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書評 #95|スタジアムの神と悪魔 サッカー外伝 増補改訂版

 サッカーの歴史を駆け抜けた気がする。そして、そこには感情がほとばしる。喜怒哀楽。縦横無尽に感情を湛えることができるサッカー。勝利と敗北の幅の中に極めて重厚な感情の濃淡が存在する。

 サッカーは詩的でもある。官能的とも呼べるだろう。ウルグアイのモンテビデオに生まれたエドゥアルド・ガレアーノが紡ぐ言葉の数々は競技が内包する情熱的な美しさの象徴である。
 
「およそモラルというものについて、私はそのすべてをサッカーから学んだ」
「驚きを生み出す飽くことのない資質」
「サッカーは予測のつかないアート」
「サッカーとは時に、歓喜でありながら胸の痛む歓びをも意味し、死者までをも踊らせ舞い上がらせる類の勝利を寿ぐ楽の音でありつつ、勝利の調べのすぐ裏手には、空っぽのスタジアムに音高く鳴り響く沈黙が隣り合い、よく見るとそこにはどこぞの敗者がたったひとり、身動きもままならず、誰もいない広大な階段席のただ中にぽつねんと、放心したまま座り込んでいるからである」
 
これらの表現は僕の気持ちに隙間がないほど合致する。そして、言葉に帯びる異国情緒は世界中を旅したような気分をももたらす。特別であり、日常的でもある。地中奥深くに根を張るかのごとき普遍性。それがサッカーではないか。

 商業を優先するがあまり、損なわれた芸術性にも繰り返し言及する。数多くの広告を背負うチームや選手たちを「奴隷制時代を想起させる労務体制」と批判。それは目新しいことではなく、世界中の日常と化している。それによって競技の魅力が失われているようには思えないが、同時に魔法や幻想、豊かな即興性がサッカーと共存した時代への憧憬も感じてやまない。


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