では前向きなものなんですか?

にゃるら氏:
 前向きに育ててSNSで活躍することもできますし,どんどん鬱屈していって退廃的な暮らしを楽しむこともできます。
 プレスリリースにも“「ハッピーエンド」がこのゲームにあると思いますか?”とあるのですが,やっぱりインターネットをやり続けることがハッピーエンドとは考えにくい。でもハッピーエンドでないことが必ずしも不幸というわけでもないですから。承認欲求がオーバーフローして奇行に走ったとしても,破滅を迎えたとしても,それが“不幸”だとは限らない。

4Gamer 「にゃるら氏に聞く,「NEEDY GIRL OVERDOSE」に込めたディープな想い。幸せな結末は存在しなくても,あなたの思う幸せはあるかもしれない」
https://www.4gamer.net/games/537/G053796/20210615063/

そして、ここでは便宜的に「トゥルーエンド」と記載しますが、最も難易度の高いと思われる+最も凝った作りと思われるエンディングを体験したとき、このゲームに対する印象ががらりと変わりました。

このあたりはやはり90年代、2000年代のゲームの感覚でしょうか。こういったエンディングは私が学生時代に遊んだゲームでも体験したことがありました。
当然、大きなネタバレになりますので詳細は伏せますが、「えっ……」と時が止まるような衝撃を受けるとともに、最後の最後には超てんちゃんに対すする愛着が、非常に強くなりました。

あれだけメンタルが弱く、「ピ」に依存していたあめちゃんと配信の姿である超てんちゃんの姿が、配信者としての30日間…そしてその後を経て、このような形となるのは、なんとも頼りがいのある姿だと思い、嬉しくなりつつもやはりちょっとだけ寂しい気持ちになりました。それこそ、すっかり私自身もあめちゃんに依存してしまっている状態となっていたからだと思いますが。

とにかく、このゲームを体験してみて、「ああ、こういう結末になってしまたか」と、自身のプレイスタイルの結果の結末を体験するのも非常に面白いです。
しかし、やればやるほど各パラメーターの上げ下げやフォロワーを集めるコツは掴めると思いますし、それによって様々なエンディングを楽しめると思います。私自身はエンディングの3分の2ほど確認した時点で全くエンディングの条件が分からなくなり、攻略サイトを見て、残りのエンディングを体験しました。

コツを掴めばフォロワーは増やせます

攻略サイトを見てゲームを遊ぶのはいささか自分で攻略したときより満足度は減少しますが、それでもこのエンディングを体験出来て本当に良かったです。このエンディングを経て、本当にあめちゃん、超てんちゃんのことが、何倍も好きになり、何倍も愛着が沸きました。

学生、社会人、どちらも日中はやることがあるため、ゲームに割く時間は限られます。このゲームに関する私の結論としては、忙しいのであればいくつかのエンディングを体験した後、時間と気力が許すのであれば、攻略サイトを見てでも全エンディングを体験することをお勧めします。

「トゥルーエンド」には、一緒に配信を行ってきた、あめちゃんの衝撃的な思いと事実が待っています。このエンディングを体験せずにこのゲームから離れるのは、あまりにもったいないとしか言えません。
是非、あめちゃんとの生活の熱が消えないうちに、一気にプレイすることをお勧めします。



演出としての「オーバードーズ」「性的コンテンツ」について - 初めて「さよならを教えて」をプレイして思ったこと

あまり考えていなかったのですが、IGN JAPANのレビューを見てハッとしたのは、そもそもこのゲームは「ピ」であるプレイヤー、私自身があめちゃんを導いているというところです。

そしてその程度、どのくらいの強制力で導いているのかわからないのが怖いところで、もしDVのような、ほぼ強制的に薬を飲ませたりえっちなことをしているとなると、やはり罪悪感が沸き、どのようなエンディングであってもあめちゃんの心や体を傷つけるものになると辛い気持ちになります。
とは言え、あめちゃんと病院に通うことも出来たりするので、どのくらい強制的に導いているのかは不明です。

私自身としてそのあたりに疑問を持たなかったのは、「あくまであめちゃんとピが同じレベルで会話し、同意を得てから配信をしている」という認識からでした。特にSNSも含め、あめちゃんが主導的に行動し配信のネタを探している描写があり、気にならなかったのだと思います。一方で、出会い系などは明らかに「ピ」から指示されたという描写であり、印象の受け方はプレイヤーに一任されているものであると感じました。
個人的には、「ピ」への対応がときどき雑であることもあり、そこまでひどい扱いは受けていないような関係…と、自分の中では結論付けています。(本当に暴力がこのゲームに無くてよかった)

そのあたりは難しいところですが、特にオーバードーズは本当に危険なことであり、ゲームと言えども軽く扱ってはいけないものであると思います。
しかし、だからこのゲームがダメというわけでは全く無く、そういう「危ないもの・こと」が含まれているからこそ、それも「ゲームらしいお行儀の良さ」という殻を飛び越えている気がしました。

このあたりの良し悪しについては、私の中ではわかりませんし、どちらが良い、どちらが正しいといった答えは出ていません。が、少なくともその部分が無ければこのゲームで体験した感動とも呼べる経験をすることは出来なかったので、私個人に対しては間違いなくあってよかった要素だと思います。

もちろん、そのあたりについては、「それでは過去のゲームは?」という話になってきます。
人を殺すゲームは…女の子が苦しい目に遭うゲームは…暴力的なゲームは…。そうなるともう話が大きくなりすぎますが、そこはもう、個人個人が自分に合うかどうかで判断するしかないと思います。

NEEDY GIRL OVERDOSEはもともと2021年の「寒いうち」に発売予定でした。それが延期で、結果として2022年の1月に発売されました。
その間に、先ほどの「INTERNET OVERDOSE」という曲が発表。大きく話題になりました。

非常に楽しみにしていたゲームですので、何度もMVを見ていたのですが、途中に出てくる「過去のゲームのオマージュと思われる歌詞」がとても気になりました。というか、Youtubeのコメント欄でそのオマージュを見抜いている人がおり、「どうせ楽しむなら万全な気持ちで楽しみたい」と思った私は、いくつかオマージュされているゲームのうちの一つ「さよならを教えて」が現在もDLsiteにて販売されていることを知り、プレイしてみたのです。

結論、1人分のルートしかプレイできず、以降まったく手をつけられていません。
ゲームの注意書きの通り、精神的な嫌悪感にまみれた作品であり、なかなかにプレイするのは辛かったです。
とは言え、主人公の異常性と夕暮れ時の学校という舞台による、なんとも言えない焦燥感、現実と妄想が入り乱れる加虐的な演出、どこからどこまでが正常かわからない演出は令和の今プレイしても迫力のあるものであり、全体を通して鬱ゲーでありホラーゲームのように感じました。おそらくこれを思春期など多感な時期に遊んでいたら、間違いなく人格形成に影響したと思います。

「さよならを教えて」からプレイヤーが何を感じるかは人それぞれですが、少なくとも内容的には決して万人受けするものではありません。しかし、そこで忘れてはいけないのは、そこで画一的に世間から排除するのは、私は良くないと考えます。

言ってみれば「教科書的」なゲームは多数あります。性、暴力、ドラッグ、自傷行為、その他犯罪や差別などを描くゲームは、なかなかありません。それらのゲームは、ときに人を傷つけます。
ですが、そのような人を傷つける可能性があるからこそ描ける部分もあるのです。

小説もそうです。昔、確か爆笑問題の太田さんが話されていたんですが、小説を読んで大事なのは「何を感じるか」ということです。面白い、面白くない、合う合わないは当然あるとして、ではなぜ、どんな要素が自分にとってそのような感情をもたらしたのか。これを知ることで、自身をより深く知ることが出来るのです。

私は間違いなくこのゲームに出会えてよかったですし、半ばフィクションでありながらもカジュアルに描かれたオーバードーズや性的コンテンツの配信を通じて、リアルさを体験できました。そして、自分のパーソナリティーを改めて認識することが出来たと思っています。

「ゲームと現実が区別できない」のであればプレイはすべきではないと思いますが、区別できるのであれば、演出面で非常に強みのあるゲームです。インディーゲームだからこそ突破できた「教科書的な壁」があると勝手に解釈していますし、その「体験」を重視したデザインに、心から感謝しています。



終わりに - ちょっと怖いこと

このゲームを終えて、少し怖いなと思っていることがあります。
「超てんちゃん」そして「あめちゃん」のアカウントが実在していることです。

そして超てんちゃんのアカウントは、ゲームを超えてこの現実世界でも稼働しているのです。

もちろんこれらはあくまでファンサービスであり、言い換えればメディアミックスの序章のようなものかもしれません。他のゲームでもこういった、キャラクターがSNSへの進出を行うような仕掛けはあったと思います。

改めて書きますが、何度も記載してきたように、このゲームにハマった理由は、あめちゃん(超てんちゃん)の圧倒的な「リアルさ」でした。
それがこの現実世界に進出してきたら、もう超てんちゃんは「現実」です。

この記事を書いている時点で超てんちゃんのこのツイートは3,000RT、9,000いいね、アカウントフォロワーは20,000を超えています。まるで、ゲームの中で彼女が配信を初めて数日経った頃のようです。
そして彼女についているリプライは、世界各国からの「配信時に視聴者が書いていたコメント」が多数を占めています。

もはやどこまでがゲームか?どこまでが現実か?そんな、よくある「メタ的」というレベルを超えた「現実感」を体験させられています。現在進行形で、それはどんどんリアルさを増していっています。

ゲームの中でのリアルさが、現実世界をどこまで浸食していくのか。
バーチャルの中でのリアルさだった存在が、急に現実に飛び出してきた状態に、嬉しさと同時に少しの怖さも感じます。

これから、超てんちゃんのアカウントがどのように動いていくのか。ゲームで体験した超てんちゃんへの愛着が、どんどん強くなってしまうことへ、ちょっとヒヤっとする怖さもありますが、きっと彼女への依存と怖いもの見たさでずっとチェックし続けるのだろうと思います。

尋常じゃない文章のリアルさの結果、現実世界の人物との相似・一致を体験させられ、異常なほどのキャラクター描写に完全にやられた本作。
自傷行為の描写やそれこそ薬物乱用、性的な行為をコンテンツとしているところから、決して万人に勧められるゲームではありません。人によっては、プレイ中に気分が悪くなる人もいると思います。

しかしそれはまさしく、そのリアルさが原因です。現実感の無いフィクションでは、そこまで感じることはありません。

ぜひ自身の体調や性格と相談し、問題ないと判断した方は、購入してプレイしてみてほしいゲームです。
精神的な不調がある方は控えたほうがいいと思いますし、どちらか判断がつかない方は実況動画などを確認し、自身に合うか合わないか判断してみてもいいのではないでしょうか。
私が拝見した実況動画は下記の皆様のものです。皆様面白いので本当におすすめです。

もこうさん - 彼氏待ちヘラ女を人気配信者に叩き上げる育成ゲーが面白すぎるwwww#1【NEEDY GIRL OVERDOSE】
息根とめるさん - インターネットに人生捧げてる女のつくり方。【NeedyGirlOverdose】
山神カルタさん - 【NEEDY GIRL OVERDOSE】きみしか勝たんт ̫ т🎀🤍❕【にじさんじ/山神カルタ】
レヴィ・エリファさん - 【NEEDY GIRL OVERDOSE】ボクの配信、見てくれるよネ???【にじさんじ/レヴィ・エリファ】
わいわいさん - メンヘラすぎる女Youtuberを、彼ピになって100万登録者の大物配信者にするゲームが話題【NEEDY GIRL OVERDOSE】#1
瀬戸 美夜子さん - 【 多分絶対好き 】NEEDY GIRL OVERDOSE
魔界ノりりむさん - 【NEEDY GIRL OVERDOSE】メンヘラな彼女に愛されたい【にじさんじ 魔界ノりりむ】
猫又おかゆさん - 【NEEDY GIRL OVERDOSE】メンヘラVS猫!?!?!【猫又おかゆ/ホロライブ】
釈迦さん - `back
鈴鹿詩子さん - 【NEEDY GIRL OVERDOSE】メンヘラの女の子に情緒をめちゃめちゃにしてもらえる予感がしたので…【鈴鹿詩子/にじさんじ】
アンジュ・カトリーナさん - メンヘラ地雷🐰配信者の彼ピになる。『NEEDY GIRL OVERDOSE』【にじさんじ/アンジュ・カトリーナ
郡道美玲さん - えっちなことができるメンヘラ配信者育成ゲームと聞いて。【NEEDY GIRL OVERDOSE/にじさんじ郡道美玲】
ニュイ・ソシエールさん - 【NEEDY GIRL OVERDOSE】俺、メンヘラ彼女のピ^^彼女をトップ配信者にしちゃうよ~~ん!【ニュイ・ソシエール /にじさんじ】
英リサさん - 【NEEDY GIRL OVERDOSE】俺がてんしちゃんを幸せにする【ぶいすぽっ!/英リサ】


NEEDY GIRL OVERDOSE、非常に衝撃というか、あめちゃんの依存を通して精神的な負担を感じたゲームでした。
そしてその分、全てのエンディングを体験したときの鳥肌と憑き物が取れたような感覚は、今後忘れることは無いと思います。
クリアした今は、ゲーム中で具体的な名前は出なかったもののあめちゃんが好きだと言っていた詩集を、読んでみようと思っています。

世界的に話題になっていることもあり、きっとこのNEEDY GIRL OVERDOSEのフォロワーのゲーム(似たような、配信者をモデルとしたゲーム)は今後多数出てくると思いますが、しかし私にとってはこのゲームがオリジナルです。
このゲーム、あめちゃん、超てんちゃんから得た感情を超えるものはないでしょう。


INTERNET OVERDOSEの歌詞が非常に的を射ています。

天使のようであり、悪魔のようでもあるNEEDY GIRL OVERDOSE、間違いなく神ゲー、神の如き作品であり、私の心に傷をつけた最高のゲームでした。

まるで天使のように微笑む
強めの幻覚 INTERNET GIRL
そして悪魔みたいにささやく
アナタだけのデパス NEEDY GIRL

Aiobahn feat. KOTOKO - INTERNET OVERDOSE (Official Music Video) [Theme for NEEDY GIRL OVERDOSE]
https://www.youtube.com/watch?v=BnkhBwzBqlQ


†昇天†

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