教員の学歴

私は、旧帝大の出身です。

ちょっと勉強のできる中3の生徒に、こんなことを言われたことがあります。
「先生、◯◯大出てるのに、教員になったんですか。」

生徒たちもわかっているのかもしれません。
本当に勉強ができる人たちは「教員」にはならないということ。
「教員になる選択をしない」という表現の方が適切かもしれません。
給料形態や働き方まで考えると、本当にできる人は学校の先生なんて選ばないのでしょう。

私の地域は、かもしれませんが、体感的に6割くらいが教育大学の出身。3割くらいが私立大学の出身。残りの1割がそれ以外、といった感じです。
研修や部活動の大会運営に行くと、教育大出身だったウェイウェイした先生たちが、話の中心となって会を進めていく感じになります。

どんな職場でもそうだと思いますが、仕事は、仕事ができる人・早い人・正確な人のところに集まります。教員の世界も同じです。
しかも、教員はそうしたからと言って評価されるわけでもなく(人事評価制度は一応ありますが)、残業代も出ません。使われ放題です。
どうしても、仕事に偏りが出ます。

現場には、本当にどうしようもない先生もいます。
期日を守れない人、仕事を任せれない人、担任ができない人。
なんでそんなこと子どもに言っちゃうの、って人。

仕事のできる/できないを学力や出身大学で測ってはいけませんが。
ただ、部活や自分の学級のことしか考えていない、全然仕事ができないその辺の大学出身の先生を見ると、猛烈に虚しくなります。
なんでこんな人と同じ給料なんだろうと。

私の父は小学校の教員でした。
小学校教員の父は、教員になろうとする私を止めました。
「せっかく頑張って勉強して◯◯大に入ったのに、もったいない。」
青かった私はそんなの関係ないと思っていましたが、
それは学校を知っている父の優しさだったのかもしれません。

私は教員になって最初の3年は、基本的に全部「やります」のスタンスで、死にものぐるいで働いていました。
「若い時の苦労は買ってでもしたほうがよい」という古風な考えに染まっていた節もあります。(笑)
しかし、気づくのです。これ「使われてる」なと。

民間企業から教員になった人にこんなことを言われました。
「うまく手を抜くことを覚えないとパンクするよ。」
尊敬していた教頭先生にこんなことを言われました。
「車のハンドルと同じで、人生にも「遊び」がないと運転するの疲れるよ。」

なんだか、「働く」ってなんだろうと思いました。

恥ずかしくない学歴があることは、学力の高い生徒や保護者の信頼を得るのに非常に役立ちます。
面談で自分の高校や大学について答えると、目の色が変わります。
言葉にも説得力が出ます。

しかし、それだけですね。

私は、「勉強ができる人」は「努力ができる人」であり、「視野が広い人」だと思います。
「勉強ができる人」は、視野を広げるための術をたくさん知っている・実践してきた人だからです。
そんな人たちは、学校にはあまりいないのです。

日本のトップの大学を出るような人たちは、日本の公教育の現場にはほとんど携わらない。
これが日本の現状なのでしょう。

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