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61歳FIRE生活【沖縄伊江島で自由に生きるを考える】 24.8.1 Thu.

まさに伊江島への旅に出ようとしている時、右耳に違和感を感じた。

突然聴こえない。右耳に何かが詰まったような、むくんでいるような。

いやな予感。

まだ少し時間に余裕がある。かかりつけ耳鼻科に立ち寄ってから空港に向かおう。

診断は、なんと中耳炎。
抗生剤で治療することになった。

このところ、旅に出ると必ず何処か身体に異変が起こる。

これが歳を重ねると言うことか。
昔は健康自慢だったはずだが...

まあ今更旅行取り止めもできない。
ダイビングお預けの伊江島への旅に出た。

羽田から那覇までは、2時間半の旅。
那覇空港には一つ歳下の旧友A君が車で迎えに来てくれた。

彼は昨年60歳で定年退職。
その後ツテを頼って沖縄名護の会社に嘱託社員として潜り込み、今年東京から名護に単身移住を果たした。

この先、良い物件を探して小さなカフェを開くのが夢らしい。

定年前に、大手IT企業の上級管理職であった彼から、そんな話を聞かされた時は驚いた。

かつて名護勤務の時期があったとは言え、あまりに突拍子もない。

そもそも料理なんてしたことも無いタイプ。しかも遥か遠くの沖縄名護で。

しかし、思えば彼は自由人。
結婚し子供もいるはずだが、家族の話は聞いたことがない。

飲み歩きが大好きで、いい歳をして夜な夜なバーを渡り歩き、石田純一が如く、次から次へと浮き名を流すプレイボーイであった。

どんなことでも極めると価値がつく。

確かに色んな店を知り尽くしてるだろう。人当たりは抜群にいい。
意外にイケおじカフェ店主はありかもしれないと思った。

A君と名護で飲んだ翌日、予定通り伊江島に向かい、本部港からフェリーに乗船した。

海はベタ凪の静けさで、どこまでも青く、容赦なく照りつける南国の太陽の下に光り輝いている。

伊江島タッチューの美しい姿が徐々に大きくなる。

こんな最高の海でダイビングができないなんて... 悲しすぎる。

もう三十数年通っている伊江島。
おかげで仲良くなった島民も多い。

着くといきなり、「耳悪いんだって。ダイビングしないならゴルフへ行こう」となった。

ありがたい、シマンチュの友情に感謝。

しかし、彼らはなんと自由人なんだろう。もちろんみんな僕と似たような年齢だが、遊びたい時に遊び、飲みたい時に飲み、仕事をしたい時にする。

島の生活は決して楽ではないはずだが、東京でのサラリーマン生活とはあまりにも違う、本来の人間らしい自由を感じさせる。

そんな島での生活に憧れて、移住してきたばかりの二人の女性に会った。

一人は、ダイビングで神奈川から伊江島に通ううち、この島に惚れ、海人に惚れ、60歳定年を機に移住&結婚を実現した元看護師。

「60を過ぎたら好きなことをやる」
彼女の決意と行動力、自由に生きるしなやかさに目を見張るばかりだった。

この先の老後を、二人手を取り合って島で生きていく初老カップルに幸あれ!

もう一人の女性はまだ20代半ば。
札幌から家族揃っての移住者だ。

彼女の両親が沖縄好きで、あちこちの島を巡っていた。ある時伊江島を訪ねてハマってしまったらしい。

なんとも自由な家族ではないか。
そしてこの家族の仲の良さ。
想像するだけで微笑ましい。

そんな彼女は、漁港近くに、“あずましい家”と言う名の小さなパーラーをオープンした。

あずましい、北海道で心地良いと言う意味らしい。

札幌出身の小柄な彼女が、一人で走り回って切盛りする姿を見て思った。

自由に生きてるなあ!

つづく。








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