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街に関わるということ

 普段のnoteではなんか本のこととか音楽のこととか、自分の考えみたいなことを書いてるけど普段の僕はまちづくりに関わる大学生的な存在なのでございます(そういう学部)まぁ、教職課程も取っているからそっち系についても学んでるんだけれど…

 まぁ、そんなこんなでまちに出ていく機会も他の人よりかは多いし、まちで実際に活動をする機会なんかもあるわけで、実際この前(と言っても一ヶ月くらい前なんだけど)あるところで子ども向けの街歩きイベントをやりました。まぁ反響は上々といったところでまた1月にもやるので、今はその準備が大変だなぁと思ったりしています。

 さて、僕らは街に住んでいます。街という定義は難しいので単純に人が密集あるいは集住している地域というのが都市、街であると言っても良いでしょう。となると我々一人ひとりは都市を構成する一要素であり、また都市を作る主体になります。つまり都市はそこに住む人によって運営されるべきで、実際に役所を中心に都市はそこに住む人によって運営されています。
 では、僕らみたいな存在は何なんでしょうか??そこに住んでいるわけでもないし、そもそもまちづくりに専門家なんてなくて、色んな人がまちづくりという共通の目的で集まったそのコミュニティそのものが偶像として、まちづくりの専門家になっていくわけです。
 だとしても僕らみたいな存在は都市に興味を持ち、主体的に都市に関わって行きたいと思っています。それがいわゆるアーバニストなんですけど、でもやっぱりアーバニストになるためにアーバニストになるというのは都市の可能性を狭めるのではないかと最近思い始めているのです。
 でも、じゃあ代わりに何をすべきなんだろうと思う自分もいるわけで…

 ということを考えながら、イベントをやっていたんですが、イベントの中で分かることもありました。いや、これは夏休みに行ったフィールドワークから気付いていたかもしれません。
 僕らみたいな存在は、つまりまちづくりのために都市を学ぶ人たちは一番都市そのものの魅力を知っている、そこに住む人たちには当たり前過ぎることを知ることができる。そしてそれを街の人達に伝えることができ、そうして僕らは彼らの背中を押すことができるのではないのでしょうか。そんなお手伝いが僕らにはできるのではないでしょうか、だからこそ僕らは常に身軽にいることも重要なのではないでしょうか。
 僕らはまちづくりを学びながら、本当の意味でのまちづくりの主体にはなれません。正確に言うと自分にそこまでの影響力はないし、一人では何もできない、そして自分の住む街の一要素にしかなれくて、なんならまちづくりのためにまちづくりを学んでいるから一番かしこまった回答しかできないし、まちづくりをしたくてもそこに住む人が望んでいるかどうかすら分からない。という意味でまちづくりの主体にはなれません。
 でもだからこそ都市と人を繋ぐ紐にはなれます。多様な人を当たり前に存在して、多くの人には見えていないある種形骸的な都市と結びつけ、都市を彼らのものにするお手伝いができます。そのために手を変え品を変えて活動をしているわけです。

 都市には様々な人がいます。動画編集できる人、数学が好きな人、建築系の資格を持っている人、政治学を学ぶゼミ生、教師志望の人、まちづくりを学ぶ学生ですらこんな多様性があるので、街に住む人にはもっと多様性があります。僕はそんな人たちにただ単に自分とその周りだけの社会で生きてほしくはないと思っています。もっと周りを見渡せば面白い人もつまらない人もたくさんいて、そんな自分と彼らが街そのものを作っていて、自分がそんな街の一部であることを知ってほしい。そして願わくば街を自分のアイデンティにしてほしい。確かに故郷とか住んでいる街は特別かもしれない、けどもっと特別にしてほしい。他に代わりのないものにしてほしい。かく言う僕も自分の住んでいる街に本当に関われているわけではないので、反省すべきですが、まぁ僕も含めもっと主体的に都市に関わって行ってほしいなと思うわけです。

  僕ももう3年生の後半なので進路を決める時期ですが、願わくばそんな多様な人たちに都市を知ってもらい、また都市に関わる面白さを知ってもらうような活動ができたらなと夢想しています。まぁ、お金もないし、人脈もないから難しいかもしれないけどいつか出来たら嬉しいな

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