ヨーゼフK
イキるな!!!
エッセイ的な奴、勝手に読んで
なんか小説的な奴、なんでここで書いた?
無記名読書感想文やっています 毎週日曜OR月曜更新予定(なんとなく無期限休止中) 基本的には読書感想文ですが、もしかしたら音楽やら映画のレビューをやり始めたりして… *ヘッダーは今のところなしですが、いずれ付きます
初めましてと言いたいですが、初めてじゃない可能性もあるので、初めましてとは言いません。 本当はアメブロとかそうゆうのでもやろうかと思ってたけど、どうやってやればいいか分からなかったので使ったこともあるnoteを使うことにしました。しがない日常を文章にでもしようと思います。 文章を書くことは好きなので。 では
白髪を抜く行為と言うのはすなわちお店を潰すようなもので、ビックブラザーのように顔のない、意思があるようでない指が勝手に動き、ぶちっという音を立てて僕という商店街から債券不良で消えていく そう言えば、爪を切るという行為もそれに近いなと思う。出る杭は打たれると言うけど、伸びた爪は猫だろうが、人間だろうが切られていく。 いやあれは死んだ指の皮の行く末らしいので、どちらかと言うと役立たずがリストラされていく感じに近いのかな、路頭に迷ってゴミ箱という墓場に落ちていってハッピーエ
この言葉は、高野悦子という人の「二十歳の原点」という本の中の一節だ。二十歳の時にあるユーチューバーが紹介していたのを見た僕は、すぐに電子書籍で買って読んだことを覚えている。そして、その中でもこの言葉に僕は強く惹かれた。以来、僕はこの言葉を胸に強くしまって生きている。 それなのに、何時まで経っても僕はこれほどの自己愛を手にすることができない。自己愛をこの手に掴むというのはそれほど簡単なことではないのだ。殴られる前に殴ってしまう単純な自己愛ならば、きっと僕の手にあるのだろう
小学生の時、友人だと思っていた人が不登校になった。理由は分からなかった。後からどうやら父親が自殺したらしいというのを風の噂で聞いた。 僕は彼女を友達だと思っていた。でも、僕は事情を何も知らされなかったし(先生が教えてくれるわけでは当然ないのだが)、僕も何か行動するわけではなかった。それを詮索できるほど僕は図太くはなかった。 僕は彼女の事を友人だと思っていたから、何もできない自分は無力だなと一丁前に思っていた。だが、彼女にとっての僕はきっと広義の意味での友達だったかもし
ドンドンドン、壁が何度か叩かれる。 友人が「運命みたいやなぁ」と言うけれど 私の顔は少しだけ青ざめて、口から吐き出したのは言葉ではなく泡だった。 それを見た友人は「何にそんなビビってんねん、私ら何も悪いことしてへんねんで、日曜日のお昼間に楽しんで何が悪いねん」とわざわざ壁の近くまで近づいて、まるでオペラ歌手のように響く声で叫ぶので、相槌を打つかのように、壁がドンと叩かれる。 「だいたいなぁ、あんたはビビりすぎやねん。この前かって、パソコンの電源ブチ切ってしまったってあたふた
ずっと、独りで生きていきたいと思っていた。僕の家には居場所がないと思っていた。 子どもの頃、家で遊んでいるといつも父親に「いつまでここにいるんだ。さっさと外に行け」と言われた。僕は急に怒鳴られ、少し涙目でアスファルトに覆われた道を項垂れながらとぼとぼと歩いていたのを覚えている。だから、きっと、そんなことを言われ始めてから僕は家にいるのがと言うよりも、家族と顔を合わせるのが少しづつ辛いと思い始めていた。 思えば、反抗期の始まりもそれくらいの頃だと思う。まぁ、逃げるように
僕は、映画で感動する人が苦手だ。音楽に救われたという人が苦手だ。それは僕自身がそうでないと言っているわけではなくて、そうやって吹聴する人が、僕は苦手だ。 YouTubeのコメント欄、SNSのトレンド、そして喫茶店での会話。至る所に彼らは現れる。 「この曲を聴いて救われました」 そんな言葉を見聞きするたびに「軽薄だ」と思ってしまう賤しい僕。 画面の向こうの、内奥を覆うしたり顔を想像してしまう浅慮な僕。 そして、そんなことを言っている癖に、自分の好きなものを大
天気っていうのは不思議で、目に見えない不連続線を跨ぐだけで気温も気候も変わる。だから、人生というのもきっとそういうものなんだろうなって思った。 でも、たまに見える不連続線もあって、それを人は節目って言ったりする。若しくは通過儀礼、イニシエーション。僕はその途中にある。そうした周りの目だったり、内発的な思いが僕の中に渦巻いている。社会に出るからかもしれないし、大人にならないといけない時期なのかもしれない。 それでも、何かを、僕が歩んできた道のりを忘れたくない。不連続線の向こ
どこまで行っても、不在感があった。目の前の建物も、自宅と呼ばれた建物も、道路も何もかも、目の前の風景が自分の手の届かない所にあって、僕は「コンクリートジャングルに捕まった人間」になったみたいな感覚。 僕の知らないところで、何もかも進み、風景もまた変わっていく。あそこにあった本屋も、ドラッグストアに変わっているのに、僕らの生活は何も変わらない。利便性の裏に隠れた、不在感。 食べ物だってそうだ。スーパーに並ぶ食材たちは産地が記載されているのに、どこから来たのかは分からない
月の光に濡れた岩に 覆いかぶさる苔の緑 太陽の灯りに濡らされた 葉っぱもすでに乾いているのに あの岩はまだ湿って冷たい 僕は仕方がないという顔をして、岩に座る 雲が月を隠すと、虹色の円がぼやけて見える 街灯はない。ここには 暗い暗い場所。時間は午後9時 目の前の家から訥々とした話し声のように優しい光がカーテンの隙間を縫って外に漏れ出している。 僕はスマートフォンの画面を見る。突然現れた、目が潰れそうになるほどのブルーライトに目を背け、目が慣れるまであの家を見る。少しだけ点
大学4年生にもなると、普通の学生であれば単位も取りきって暇なわけで、おまけに僕はそうそうに就活にも終止符を打っていたので、特にやることなくて、いろんな場所に飛び込むということを意識してこの半年を過ごしてきた。が、夏休み。予定はあれど、今は暇。じゃあ久しぶりにnote書くかと思ったけど、今度は書くことがない。いやあるんだろうけど、考えるのもめんどくさい。きっとあの日差しのせい。 あ そうだ ねぇ… 最近暑くね??…..……END
水面を 眺め空見て 気付く水馬
遊覧船がユートピアに座礁する 乗客は浜辺に打ち上げられ 砂の体をしたダイヤたちが、彼らの頬に切り傷を 僕の目が覚めたのは、乗客たちの享楽と喧騒の最中 ポケットいっぱいに砂を詰めるもの 買い物袋に砂を詰めるもの 僕はそれを横目に浜辺を歩く 「ここは一体どこなんだ」 ここはユートピア、現世に所在をなくした場所 金銀の壁が遊覧船を破壊するから 僕らは帰り道を失った 僕らは実在を失った それでも彼らは砂を詰める ポケットに、買い物袋に、その口腔に
どこに所在があるのかが分からない、男の頭の中はそれで埋め尽くされているのに、身体はまるで命令を聞くことしかできない機械のように無意識に雪を掻き分け進んでいる。 木々は魔女のように高笑いし、軟らかい雪は時に弾丸のように彼を襲う。まるでミツバチに相対するスズメバチのような、そんな気持ちを男は抱えているのだろう。少し険しい表情をしながら男はどんどんと山の奥、奥へと進んでいった。 ふと男は振り返る、そこには大きな轍がある。彼の進んできた道だ。獣道のようにそれは雪をなぎ倒し出
最近、緊急事態条項について密やかに話題になっている。別にこのことについて書きたい訳では無いから安心してほしい、けどこの話を聞いたとき僕はふと緊急事態ってなんなんだろう?エマージェンシーって?と思った。 僕は2001年に生まれた21歳なので、当然太平洋戦争、学生闘争(関東連合)は勿論、地下鉄サリン事件も同年に起きた阪神淡路大震災についても知らない。村上春樹がよく話題にしてるこの2つだけど、最果タヒさんが経験したこの大震災も、僕にとっては日本のヒストリーの一つだ。日本現代史
道草を食う 山羊が路頭に迷う ランタンの灯りを頼りに歩く猿 車道に飛び出す鹿の群れは皆一様に左の前足がない 僕は背の高いトウモロコシ畑を歩く 葉が頬に当たって痛いけれど 傷付いても進んでいる 足元を駆け抜ける青蛇 頭上を通り抜けるてんとう虫 トウモロコシ畑を抜けると崖がある まるでナイアガラの滝みたいに人が落ちる崖 人肉を漁る鷹 それを取り囲むように寝ているのは顔もない人 畑の電気柵に突っ込む猪 心臓が止まった鼠を咥えた猫は 犬に吠えられ 人間にその背を撫でさせる 僕は