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幸せと成長。わたしが”成長”という言葉が好きじゃない理由


帰国して、録画してあったanother skyを久しぶりに母と一緒に見た。思えば小学生の頃から母とanother skyを見るのが習慣でその時間がだいすきだった。わたしが旅に興味を持つきっかけの1つになったのは言うまでもない。

そこででてきた、間宮祥太朗さんの言葉に深く共感したし、心に刺さった。

「俺は自分の人生に特別な意味があるとは思っていないんですよ。だから楽しみたい。

特段自分の人生に意味がないなって思えれば、たいていのことがポジティブに考えられる。その時に“楽しいな”と思うことに正直で直感的でいたい。」

another sky 間宮 祥太朗


日本で生きてきて、いつからか多分特に大学生くらいからずっと、ずっっと、ずっっっっと、自分の中で疑問だったことがあった。

「成長したいです」
という言葉。

いつもこの言葉を聞くたびに、わたしの頭の中に
“ハテナ”が3つほど浮かぶ。

え?なんで?
なんのために?
それ、楽しいの?

シンプルにいつもそう疑問に思っていた。今も思う。

大学生の時にインターンシップをしていた時も、周りは「成長したいです!!」っていう子ばかりだった。でも、わたしは楽しみたくて、やっているんだから「成長」なんて超絶どうでも良かった。だから、自分の当時教育担当だったメンターにも確か、正直に「成長したいとは全然思わないんですよね。」って話したことがある気がする。
でも、当時の私は、自分がそう感じることは自覚できても、それと同時に自分がマイノリティよりだと言うこともわかっていた。だから、「成長したい!」そう思えない自分はよっぽどの怠け者か何かなのだろうか、とモヤモヤしていたとことも覚えている。

社会人になってからも、その疑問は消えなかった。
たしか、いつかの昔の恋人にも「切磋琢磨できるような関係が理想」みたいなことを言われ、自分とは似ても似つかないそのような理想を言われ、わたしにとっては爆弾的な発言だなと思い、別れる大きな一つの判断基準になったことがあったような気がする。そのくらい、わたしには「成長したい!」と思う気持ちが分からなかったのだ。というかも、今もだけど。笑

そしてある日、当時Twitterでたまたま
サイボウズの山田理さんのこの言葉を目にしてふと心が軽くなったのを覚えている。

世の中は成長するのがたり前になってる。でも、成長、成長と言ってるマネジャーは「なぜ成長しないといけないんですか?」という問に的確に答えられるのだろうか?

サイボウズ 山田 理
3年前の当時のわたしのTwitter ①


3年前の当時のわたしのTwitter ②


もう少しいろんな経験をして、自分との対話もあの頃よりももう少し重ねてきたなかで、いまはどうして自分はずっとそう感じていたのか、その理由がちょっと分かるようになった気がする。

多分きっと人間って自分が思っている程そんなに頑張れない気がするんだよね。頑張っていたら疲れちゃうもんね。長くは続かないしね。少なくとも、わたしは。
日々頑張って疲れているそのうちにも、人生は1日1日少しづつ、でも確実に、終わりに近づいていっているんだよって。

だから、わたしはその分頑張るんじゃなくて、
楽しみたい。趣味においても仕事においても人生においても。成長という言葉が好きじゃないのも多分これが理由。わたしの人生の全てにおいてそこが1ミリも目的じゃないから。
楽しむ幅(縦であれ、横にであれ)を広げることは時に必要だけれども。

人生って結局は毎日の積み重ねなわけであって、じゃあそれをどう楽しむか。じゃあ楽しい人生とは何かを考えた時に大切なのは、いかに楽しい瞬間を増やすことができるか。アルバムに写真が増える感じで、あ、今写真に、思い出として、残したいなみたいな瞬間をどれだけ作れるか。ちょっとしたイベントやスペシャルをいかに自分で自分の毎日に組み込むことができるかだよね。きっと。

今日1日の中での楽しみ。
1週間の中での楽しみ。
1ヶ月の中での楽しみ。
季節毎での楽しみ。
1年の中での楽しみ。

そうやってレベルの違う、楽しみというイベントや特別を日常の毎日の中にどれたけ、落とし込めれるか。
どれだけ自分を自分で喜ばせ、楽しませてあげられるか。私は人生ってそういうゲームだと思って生きているし、これからもそうやって生きていきたい。

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