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ヒロインズ 〈ケイト・ザンブレノ〉 感想

ケイト・ザンブレノ著「ヒロインズ 」はレビューが難しい作品です。

本作のメインテーマは、モダニズム〜現代のミューズ(実在した芸術家を精神的に支える女性達)が虐げられてきた芸術家であると云う主張です。そして、メインテーマとして見過ごされがちになるものとして「私は小説家だ、私は書く事でやっと生きて行ける人間だ」と云うものがあります。後者は私達、日常的に書く人間には共通の事かと思われます。

そして、これはエッセイと云う姿で主張されるのではなく、著者の日常を私小説としたモノと重ね合わさった物語として語られ、レビューとブログと小説とが混然一体になっているのです。判断が難しいのは当然かと思われます。

また、通り一辺倒な、物語の物理学に反抗したい書き手に推薦出来る現代の小説だと感じます。

私はこのスタイルの確立を支持します。思えば、文芸と云うものは現実を批判したり皮肉を述べたり出来る場所でした。作品が人物相関関係図がなければ読めない、大古典である必要はないのです。

本作では古典を〈キャノン〉と揶揄しています。〈キャノン〉それは男性の自己顕示欲の様に膨れ上がった、大古典への憧れと誇大妄想、と云うニュアンスでしょうか。

本作を語るには、作中に書かれているレビュー、批評に触れない訳には行きません。作中で取りあげられているのは、ゼルダ・フィッツジェラルド、ヴィヴィアン・エリオット、ヴァージニア・ウルフ、ジーン・リース、ジェイン・ボウルズ等から本当は芸術家になりたい女達、と云う要素を抽出し作者自身の投影をなして行きます。《V.ウルフは古典作家ですが、彼女の制限された創作時間などを含めて述べられています》

《問題は、フィッツジェラルド、エリオットなどに触れていない読者が共感しづらい点ですが、致し方がない事とさせて頂きます》

尤も、槍玉に上げられるのは、スコット・フィッツジェラルド、T.S.エリオットです。

スコットは、フラッパーであったゼルダをファム・ファタールに仕立て上げ、幾つもの小説を書き、彼女の口調をサンプリングしました。〈チャネリング〉と作中で述べられていますが、古代における巫女の様な役割をフラッパーにやらせる、これがフィッツジェラルド文学の中心であったと、筆者は主張し論を伸ばしています。

トマスは、妻ヴィヴィアンの言葉を応用しています。「荒地」に大きな影響を与えたエズラ・パウンドはイェイツの秘書を勤めていて、イェイツはオカルティズムに傾倒し、チャネリングに近い手法を行なっていたと言われています。エリオットは、ヴィヴィアンだけでなく、様々なパロディを「荒地」の中で行なっています。

両者の共通点は、精神疾患を持つ妻から、搾取して、黙らせた事です。ゼルダは出版していますが、夫によって激しく批判され、評価を落としています。

シュールレアリズムのアンドレ・ブルトンもこれに近しい手法を用いていました。

「これは略奪ではないのか?」まあ、当然の主張です。サンプリングアートではなく、コラージュとも違います。霊媒となる女達、降霊術師本人は著作を残せないのです。故に、残させないと云う雰囲気作りこそが古典作品には不可欠な要素だった、と著者ケイトは主張しています。この証拠隠滅のための、〈キャノン側〉の努力はかなりなされている様であります。

モダン〜ポストモダンにあった、大古典への憧れ、誇大妄想は芸術分野全体にあり、女性を物語のガジェットにしてしまう傾向は現代にもあります。これに著者は「否!」と申し立てをしているのです。

そして、取り憑かれた様に書く文体、それ自体を提出し、「私達がヒロインだ」と云っている様に思われます。

本作で重要なのは、小説特有の〈カタルシス〉がない小説であると云う点です。完結感と云うものを〈キャノン〉と批判している訳ですから、別の手段で娯楽を完成させなければならなかった、いや、そうしたかったのだと思われます。これは、成功していると、私は、思います。私はカタルシスのある物語に常に疑問を感じていました。〈落ち〉がない事は今や日常的に会話から除外されている気が致します。ですが、〈落ち〉がない事に娯楽がないかと云われると、取り止めのない話もそれはそれで面白いのでは?と感じてしまうのです。

一方、売れる売れないの実利的な視線から見れば、時代的に売れないモノの肯定は難しく、カタルシスや完結感の需要は未だに、物語にとって、大きな要素であります。

私は、此処にゴシップ文学と云う可能性を感じます。取り留めもなく思い、取り留めもなく話し、落ちがないまま終わる、私はそう云う文章も好きです。プロットでガッチガチの配役やセリフ回し、それでは現実の味わいが薄れてしまいます。

フィクションに登場する、貧困や差別、障害、病は何処か的外れで、置き物の様に他人事です。作中に登場する疫病、貧しさゆえの殺人、過労、其処には落とし所のない、出口のない地獄がある筈です。ですが、たとえば今、現在、実際に出口がない現状に居る私達がそれを楽しめるのか、疑問があります。《私達はそれを生きるテーマとして語るのか、それをネタにして語るのか考える必要があるのではないでしょうか?》

実は、本著に付いては様々な感覚があります。例えばフェミニズムは切れないテーマでしょう。しかし、これに付いて述べるのはより複雑さを増します。

しいてあげるなら、V・ウルフが主張した「アウトサイダーのやり方」にアンサーした数少ない小説だと思います。〈「3ギニー」より〉

「ヒロインズ 」は物語の多様化には欠かせない一石を投じた作品であると私は感じました。

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