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何が好きかを決めるのは僕

大事なのは他人の頭で考えられた大きなことより、自分の頭で考えた小さなことだ。

「スプートニクの恋人」村上春樹著

 人はそんな簡単に自分の頭で考えることは出来ない。自分で考えていたと思ってもそれは誰かが考えていた軌跡をなぞっていたり、誰かの決定に無意識に従っている。だから議会制民主主義が成り立っているし、自分の知らない所で地球は、社会は今日も回っている。

 僕は今年で大学3年になり、就活の時期がやってきた。自分で自分の事を決める時期だ。それなのにどうして人は自分の事を自分で決められないのだろうと不思議に思う。僕らはやりたいことが必ずしもできるわけではない。例えば、僕は研究がしたい。だから大学院に行きたいけれど、それは親が許してくれない。例えば僕らは会社にあなたはなぜこれがしたいのかと聞いてくる。ただ好きなだけなのに、好きに理由もくそもないだろう。だから理由がある場所にしか行けない。
 それなのに、それなのにどうして僕らに考える力が宿るんだろう。僕が考えたところで誰かが考えていたことだし、インターネットで調べれば、僕より洗礼された考えはごまんとある。しかも考えたところで皆に無視されるおまけつきだ。だから僕はこうした片隅で自分の考えを隠し、自分の考えは誰かに毒されていると気づく。そう、あれだ。人間機械論。

 でも、それでもそれが押し付けられたことだとしても、僕自身の純な感情じゃないとしても、好きくらいは、僕の好きくらいは誰にも侵害されず、僕自身の頭で考えさせてくれ、そして願わくばそれが頭から現実へと形作れるように、なってくれればいいのに…

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