サタンタンゴは水風呂

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サタンタンゴを経験した。なんせ7時間18分もある映画だ。もちろん興味があって3900円も払ってチケットを買ったわけだが、全編約150カットという驚異的な長回しとの対峙は少し怖く、全然魅力を理解できないかもしれないとの不安が大きかった。サタンタンゴを見た側の人間になれる、ぐらいでもいいかなという低めのモチベーションでいざ鑑賞したのだが、これは!

めちゃくちゃ面白い!!

作品中に漂う死の気配、秋雨の匂い、葉が落ちた木々。
経済的に行き詰まったハンガリーの田舎町の壊れた人間関係の息苦しさ、希望の見えない重苦しさ。この終末的な世界を中心に描かれるキャラクターは誰もが歪んだ性格や不条理を抱えながら相互に影響を及ぼし合う。

7時間超の大長編と言っても12章に区切られていて連作短編集のような趣。
あらすじはそこそこに私がどういう体験をしていたかを記すと、

1章 やつらがやって来るという知らせ

ではなるほど、なんだこの死の気配!そして秋雨!
これは村上春樹『ノルウェイの森』の有名な一節

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

というのを映像で体現してしまっているではないかとテンションが上がる。死の気配に纏われながらも生きていかなければならないということはつまり、泥の上を歩かなければならない、あるいは秋雨に打たれながらも歩き続けなければならない、というのがサタンタンゴ作品世界の表現なのであろう。フレームアウトするまで延々と登場人物が歩いている画をカットも割らずに写し続けるのは彼らの生きている姿を丹念に描きますよという宣言だ。

2章 我々は復活する

あれ、こいつイリミアーシュなのと少し混乱する。サタンタンゴは時間の流れが一直線に進むわけではないことを理解する。そして警視が「秩序と自由」という対立軸で正義感や責任感を語る。おそらく村の人間には秩序も自由も十分にはないんだろうなということを知る。そしてイリミアーシュたちが道を歩くのも延々と写し続ける。

3章 何かを知ること

ここで私の脳が開き始める。私が毎日日記を書いている時と同じようにノートに下手な字でゆっくりと、”先生”は窓の外に見える情景を描写する。酒を飲みながら窓の外を眺めている。私の将来の姿のように思える。先生は高齢なのだが手伝いに来てくれた近所の人を邪険に扱ってしまうし、トイレにいくのも一苦労。先生がんばれーと応援していくうちに、遂にサタンタンゴと生理を一致させることに成功する。カメラがこっちに動いていくなとかそろそろカット変わるなとかがわかるようになってくる。一切違和感なく現実のようにスクリーンで起きていることを目撃していく。先生は倒れ、しかし立ち上がり、空になってしまった酒を買いに行く。雨宿りしタバコを吸い夜道を歩いてやっと着いた酒場から漏れる白い灯を雨を含んだ地面が反射しているのがとても綺麗。水たまりの綺麗な反射ではなく泥のぼんやりとした光の反射がとても良い。これは35mmフィルム上映で見ることができたよかった画だった。酒場の前で少女に呼び止められ、逃げる少女を追う先生は息切れてその場に倒れる。翌朝助けられ、ここで最初のインターミッション。

4章 蜘蛛の仕事 その1

インターミッションの間にファミチキを食べたとて、サタンタンゴとの生理はまだ完全に一致している。このコート最初は柔らかかったんだ!今はこんなに硬い!だの俺の酒だ俺の酒だ!何この匂い!さっきはなかった!だの、皆が皆不満を限界まで抱えていることが判明する。感情が痛いほどわかる。現実でこういう気まずい、居心地の悪い思いをしたことはあるのに、映画でそれをここまで思い起こされたことはない。とにかく感情がかき乱される。

5章 綻びる

ああ、絶対お兄ちゃんに騙されてるよそれ、と少女を可哀想と思ったらその少女は猫を虐待し始める。普段ならフィクションでもそんな描写見てられないやめて〜となる私の心は今完全にサタンタンゴとシンクロしているので、そんな事は気にならず、猫よ、お前まで私を馬鹿にする気かと少女の心情、に寄り添ったまま映画世界に浸る。結局毒殺してしまった猫を抱えながらお兄ちゃんにはやはり騙されていたことがわかりずぶ濡れで位夜道を彷徨う。少女の世界を恨む気持ちと自分にまで失望する気持ちに共感し泣き顔で映画を観る。窓の外から、酒場で踊り回る大人たちを見るショットが素晴らしくここ長いこと見せてくれ!と思ったらそれに応えて全然カットが変わらなかった。生理があいすぎていてもはや私が編集をコントロールしているような錯覚に陥る。少女は酒場の前にやってきた先生に声をかけるも逃げ出す。先生側の視点では迷惑な少女だったのが、少女の大変な1日を知っている私は少女の行動に何一つ批判できる点がないことに気づく。歩き続けて辿り着いた廃墟で、抱え続けた猫を先程殺したのと同じ毒を飲み、少女は横になる。不安になる理由はない。天使が迎えに来るのがわかった。

6章 蜘蛛の仕事 その2(悪魔のオッパイ 悪魔のタンゴ)

酒場では酔った大人が持論を語ったり激昂したり。
やがて皆酔っ払って踊り狂う。これが40分以上はひたすらグダグダの様子を見させられたのだがもう楽しくて仕方がない。私もサタンタンゴに酔っているからだ。チーズロールを頭に乗せて踊らずバランスを取り続けているおじさんがいるのだが、そのチーズロールがいつの間にか90°動いていたりしてもうお腹が痛い。あとおっぱいがとても大きいノーブラのおばさんがブルンブルンおっぱいを揺らして、一緒に踊っている男がちらちら顔と胸を交互に目線を動かし続けているのもおもしろい。やっと踊りが終わったと思ったら、「タンゴはいかが」とまた踊り狂う。悪魔のタンゴ、サタンタンゴだ。「俺の人生はタンゴだ!母親は海で、父親は大地で…」と酔うと同じ事しか言わなくなるおじさんがタンゴと言うより地団駄を踏むような動きをしながら大きい声を張り上げ続け、その前のダンスで疲れた人は端で寝て、先ほどおじさんが頭に乗せてたチーズロールは別の男女にポッキーゲームの要領で両端から食べられている。トリップ状態なので腹が痛くなるほど楽しい。

もちろん7章以降も楽しんだが、全編ネタバレを書いてしまうことになりそうなのでキリの良い6章までにしておく。想像以上に楽しんだ私のサタンタンゴの鑑賞方法は、サタンタンゴに生理を合わせると言う方法だった。
これが上手くいくと脳の細胞が全てパーンと開いてサタンタンゴにシンクロすることができ登場人物の感情がダイレクトに伝わって没入して楽しめる。いわば銭湯やサウナで水風呂に使った時のキマリ方が何時間も続く状態だ。サタンタンゴ、本当にヤバイ、アブナイ鑑賞体験だったと思う。


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