豚こまのたとえ

時々今でも大学の演習のことを思い出す。

講読の演習の時間に、たとえば誰かがある語句の意味がわからなくて訳を作ってこられなかったとする。
これ自体はよくあることで、日々挑む文章には手持ちの小さな辞書に載っていない単語が出現することなどはざらにあるので、まぁ仕方がないといえば仕方がない。
そのようなときに、訳ができなかった旨を述べることになるのだが、最も先生が嫌うのが、
「辞書に載ってませんでした」
と言うことである。

とくに学部生からこのような言葉が出てこないか院生はヒヤヒヤする。演習の準備も先輩に聞いたりしないで一人で急ごしらえでやろうとするとこうなる。こういう言葉が出てきてしまうのは、学部生に目配りできていない院生のせいなので、本当に心臓に悪い。

それはさておき、この言葉を聞くと先生は俄然眼光鋭くなって、何を参考にしたのかを尋ねる。
学生は、一般の辞書を答える。大抵は、手持ちの一種類である。電子辞書のこともある。
すると、先生は決まって
「君、それは、魚屋に行って豚こまくださいって言うようなもんや。あるわけない」
とおっしゃる。そして、誰かわかる人、と言う流れになり、院生が代わりに答えるのが通例である。

辞書には様々な種類があり、それぞれ別の用途があることを知ること。
ものを尋ねるなら、それにふさわしい相手に尋ねること。
見当違いな相手に聞いて答えを得られなかったとき、相手のせいにしないこと。
語句がみつからないからと言って、すぐに諦めてしまわずに、いろいろな方向から考えて考えて、手を尽くすこと。
すぐできることをしないで、理解しようとする努力もしないで、相手に向き合っているとは言わないこと。

そんなような、いろいろな意味が込められた「豚こまのたとえ」を、私はずっと、心に留めている。
文学部なのでここでの相手はテクストなのだけれど、人でも仕事でもなんだって当てはまる。

ぱっとGoogleで検索して出てこなかっただけでこの世に存在しないものだと勘違いしがちな人に、さらっと触れて何かをわかった気になりがちな人に、文学部は役に立たないとか言ってしまいがちな人に、広まってほしい教えである。

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