考えてみる ジェンダー 2
ジェンダーの問題って、1000文字2000文字で語れるようなものではなくて、何冊もの本を出しても結論が出ないような深さがある。社会問題の実践者でも研究者でもないので、中身が薄く、勘違いしたことを書いてるかもしれないけど、社会人として生活してる立場から考えたことを書いていく。
前回、男女に違いがあって、役割分担してきた歴史があって、男性優位みたいな風潮があった。ということを書いた。それは良い悪い、ではなくてそういう戦略を人が取ってきただけのこと。
人が社会を作って生き延びる。それは文明を発達させて文化を築いてきた過程とも言える。その延長線上に今があって自分も位置している。文明が発展すると人々の生活が変わってくるし、生活や環境が変化するに伴い思想や思考が変わってくるのは真っ当なこと。
昔々は「男が外で働いて女は家にいる」に象徴されるような、男女の役割がかなり固定されて、男だから○○女だから○○みたいな価値観が強く根付いていたように思う。男性だから優遇された、女性だから大目に見てもらえた、性別の違いで周囲からの見方とか評価が変わってくるようなことが多々あった。
女子はどっちかというと冷遇されてる傾向はあったけれど、全て女だから差別されてるとまでは言えないと思う。だけど「男だから、女だから」で固められた世の中は男性にとっても女性にとっても生きにくい部分があると思う。寅さんも「男はつらいよ」って言っている。
生物学的な違いがあるから、生活するのに機能的な違いが出てくることはしょうがない。だけど、違うことだけを理由にして不利益をもたらされる、それが差別。
差別を訴える前に、男女には、生物学的な違いがあることをまず認めなければならない。人が生きるために社会を形成して、その社会が男女の違いや役割を認めたり定めたりしていることを理解して、社会が男女の違いをどう捉えてるのかを知ることがジェンダーを考える最初の取りかかりになる。
やっと、ここからが本題になるけれど、そういう事実や歴史を踏まえて、今を生きる私たちがどういう価値観をそこに見いだすか、を考えようってことがジェンダーの課題になる。
今の自分が考えてるのは「男女の区別は当然あって人類が生存する一番大きな目的は、次の世代をつなぐこと」これは生き物全てに共通する命題だと思う。次の世代が少しでも生きやすくなってほしいと願う。大きなマクロの視点では人類の繁栄は何よりも大事。
ただ、自分個人とか社会を形成する個々の人間って視点に移すと、個々の自由はできるだけ大きい方が良いと思う。家庭を持って直接子供を産んで育てることだけが正義ではない。人それぞれの環境とか状況、持って生まれた・若しくは生育や生活歴の中で獲得した思想や思考や特性を活かせる社会が健全だと考える。
子育てはとても意義のあることだし、それ以前にとても楽しいことだと自分は思っている。自分はそう思うけれど、そう思わない人もいるし考え方の違いを尊重しようってこと。
次の世代を安全に心豊かに育むために、誰がどういう役割を担えるのか考えることもジェンダーの1つの方向性かもしれない。女性、男性に拘ることなく、それぞれの個人が得意なこと、やりたいことが極力叶えられる方向に行けば良いなと思う。それぞれの大人がノビノビと今を生きることができて、自分に関わってくれる大人が、それを楽しんでいる。育てられる子供にとっても自分の周りの大人が元気で楽しんでいる姿を見られるほうが良いだろう。大人になれば良いことが増える、そんな希望が見いだせれば幸せ。
時代は変わっても子供は社会全体で育むもの。直接的な子育てを担う人、直接的に関われる人、間接的に影響をもたらせる人、いろいろな大人が役割を担ったり生きている姿をみせたり、伝えたりすることが、新しい世代を作ることになる。
男だから○○ 女だから○○って言われることの大半は、ジェンダーのバイアスがかかってるように思う。男だから、女だから、ではなくてその人個人としてどうなのかってことが一番大事。
いろいろな面で男女差より個人差の方が大きいんじゃないかと自分は思う。
先日、ある方のコメント欄で「女の子は運動神経が多少鈍くても、他の面で個性を伸ばせる」みたいなことが書いてあって、同意もするけれど、こういうことがジェンダーだなって思う。男女関係なくその子の良い面を見つけて行こうってことが今からの王道になっていくはず。
長くなってきたので、次に続ける