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緩めるってこと(緩す)

この記事が書きたくてまずは上記2つのブログを書いた。

わたしが手技は問わずとも
【緩める】
ということに何故ここまでこだわるのか?


「緩める」の語源は
「ゆるす」と言われている。
 
そして、「緩す」と書いて「ゆるす」
と読むことができる。
 
『緩める』という事は『ゆるす』という事。

ゆるす、の反対の言葉
ゆるさない・ゆるせない、と思う時
その根底にあるものはどんな気持ちだろうか?
その時本当はどうしたかったのだろうか?
 
そういう気持ちが積もっていった時
そういう気持ちを見てこなかった時
あなたはあなたを守るために何をするだろうか?

過去のこれらのことが
身体の固さとなって表れてくる可能性…

過去のこれらの積み重ねが
その後の人生の選択となり
やはり身体に現実として現れる可能性…

身体を緩めていく、という過程は
自分自身と向き合いうものであり
自分自身をゆるしていくのだ。

 
緩めていくことでできる隙間や遊びの部分。
その遊びの部分が、ゆとりを生む。
ゆとりが、心の声に身体の声に
耳を傾けやすくしてくれる。
気づきをもたらしてくれる。
 
緩す(ゆるす)容す(ゆるす)聴す(ゆるす)
緩めて緩んで受け入れて耳を傾けて
気づいてゆるして…少しずつ少しずつ…

宥す・許す・恕す・允す・免す・赦す
 
いろんな「ゆるす」があるように
緩めていく段階があって
ゆるしていくものも段階があって…

何を?誰を?どこを?ゆるすのだろうか
何をもってゆるすとするのか
そもそも、ゆるす、とはどういうことか

緩める、ということは奥が深いなって思う。

まずは最初の【緩す(ゆるす)】
緩めることが自分と向き合う最初の一歩

痛みや固さ、つらさは、あなたの身体の声
そうなるまで目を向けてこなかった
見ようとしなかった
あなた自身をまずはゆるしていこう。緩めていこう。

わたしの【緩める】への執念ともいえる想いは、こういう事なのかもしれない。

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