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考えてみる ジェンダー 1

先日、「じーじ」こと「定年のおっちゃんねる」さんとのコメントのやり取りの中で、「ジェンダー」についての話題が出て、考えてみたいです、って伝えたら、書いてみたら?って背中を押してもらえたので、この壮大なテーマに取り組んでみる。
あくまでも、独学。というかまだ、学んでもいないので恐れ多いけれど。ネットとかnoteとかテレビとかで得た情報を元にして、こんなことかな~って考えてる段階。とりあえず今、社会の片隅で生きている立場から感じたことを書いておく。
あくまでも、還暦間近の女子、姑・夫・息子と暮らしていて、介護関係の職に就いてる生活者としての見解。

そもそもジェンダーってこんなこと

ジェンダー(gender)とは、社会的・文化的な役割としての「男女の性」を意味する語である。人間社会における心理的・文化的な性別、社会的な役割としての男女のあり方、「男らしさ」とか「女はこうあるべき」といった通念を意味する語。しばしば、身体的特徴としての性別(=sex)と対比される。

生物学的な雄雌の区別じゃなくて、社会の中で男女をどう考えるかって思想を表現する言葉。「ジェンダー」は概念だから、その言葉には善悪とか良否とか正誤などはない。その時々を生きる人達が、男女とか性別をどういうふうに考えていた、考えているのかってことを現す。
ジェンダーなんて全く意識しないで環境に刷り込まれて、何の疑いもなくこれが普通だって思い込んでる人が大半かもしれない。
逆に何でもかんでも、これに絡めて、差別なんてけしからん、男も女も関係なく全て対等にしろ、って過激な人もいる。これもどうかな~って自分は考えていて、ここがこの記事の主題となる感じ。

前置きがこんなに長くなってしまったけれど、ジェンダーを考えるには男女の違いを捉えることが基本。動物のほとんどで卵や子供を産むのが雌、更に哺乳類は母乳を出して子育てを担うのが雌。人間も例外ではなく、妊娠出産する機能は女性にしかない。(女性だから妊娠、出産ができるとかしなければならないとか、そういうことはまた別のことだけど)
子供を妊り産むこと、母乳を分泌すること、これは女性にしかできない。乳児・新生児の栄養は乳。搾乳とか人工乳もあるので母乳に限らないけれど、今まで多くの時代や地域で、授乳して食事が摂れるようにしたり、自分で移動や排泄ができるようになるまでの子育てを大体が母親が中心となって担ってきたのは、それが効率的だったからだろう。
妊娠時期や子育ての時期の女性、子供は精神的にはともかく、体力もないし思うように動きが取れなくて対外的には弱い存在。人として生き延びるために男が食料を取ってきたり、外敵から守る役割分担をしてきた。社会を作って暮らすことは人類が選択した生存の戦略だったんだと思う。

今は時代が変化していろいろな価値観が存在するけれど、ジェンダーを考えるには、男女の違い・区別が存在することが前提になる。

歴史を紐解けば、いろいろな時代、いろいろな国や地域、その社会の中で男女の役割の違いとか考え方が為されてきて、どちらかというと男尊女卑的な考え方が多くを占めてるような気がする。この辺は勉強不足なので割愛するけど、日本だって「家長制度・長男とか嫡子」とか「三従の教え」みたいなものが、長く居座っていた。外に出て行くことが家を守ることより高尚とか、腕力が強いだけなのに、それが絶対的な価値観となって権力になってしまったのかとも思う。でも、人ってそうやって生き延びてきたのも事実。

あまり長い記事は自分でも疲れるので、一回目はこの辺にしておく。
ジェンダーは社会的に作られた男女の性差。男女の役割とか男らしさ女らしさ、それぞれに求められる規範は、人が作ったもので時代や地域で変化する。これが、一回目のまとめ。