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遠近法の彼方にあったのは

 ずっと、独りで生きていきたいと思っていた。僕の家には居場所がないと思っていた。

 子どもの頃、家で遊んでいるといつも父親に「いつまでここにいるんだ。さっさと外に行け」と言われた。僕は急に怒鳴られ、少し涙目でアスファルトに覆われた道を項垂れながらとぼとぼと歩いていたのを覚えている。だから、きっと、そんなことを言われ始めてから僕は家にいるのがと言うよりも、家族と顔を合わせるのが少しづつ辛いと思い始めていた。
 思えば、反抗期の始まりもそれくらいの頃だと思う。まぁ、逃げるように僕はサッカーに打ち込んでいたので、家にいる時間も物理的にどんどんと減ってはいたのだが。
 ともかくそんな僕だったので、高校も大学も自分で決めた。親は即時的な文句と言うか、小言を言う人ではあったが、そもそも僕の決断にあまり反対する人ではなかった。きっと面倒くさがりだったからだろう。そのことを当時の僕は彼らは僕に興味のない人だからと決めつけていた。

 そうして僕は少し偏差値の低い高校に入り、案の定受験には失敗したので滑り止めの滑り止めの大学へと進学した。が、コロナウイルスの影響もあって、オンライン授業だった。僕は大学卒業と同時に姉の部屋が明け渡されて、晴れて自分の部屋を持ったのであまり苦ではなかった。(なぜか高校の時にはすでに姉は結婚していて、家に居なかったのに僕は「お姉ちゃんが帰ってくる場所がなくなるでしょう」という理由で大学になるまで自室を与えられなかった)
 外では梅の花が舞い散り、過疎化が進み高齢者ドライバーのゆったりとした運転がカーテンの隙間から垣間見えた。そんな景色を横目に僕は毎日、PCの画面に向き合って、適当に言葉を打ち込み、本を読む生活を送っていた。
 ただ、そうした生活の中で僕は道尾秀介という作家に出会い、ミステリーにはまっていき、そこで「鏡の花」という短編小説集の中の一篇、「やさしい風のみち」という短編小説に出会うことになる。

 「やさしい風のみち」という話は、簡単に言えば死んだ姉の幽霊とともに、昔の家を見に行くという話だった。そして主人公は子ども部屋の部屋を確認する。一つしかなかった子ども部屋を見て、確信するわけだ。「僕は姉の代わりに過ぎない」と。だから僕は外でめったに遊ばないし、大声も出さない。たしか、その後(道尾秀介にしては)心暖かいような結末だった気がするが、僕は覚えていない。途中で本を閉じたような気もする。
 と言うのもこの短編を読んだ瞬間、これは僕の話だ。と僕は思ったからだ。そしてふと思い出す。父が長男で、父も母も、僕の友達の親よりも一回りも二回りも高齢だということ、お祖母ちゃんは出会う度に良い人と出会って、結婚してという話を僕にし、姉が子どもを産むと「でも、苗字が違うから」と溢し、重度の自閉症患者であり、僕の唯一の従兄に「まともなら」と言って、僕の方をチラリと見る事。そして、なぜか僕には部屋がなく、姉にはそれなりに大きな部屋が、電子ピアノ付きで、クローゼットも子ども用の机も割り与えられていたこと。僕には野ざらしの(一応、家の中ではあったが)学習机一つだけが、お前の居場所だと言わんばかりに設置されていたこと。僕の心にうっすらとあった、けれど見ないふりをしていたものにスポットライトが当たった感覚がした。
 それから、僕は成人を迎えたというのもあって、ほとんど両親と顔を会わせないように生活をし始めた。(母親とはどうしてもそれが出来なかったけど、父親とは本当に半年に一回、一言二言話すだけの関係になった)

 僕は父と母を恨んでいた訳ではない。けど、自分の存在が迷惑な存在なのではないかと思った。たぶん、僕と同じような感覚を持っていたのか知らないけれど、姉も高校に入ると家にあまりいなくなり、さっさと結婚して出ていった。僕とも連絡はほとんど取らない。まぁ、子どもが生まれてからはたまに帰ってきているところを見るので、僕ほど避けているわけではないのだろうけど。
 
 でも、最近よく分からなくなってきた。相変わらずいろいろと僕に対して過度な接触はしないし(ありがたいことに)、面倒くさそうなのも変わりない。僕のすることにいちいち口出しもしない。と言うか何も考えていないのだろうから2秒で返事が返ってきてそれっきり。いつも通り。

 もともとそうであったように、お祖母ちゃんが僕に言うような結婚というか、そう言うことに関して、親は言わない。姉がいるからかもしれないがそういうことを僕に背負わなくてもいいようにしている感じだ。親は自営業だって言うのに、仕事の話はいつもしないし、聞いてもはぐらかされてきた。それもいつも通り、空虚な優しさ、他人行儀。

 なのに、言葉の端々から、僕への接し方が昔よりも丸みを帯びているというか、淡いヴェールを纏っているように感じる。いつもなら気にしない沈黙も、最近は気まずさのヴェールを隠さないようになった。僕が会社に通うために家を出ていくことになったからか、もともとそうだったのかは分からない。だけど、僕が恐れていた人はもういないのかもしれないと、最近の親を見ていると思う。

 だからこそ、僕は思うのだ。本当は言い訳をして逃げていたのは僕なんじゃないかと。確かに、とても良い父親ではなかったかもしれない。周りの親とはあまりに違い過ぎたのかもしれない。僕は周りの親を羨ましいと思っていた。けど、僕の親だってそうだったんじゃないか。
 父は、きっといろいろあったのだろうと思うし、母も色々あったんだろうと思う。そう思わせる何かは、こまごまとした瞬間をきっと僕は見ている。それでも、嫌だからこそ、僕は本当は逃げるべきではなく、向き合うべきだったんじゃないかと。
 そして、きっと知るべきだったんだ。父は変わったのではなくて、(まぁ、きっと変わった一面もあるのだろうが)僕が決めつけていたのだと、彼のせいで溝が広がったのではなくて、僕のほうが溝を拡げていたんだと。

 ドアーズの名曲に「ピープル・アー・ストレンジ」(邦題は「まぼろしの世界」)がある。晴れて、もしくは惜しまれながら27クラブの一員となったジム・モリソンはこの曲の中で「people are strange when you're a stranger」と言っている。要するに「周りが奇妙に見える時、お前が変人なのだ」と。
 僕らは世界を見たいように見て、自分の事を顧みないまま世界をまるで自分が神になったかのように確定させていく。量子論を言い訳にして、あるいは相対性理論を言い訳にして、他人をものとして、自身の物語の道具として扱おうとする。きっと僕もそうだ。そうだった。

 だから、僕らは日々のあれこれを見逃していく。狭い世界に閉じこもったまま、広い世界の事を渇望し、一番身近な手掛かりを蔑ろにする。それを人は”矛盾”と言う。

 まぁ、要するにだが、僕が言いたいのは思い込みは良くないという単純なことかもしれないし、あるいは目の前の事象のみを切りとって、断片的な情報、つまりおもちゃの入っていないチョコエッグだけで物事を判断してはいけないという訓示的なものかもしれないし、あるいは一方的に親を避けてしまった、しかもそれを、本当は僕はそういうしがらみが欲しかったのに、それを得られない理由を父親の、母親の怠惰だと思い込んでしまっていたという悔悛なのかもしれない。 
 何れにしろ、僕は見誤っていたのだろう。きっと僕自身に魔法をかけたのは僕自身で、遠近法の彼方ばかりを見ていた。しかしそれは間違いだったと、思う。本格的に親から、精神的にも、物理的にも離れたことでそれが分かったような気がする。

 幼い頃、本当に幼かった頃、父親とよくトランプをした。決まってポーカーをしていた。負けず嫌いの僕は自分が勝つまで、勝負をせがんだ。父親はいつもの面倒くさそうな顔でシャッフルを始める。僕はその手をしっかりと見つめていた。
 いつからか、そうしたことはやらなくなり、僕はCDラジカセから出てくる音に夢中になっていく。母親に買ってもらった1000円の安いラジカセを掴み、ボタンを押す。トランプをしていたことなど、遠くに忘れていく。

 急に、昔を思い出し、懐かしくなる。そして父親との距離を測ろうとする。その頃にはもう遅いと気づいていたのに

 
 きっと、遠近法の彼方にあったのは愛とかそう言う単純なものじゃなかったんだと僕は思う。それは海のように凪いだり、荒れたりするけれど、僕らを包み込んでくれる青だった。この文章を書いていると、不思議とそう思うようになった。


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