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『生誕100年 清宮質文 あの夕日の彼方へ』を観た(2018/1/16)

『人間が初めて自分の感情を知ったのは悲しみからでは無いだろうか。』という言葉も残している人々の悲しみと共にある画家、もとい表現方法に絵という方法をとっている詩人、もとい木版画家、清宮質文の生涯を辿る展覧会。

アジカンのゴッチも以前Instagramで清宮質文の画集を投稿していた気がする。

初期の油絵や、気持ちを色で表すには、絵に気持ちをダイレクトに込めるには何が良いかを模索し挑戦したガラス絵、モノタイプの作品も年代を追って展示されていた。

蝶々、蝋燭、花火、故郷、夕日、作品からは音を全く感じない、ただただ静かで、それでも不思議と冷たくも暖かくも感じ、世界から突き放されて閉塞した一人の空間で、この絵だけが私に寄り添ってくれている。そんな気持ちになった。
あどけなさを感じさせるような線だからこそ、心象風景の様にも感じるのだろうか。

『ながれ』という作品は遥か昔から何処かへ流されていく生命が脈打つ感じがコミカルに描かれていたけれど、歳を重ねる毎に知人の死や可愛がっていた猫の死を越えて彼岸を見つめている様な作品が増えていて、悲しみの向こう側には何があるか、を追求している様にも感じた。
作成する為に書いた作品の設計図には、何版は何色と何色の組み合わせにするか等文字できっちり書かれており、真面目さが伺えた。

大分言い回しの記憶が曖昧になってしまったけれどとても印象的だった手記があり、奥秩父で出会ったほの甘い香りを残して消えてしまったおばけのように、自分の作品も、突然人々の前に現れ、その瞬間だけはっと立ち止まらせるような存在になりたい。というような内容だった。

ひたすらに悲しみに寄り添った絵を作成する生涯をまっとうし、作品に願いをのせているからこそ、時代の垣根を越えて人々を立ち止まらせる力を持っているのだと思う。死してなお夢を叶えられるのだ。

場所:高崎市美術館
期間:2017年12月10日~2018年1月31日
入場料:600円

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