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知らないけれど、覚えている

 僕は忘れ症なので子どもの頃のことはほとんど覚えていない。特に家族との記憶はほとんどない。だってまだ家族は現在進行形で形こそ変わっているけれど続いているから。 
 そんな僕でも昔の記憶は覚えている。僕には不思議な記憶もあるので本当にそれがあったのかは知らない。小さい頃によく母親にこんなことあったよねと言ったのに「知らないよ」「なかったよ」と言われ、誰も覚えていないと言ったようなことも多かったからだ。でも僕はそれらの記憶をおぼえている。

 僕と姉は7つ離れている。つまり僕が生まれる頃、姉は小学校2年生だった。だから僕と姉の関係はどこからどう見ても庇護者とクリエンテス(被庇護者)の関係だった。だからか何かと姉は僕の事を守ってくれたし、僕に対して優しくしてくれたのだろうと思う。残念ながらその多くの記憶を僕は忘れてしまったから、よく覚えていない。

 僕の祖父母の家は田舎OF田舎にあり、まさしく山を切り開いた田園の中にのっぺりとした平屋が建っているという場所にあり、だからか少し閉鎖的な空間だった。そして僕の家がそうであるようにほとんどそこに住んでいるのは昔から住む高齢者ばかりで、たまに帰省する人たちの中に子どもがいることの方が多かった。だから特に僕にとっては祖父母の家の近所の人はほとんど赤の他人で顔も名も知らない人たち、しかも近所の子どもに至っては本当に知らない人たちだった。
 だからだろう、僕は昔から守られることになれてしまっていたし、近所の子どもたちはある意味僕よりも強かった。当然のように僕は隣の家の子どもに何かをされた。あんまり覚えていないけれど、何かをされた。たぶん何かを取られたんだろうと思う。僕は泣きじゃくり、そして姉が怒ってその子どもを𠮟りつけた(と思う。さすがに殴ったりはしていないと思う)
 当然のようにその子どもは僕に謝ってきたし、隣の家の人も謝りに来た。でもそれ以来、僕は隣の人が怖くなったし、祖父母の家でもともとしなかった近所交流はめっきりしなくなった。

 この事件について僕は詳細をおぼえていない。だから本当にあったかはやっぱり知らない。でも一つだけ姉が僕の為にしてくれたという事実だけは覚えている。本当の事じゃなくても僕は覚えている。だから今ではほとんど交流しなくなったけど、やっぱり姉は僕の姉なんだなと思うのだ。そして同時に思う、記憶なんてどうでもいいのではないか、事実が大事で、僕はそれに助けられていると。

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