雨は流れて海へ
小学生の時、友人だと思っていた人が不登校になった。理由は分からなかった。後からどうやら父親が自殺したらしいというのを風の噂で聞いた。
僕は彼女を友達だと思っていた。でも、僕は事情を何も知らされなかったし(先生が教えてくれるわけでは当然ないのだが)、僕も何か行動するわけではなかった。それを詮索できるほど僕は図太くはなかった。
僕は彼女の事を友人だと思っていたから、何もできない自分は無力だなと一丁前に思っていた。だが、彼女にとっての僕はきっと広義の意味での友達だったかもしれない。ともかく彼女の輪の中に僕という存在はいなかった。だからこそ、恐らく僕の助けは必要ないというわけでは必ずしもなかったかもしれないが、期待はしていなかったのだろうと思う。
それから彼女は転校し、一切会っていない。一度だけ、別の友人から少し元気になったらしいということを中学生の時に聞いた。その頃、僕は彼女の事を忘れかけていた。
ふと、そんな昔のことを思い出した。きっとカレーを作りながら見ていた「やがて海へと届く」という映画のせいだろう。
「私達には世界の片側しか見えていないと思うんだよね」
浜辺美波演じるすみれは劇中、こんな台詞を残す。映画の流れ的に、きっと主人公、真奈(岸井ゆきな)とすみれはお互いに別の姿を見ているというようなことを示唆しているのだろうと思う。
僕は「半世界」という映画の中で栄介(長谷川博己)と紘(稲垣吾郎)のやりとりを思い出した。
「キミたちは『世間』しか知らないんだ。『世界』を知らない」と栄介が言い
「こっちだって『世界』なんだよ。色々あんだよ!」と紘が言った。
たぶん二つの台詞は、規模の違う話だし、同じようには語れない。けれど、どうしても僕には同じことを話しているように見える。
結局のところ、僕らは世界を見たいように見ているだけなのだ。
与えられたと思った責任も、果たすべき責任も結局のところ、与えられたのではなくて、ただ引き取っただけなのだ。だから、本来僕らは各々勝手に世界を判断するしか術はないし、分からないものは、どれだけ考えてもきっと分からない。それは僕の視界の外側にあるものだから。
時間は、正方向にまっすぐにしか進めない。だけど、僕らはいつだって過去を思い、失くしたモノに手を伸ばす。そしていつしかそれを忘れていく。思い出したときに後悔をする。また暗闇へと手を伸ばす。
そうしないといけない気がする。
真奈が陸前高田まで向かったように、栄介が引きこもってしまったように
そして、どこかで何かを見つけて、勝手に救われる。きっと誰かが何かをしたわけではなくて、自分の中で落としどころを見つけただけだ。
僕らが世界を見たいように見ているように
翻って、僕はどうだろうか。今の今まで、彼女の事を忘れていた。もう顔も知らない。どこにいるかも知らない。でも、思い返せばこの経験は、少なからず僕に瑕疵を残しているような気もする。勝手に判断して、勝手に傷ついただけだ。なのに、僕は友達を作るのが少し怖い。人に深入りすることが怖い。また、僕は不必要な人になってしまうのではないか、ただの木偶の坊になってしまうのではないかと思ってしまう。
それはまるで、雨のような記憶。雨は川を伝って海へ流れていく。大いなる海では雨は雨として存在できない。でもその水分子が、どこかに消え去るわけではないし、微かにそこに残っている。
僕らはきっと、みたいように世界を見ているからこそ、知らない所で意識的に、あるいは無意識に傷ついている。そして、大抵はその傷を無自覚のうちに忘れていく、あるいは常に自覚することでその痛みに慣れていく。ふとした瞬間、傷口が開き、痛い。でも瘡蓋が出来れば、痛みも少しだけ柔らかくなる。
―
宮地尚子という人のエッセイの中にこんな言葉がある。
僕らはいつだって、傷とともに生きている。傷が僕らの人生を大きく左右しているのかもしれない。だけど、いつだって僕らは傷を治そうと、隠そうとする。でも、ままならないからさらに傷ついていくんだ。リストカットして死ねないから、またリストカットする少年少女たちのように、僕らはいつも知らぬうちに自傷している。でもそれでは前に進めない。時間だけは、水の流れのように進んでいるのに、自分だけはそこに留まったままだ。記憶も、とうに時間とともに流れていっているのに、微かな残滓を掬い上げても僕らは何も救われない。
だからこそ、僕らは傷とともに生きていくんだ。傷を認めて生きていく。歩いていれば、いつかどこで落としどころは見つかる。僕らに足りないのはきっかけだ。きっかけは歩いていなければ拾えないし、そもそも僕らが世界を見たいように見ている以上、僕らに必要なのは前を向いて歩く勇気だけだと思う。その勇気さえ持つことができれば傷を治すことは出来なくても、傷を丁寧になぞることは出来る。そうして僕らは初めて救われたと思えるのだと、今はそう願っている。
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